ムーンダスト




浅い眠りから意識が引き上げられ、閉じていた目を開ける。
情事の最中に気絶してしまったらしく、いつの間にか浴衣を着せられ布団に寝かされていて、掛け布団が掛けられ頭の後ろには枕の感覚があった。
昨日の行為の所為で全身に気だるさが残ってはいるが、其れは不快な疲れでは無く、寧ろ心地良さすら感じてしまう。
俺は見慣れた天井から視線を動かし、光が射し込む窓を確認する。
そうしてそのまま隣に視線を向けると俺と同じ浴衣を纏っている未だ眠りから醒めていない男の安らかな寝顔がすぐ傍らにあった。
普段は余り表情を変えない為に誤解されがちな男ではあるが、実際には普通に様々な表情を見せる。
ただ、其れを判断するのが難しいだけの話だ。
黙ってそんな事を考えつつ男の寝顔を一人観察しながら、その顔に掛かった前髪をそっと指先で掃ってやる。
すると眠りが浅かったのかその感覚だけで瞼を震わせた男が緩やかに瞳を開いた。
何時もよりもぼんやりとしている男に愛らしさを覚えつつ、前髪に触れていた 手を男の頬に当てると掌に顔を獣のように摺り寄せた男が布団の中にある腕で此方の腰を抱く。
そうして掠れたような独特の声で柔らかく囁いた。


「……お早う」

「おはよう」


男の静かな笑みに釣られるように微笑み返しながら言葉を返す。
その間にも腰に這わされた手は此方の体を労わるように撫でてくる。
昨夜の激しさを微塵も感じさせない男の笑みと手付きにまるで昨日の出来事が 夢のようだとボンヤリと考えていると、腰に触れていた男の手が尻にまで下りてくるのが分かった。
思わず離れていた意識を向けると、何処か餓鬼っぽい笑みを見せた男が居て苦笑してしまう。
そしてお返しとばかりに頬に触れていた手を衣服越しにその胸元に添わせると、温かな布団の中で薄い唇を塞ぐ。
触れ合わせるだけの接吻がこんなにも心を満たすなど今まで考えた事も無かった。
無論、殺意を抱いていた男にこんな愛情を感じるとも初めは想像すらしていなかったというのに気がつけば隣に居るのが当たり前になっていた。
そうして男と過ごす時間が緩やかに流れていく、その事実を認識する度に己の心の中に男が深く刻まれていくような気がする。


「七夜」

「……んー?」


そんな事を考えながら、触れ合わせていた唇を離し、男の厚い胸板を摩る。
すると、俺の名を呼んだ男が此方の首元に頭を近づけたかと思うと犬のように其処に鼻を摺り寄せてきた。
男の甘えるようなその行動に応える為、緩やかに男の癖のある髪に手を伸ばすと其処をくしゃりと撫で梳かしてやる。
絶対に他には見せないその姿を知っているのが俺だけだという優越感と、男に対する愛おしさが胸を満たして、苦しいくらいだ。
其れでも貪欲なこの体と心はもっと深く男を知りたくて堪らない。
しかしそんな思いを表に出すのは気恥ずかしさを覚えるので、男の髪を撫でる手にその思いを込める。
そして俺が撫でている間にも男の吐息が首元に掛かるのにくすぐったさを感じ、冗談っぽい口調で声を掛けた。


「くすぐったいぞ、軋間」

「……」

「……ッ……こら、……」

「……わざとだ」


俺の声に黙ったままだった男が不意に首筋を舌先で舐めてくる。
流石にそのヌルついた感触に息を詰めると男が顔を上げて、笑いながら言葉を紡ぐ。
何処か、してやったりという表情を見せた男の髪に絡ませていた手を動かして男の頬を軽く抓ってやる。
どうせ痛みなど微塵も感じていないのだろう男が眉を顰めたかと思うと、此方の腰に当てていた手に力を込めた。
そうして視線が合ったかと思うと俺の顔に次々を口付けを施してくる。
乾いた唇が額や頬、鼻先に触れるのを受け入れながら男の腕に手を這わせると腰から動かした手を俺の手に触れさせ、指先が自然と絡んだ。
……何も言わなくても良い、ただ、この甘く静かな空気の中で溺れていたい。
俺がそう考えているのと同じように男もそう考えているらしく、暫く口付けていた男が俺の額にその額を合わせてくる。
このまま昨夜と同じように淫らな行為にのめり込んでも良い。
其れとも互いに飽きるまでこうしてただ、傍らに居るのでも構わない。
俺は男がどのようにしたいのかを見定めようと瞬きをしてから絡ませた指先を微かに動かすと、額を触れさせたまま男が小さく囁いた。


「……もう少しだけこのままで居ても良いか」

「俺が『嫌だ』って言うと思うのか?」

「思わないな」

「だろ?」


互いに軽快なテンポでそう言葉を交わすのが可笑しくなって、思わず笑ってしまう。
どのような事を望んでいるかなど分かりきっていて、其れを拒否などする筈が無いと分かっている癖に言葉を求めてくる。
今まではそんな事などまどろっこしくて面倒なだけだったというのに男と交わすならば其れすら楽しめてしまう。
本当に男の事を好いているのだと自覚しながら、男と繋いだ手を離さないまま目を伏せる。
目を閉じていても伝わる熱を受け入れながら、先ほどまで眠っていたというのに再び眠ってしまいそうだと小さく苦笑した。
別に眠ってしまっても一向に構いもしないのだが、少しだけ勿体無く思う自分も居る。


「……七夜……」

「……なんだ?」

「……体は大丈夫か」

「随分今更な事を聞くんだな、アンタも」


暫くそのままで居ると急に男が問いかけてくる。
その問いに目を伏せたまま答えると、其れもそうか、と男が聞こえないくらいの声で呟くのが聞こえた。
だが俺は別に男を責めている訳では無いので、更に続けて言葉を発する。


「別に責めているわけじゃないよ。……それで?わざわざ聞くって事は何かあるのか?」

「……もしもお前の体調が平気ならば今日は共に出掛けないか」

「嗚呼、良いよ。……でも何か買う物あったっけ」

「いや……別に買い物に行きたい訳では無い。場所は何処でも良い」

「それって……ただ俺と出掛けたいだけ?」

「……お前の体調が大丈夫なら、の話だがな」


まさかのデートの誘いに俺は目を開け、少し困った風な顔をしている男に軽く口付ける。
そうして顔を離すと自分でもきっと蕩けているだろうと分かるくらいの笑みを男に見せた。
二人で出掛ける事は今まで数え切れない程にあるが、男からのこういう誘いは久方ぶりの事で嬉しく思う。
大体俺と体を繋げた次の日の男は俺に異常な程気を使うものだから、恐らく男にしてみれば随分と我儘を言っていると思うのだろう。
しかし俺にしてみれば、其れくらいの事などまるで気にならない。
寧ろ、もっと男が俺のように我儘を言っても良いと常日頃から思っている位だ。


「じゃあもうちょっとしたら朝餉を食べて何処に行くか決めよう」

「嗚呼……そうだな」


困った顔をしていた男が何処か嬉しそうにしているのを見て此方まで妙に浮き足立った気持ちになってしまう。
何も変わった事は無いのに男と居ると日々、新しい発見があり、そうして『幸福』とやらを感じる。
今日は男と何処に行こうか、そんな事を考えながら俺はまた男に顔を近づけ、同じように顔を寄せた男と何度目かも分からない口付けをした。



-FIN-






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