アントロポファジー




もう昼も過ぎているというのにオレと共にこの庵に住んでいる七夜はまだ布団に潜り込んだままだ。
オレは既に作り終えた昼食を目の前にして、そろそろ眠っている奴を起こしにいかなければならないと胡坐を組んでいた足を崩し、立ち上がる。
そうして萌黄色の着物の裾を整えながら、素足で畳を踏みしめ、近くにある寝室へと続く襖を開けた。
襖を潜り抜けると、部屋の中心には窓から射し込む光に照らし出されている乱れた布団があり、その中に眠る七夜の薄鼠色の着物も乱れている。
此処に来たばかりの頃はオレが隣で動くだけで直ぐに起きてしまうような状態だったというのに今ではこの有様だ。
それは此処に居ることに慣れたという事で、此方としては喜ばしいのだが流石に何時までも放置して置くわけにはいかない。
オレは眠っている七夜に声を掛ける為に横に座り込むと、手を伸ばしてその肩に触れる。


「……七夜、起きろ」

「……んー……」


そうしてゆるりと摩りながらそう言葉を投げ掛けると、機嫌が悪そうに唸った七夜の足が此方に風を切る勢いで飛んでくるのが分かった。
其れを空いた手で受け止めると、七夜の肩に触れた手を動かし、その前髪を掃ってやる。
足癖が悪いというのは分かっていたが此れは寝ぼけながら撃つ蹴りでは無いだろうと、 まだ眠りから醒めていない様子の七夜に先ほどよりも少し大きな声で声を掛けた。


「こら、起きろ。……起きないなら……このまま癖の悪い此処を食い千切ってやろうか」


喉奥で笑って、掴んでいた足を曲げながら引き上げると丁度足首の部分を口元に当てる。
ヒラリと動いて更に乱れる着物の裾と共に殆ど露わになった七夜の足が扇情的に目に映るのを感じながら凝っと七夜を見詰めていると睫を震わせた七夜がその瞼を開け、其の中からボンヤリとした色素の薄い瞳が此方を見返してくるのが分かった。
そうして唇を開いた七夜が掠れた声音で笑いながら呟く。


「……はよ……、……それにしても、起き抜けから随分物騒な事を言ってくれるじゃないか」

「もう昼時だぞ。それにお前が先に蹴りを放ってきたのではないか」

「そうだったか?……寝ぼけてて良く覚えていないな」


くすくすと笑った七夜が両腕を伸ばし、伸びをするのを見ながら掴んだ足首に口付ける。
途端に体を微かに震わせた七夜が此方をわざとらしく睨みつけてくるのを流しながら、細い足首に緩く噛み付く。
本気で噛めば簡単に千切れてしまうだろう位に細い筋が歯に当たる感覚に心地良さを覚えながら噛んだ部分にもう一度口付けをして顔を離すと微かに頬を赤らめた七夜が視線を逸らすのを見つけた。
普段はオレに構えと煩い位に言う癖に実際にこのような構い方をすると照れるコイツは酷く愛らしい。
そのまま足を布団の上に置いてやると、そっと上半身を起き上がらせた七夜がオレに抱きついてくるのを受け止めた。
オレはそんな七夜の乱れた着物の前を整えてやってから片手を伸ばし煙掛かった黒髪に指を挿し入れると梳くように撫でてやる。


「……軋間」

「……ん?」

「別にアンタが本当に食いたかったら足の一つ位くれてやっても良いぜ?」


暫く互いに黙ったままでいると不意にオレの胸元から顔を上げた七夜が挑発的な瞳をして冗談を言う。
しかし其れが本気の色を帯びている事に気がついたオレは、そんな言葉に笑みを返しながら顔を近づけ七夜の瞼に口付けを落とす。
人に近くなったようでいて、危うい部分を残している七夜だからこそ、こうして何処までも甘やかしてやりたくなってしまう。


「お前の足だけ食らっても仕方が無いだろう。其れにオレは人を食う鬼ではない」

「そうだったか?……俺の事を食らうのは大好きだろうに」


そう言った七夜が此方の首筋を指先で撫でるのを感じながら、瞼に触れていた唇を今度は唇に触れさせ、軽い口付けを何度も施してやる。
ちゅ、ちゅ、と静かな空間に響くその音に流されてしまいそうになるが敢えて顔を離し、七夜の髪をくしゃりと撫でてから笑って見せた。


「……まずお前はしっかりと支度をして昼飯を食うんだな」


オレの言葉に何処か不満げな表情を見せた七夜の耳元に顔を寄せ、更に言葉を囁く。


「そんなに食らって欲しいなら……夜になったらお前が無理だと言うまで食らってやろう」

「……ッ、……そんな事言って後で後悔するなよ?」


吐息を詰めた七夜がそう囁き返してくるのに笑ってから、七夜を抱きしめたまま一度立ち上がる。
そうして互いに視線を合わせると自然と二人、笑い合った。
そのままオレは先ほどの空気など微塵も感じさせない口調で言葉を紡ぐ。


「……もう飯は出来ているぞ」

「もしかして昨日獲ってきたやつを使ったのか?」

「いや、其れは今日の夕餉に使うつもりだ……魚を先に捌かないとダメになってしまうからな」

「あー……そうだよな。でも肉も全部は食べきれないだろ」

「半分は干し肉にでもすれば良い。酒の肴にもなるだろう」

「じゃあ飯が済んだら俺が処理しておくよ」


互いにそんな他愛の無い会話をしながら、オレはもう一度しゃがみ込み、素早く布団を畳んでから部屋の隅に片付ける。
そして立ち上がると、其れを見詰めていた七夜と共に開いたままの襖から居間へと向かったのだった。



-FIN-






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