アヴェク・トワ




庵に戻る道を一人辿りつつ、手に持ったビニール袋に視線を向ける。
今日は白レン達に会いに行く約束をしていた為、朝から出掛けていたのだが帰り際に土産と称して幾つか菓子を貰った。
それらを携え、普通の人間には獣道にも思えるだろう所を足早に歩んでいく。
既に大分進んでいた為にもう木々の隙間から住み慣れた庵が見え始めていた。


(……早く帰って軋間の奴を此れでからかってやろう)


自然と浮かぶ笑みもそのままに木々の間を抜け、庵の扉の前に立つ。
そして躊躇い無く扉を開けると、中に入り込み炊事場と一緒になった土間玄関を少し進んだ所にある箱段に座り込むと手早く靴を脱いで其れを土間に置き、立ち上がる。
そのまま背後にある襖を開け、囲炉裏のある居間に入ると丁度書籍を読み込んでいる男の背中が見え、此方に気がついたらしい男がその首を後ろに向け言葉を紡いだ。


「お帰り、七夜」

「ただいま」


俺はそんな男の隣に歩むと持っていたビニール袋を置き、とりあえず風呂場に向かう。
蒸し暑いと思っていた時期から時間も経ち、この庵周辺にも秋の気配が漂い始めている。
男と共にこの庵で暮らす事になるなんて想像もしていなかったが、実際にこうして男と過ごすこの空間は酷く居心地が良かった。
何よりもただ堅物なだけかと思っていた男が実は様々な面を持っている事を日々知れる事が面白い。
そんな事を思いながら桶に汲んであった水で手を清め、手拭で水分をふき取る。
このような事も今までした事が無かったが、あの男が俺にしつこく言うものだから気にするようになってしまった。
……鬼の癖にそのような事を気にする男はやはり変わっている。
そのまま俺は男の居る居間に戻る為、踵を返す。
居間に戻ると再び書籍を読み込んでいる男が此方に視線を向けた。
俺もそんな男の周囲を視界の中に収める。
すると当然のように男の隣に準備されている座布団とその上に置かれたビニール袋に気がついた。
こういう所に現れる男の気遣いに笑みを浮かべつつ、座布団の上に置かれたビニール袋を手に持ってから男の隣に座り込み、その肩に頭を凭れさせる。
そして待っていたように持っていた書籍を閉じた男はその書籍を俺とは反対の畳に置いた。
其の間に俺は手元に持った中身が幾つか入ったビニール袋の中から赤いパッケージの菓子を一つ取り出す。
そんな俺の姿を興味深そうに見詰めている男の視線を感じながら、その箱を開け、中に入っている小分けにされた袋のうち一つを持つ。
銀色の縦長な袋に入った其れをガサガサと音を立てながら開け、中に入っている菓子の一本を取り出すと其れを男の前に掲げた。


「買ってきたのか?」

「白レンに貰ったんだ。……アンタ、チョコレート嫌いじゃないだろ?」

「……嗚呼」


細長いクッキーにチョコレートのついたその菓子は世間では極々一般的な物だ。
だが男にとっては初めて見るらしい菓子を目の前で振ってみせる。
するとその菓子の向こうから此方に視線を合わせてきた男が小さく笑った。
俺はそんな男に対し、至極真面目な表情をして呟く。


「そうそう、此れを食べる時には決まりがあるんだ」

「決まり?」


不思議そうな顔をした男に笑ってしまいそうになったが、持っていた菓子を男の唇に当てる。
戸惑うようにしながらも其れを噛んだ男が此方を凝っと見てくるのを見返しながら、菓子の袋を持っていない方の人差し指で男の胸元に触れた。
そして藍鉄色の着物を着た男の厚い胸板を衣服の上から指先でなぞりつつ言葉を紡ぐ。


「まだ食べるなよ?」


そして男が銜えている菓子のもう片方の先端に顔を近づけると、そのまま更に囁いた。
微かに驚いた様子の男に思わず抑えていた笑みが零れ落ちる。


「……俺がこっちから食べ始めたら、アンタも食べていいぜ」

「……ッ」


男が息を詰めた瞬間、反対側から態と少しずつその菓子を齧り始めた。
だが帰る間ずっとしていた俺の想像とは異なり、一瞬の動揺を見せただけの男はそのまま俺と同じように菓子を齧る。
段々と近づいてくる男の顔に逆に揶揄してやるつもりだった此方の方が押されている事に気がつき、知らず知らずの内に顔を引く。
しかし離れる前に男の空いた手が此方の髪に絡み、逃げようとした俺の顔を押さえてくる。
そして一気に菓子を食べ距離を詰めてきた男が此方の唇に触れるか触れないかの所で齧るのを止め、顔を離した。
その口端に笑みを浮かべている男に文句を言ってやろうとするが、其の前に残った菓子を咀嚼し飲み込む。
甘ったるい味が口の中に広がるのを感じながら、男と視線を合わせると俺が口を開くよりも先に男がその低い声で囁く。


「どうした?……此れが正しい食べ方なのだろう」


薄く笑った男の表情と言葉に、何も言えなくなってしまった。
確かに仕掛けたのは此方が先なのだが、余裕綽々な男の反応に文句の一つも言いたくなるのは仕方が無い事だろう。
そんな自分勝手な事を思いながら、俺は男の着物の襟に手を伸ばし其処を掴んで男を引き寄せる。


「……ったく、こっちはアンタが慌てる姿が見たいのに何時もこうだ」

「そんな姿を見たとして、お前は面白いのか?」


再び顔を近づけてきた男の首元に鼻を摺り寄せるようにすると男が俺の髪に指を絡ませ其処を梳く。
皮膚越しにでも分かるその熱い掌に心地よさを感じながら男の首筋に口付けた。
男らしく浮き出ている首の筋が男の皮膚の下で動くのを感じながら、唇を動かす。


「面白いに決まってるじゃないか……」

「……」

「アンタが慌てるなんて、俺以外、中々見れるもんじゃないだろ?」


態とらしく言葉を区切って言いながら、空いた手で男の着物に指を這わせ、手を差し入れると男の鎖骨を撫でる。
畳の上を滑る際に起こる微かな衣擦れの音を聞きながら、一層男に近寄りその唇に目を伏せつつ接吻を施す。
そのままゆっくりと目を開け、俺と同じように甘い香りのする男と視線を絡ませた。


「……なぁ?」

「……全く」


ため息を吐いた男がそう囁いたかと思うと、俺の持っていた袋に手を伸ばし菓子を指先で取り出す。
その動きを見ていると不意に手に持ったその菓子を俺の唇に押し当ててきたので其れを唇で銜える。


「お前には敵わないな、七夜」


そのまま俺の名を呼んだ男は、先ほどの俺と同じようにもう片方の先端に唇を寄せたかと思うと齧りつく前にその瞳を細めて笑う。
男のそんな反応に見たかったものとは違ったが、十二分に満足した俺が笑みを返すと男がその先端に齧り付き、 菓子が立てた軽快な音が何処か楽しげに辺りに響いた。



-FIN-






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