くちなし




鬼である男とどういう訳か恋仲になったのは少し前の事で、今日も男の庵で自堕落な生活を楽しんでいた。
初めは街から庵に通うだけだったのだが、次第に行く回数が増え、紆余曲折ありつつも共に暮らし始めたのはより一層最近の話だ。
俺は自身の下に敷いてある畳の目を横たわりながら指先でなぞるように触れつつそんな事を思い返す。
そうして此方の頭を乗せている膝の持ち主である男に静かに問いかけていた。


「……なぁ、俺が来てからもう何日経った?」

「……昨日で丁度二ヶ月だ」

「……ふーん」


俺の上で書籍を掲げたままの男が此方の問いに正確な答えを返してきたのに満足感を覚える。
本当はここに来てから経った日数はまだ俺も把握していた。
ただ、敢えて男に問いかけたのはほんの少し、試したかっただけだ。
別に答えられなくても当然だと思っていたが、想像以上に男はまめまめしいのかも知れないと認識を改める。
まぁ、俺も男の一挙一足にこんなにも惑わされているのだから人の事は笑えないだろうが。
そんな事を考えていると開いていた書籍を閉じた男がその本を傍らに置いたかと思うと此方の髪に手を伸ばしてくる。
温かく乾いた指先が此方の頭を撫でてくるのに反応する為に横になっていた体を動かし男の方に体を向けた。
すると同じように此方に視線を向けてきた男の長い前髪がその顔を隠すのを見ながら静かに囁く。


「……どうしたんだよ、読書の時間は御終いなのか?」

「少し休憩する」

「全然素直じゃないなぁ、アンタ」

「……お前には言われたくないがな」


その拗ねたような言葉にくすくすと笑いを返すと髪に触れていた手を動かした男が頬に触れ、其処を確かめるように一撫でしてくる。
相変わらず何処か戸惑いを含んだその手付きは心地よく、温かい。
俺を傷付けやしないかと恐る恐る触れる男の感情がその指先を通じて伝わるからだろうか。
俺は男と同じように片手を伸ばして此方に下りている男の長い前髪の先にそっと触れた。
けして滑らかとは言い難いが触れ心地の良い髪に触れるのは好きだ。
それは今まで何度も繰り返した戯れのような殺し合いの中で男の魂の一端に触れ、その身体にも触れたいと願っていたから。
そうしてそれは俺だけでなく、男もまた、願っていたらしい。
だからこそこうして俺と男は可笑しいと思いながらも共に庵で暮らし、その温もりを手に入れたのだ。


「……軋間」


静かに男の名を呼んで髪に触れていた手を離すと、体を起き上がらせる。
そのまま男の隣に座りなおすと此方に手を差し出してくるので其れに応えるように更に近づきその腕の中に抱き込まれた。
何時でもこうして男に抱きしめられるのは『幸福感』を覚える。
この俺が『幸福感』なんていうモノを理解出来るようになった事がそもそも奇跡と呼べるだろう。
そうしてこの俺をまるで宝物か何かのように抱きしめている男に奇跡以上の愛情を感じている。
藍色の着物を纏った男の厚い胸元に頭を一度摺り寄せると顔を上げ此方を見詰めている男と視線を合わせた。
手を繋ぐのも、抱きしめあうのも、触れ合うだけの接吻をするのももう何度したのかも分からない位にはしている。
けれど男は何時だって俺を傷つけやしないかと心配しているのか、俺から誘わないと自分からは仕掛けてはこない。
其れをいじらしいと思いながら、俺はそっと男の頬に手を添えてから囁いた。


「じゃあ素直におねだりしてやるよ、……『キス』しようぜ?」

「……」

「……なんだよその顔、……」

「……お前は小賢しい奴だ」

「ハハ、……それって褒めてるのか……、……ん……」


口端を上げて皮肉げに笑ってみせると其処を塞ぐように唇を合わせてきた男がそのまま顔を上げた。
その顔は何処か苦々しげな顔しているものだから今度こそ噴出してしまう。
普段は其れこそ険しい顔をしている癖に、俺の前ではこんなにも表情を変えるのだから面白い。
そういえば男が初めて俺に触れてきた時の表情は今でも鮮明に思い出せる。


「七夜」


不意に名を呼ばれ、意識を目の前の男に向けると凝っと此方を見詰めてきた男がその瞳に緩やかな炎を灯している事に気がつく。
此れはもう少し先を望んでいるのかもしれない、と俺はぞくりとした痺れを背中に覚えた。
何時もは触れ合うだけの軽い接吻をするのが常で、深く口付けるのは衝動が抑えきれなくなりそうになった時だけだ。
本当は接吻などよりももっと深く男を感じたかったが其れはまだ早いと男が拒否をするものだから口付けだけで抑えていた。
これはもしかしたら、男がやっとその気になったのかもしれないと思いながら俺は挑発的に男を見上げて呟いてみせる。


「遂にする気になったのか?」

「……さぁな」

「なんだそれ……っん……!」


逆に微かに笑った男に誤魔化され、文句を言おうとしていた唇を塞がれた。
どうせまた触れ合うだけの口付けだろうと思っていたらぬるりと熱い舌先が此方の口腔に入り込んでくる。
そうして探るように舐られる感覚と共に回された手が腰を摩るのに自然と甘い声が洩れた。


「っ……ん、……っぅ……」


正直言って初めてした時の男の口付けは其処まで上手い訳ではなく、俺が指導してやるような形だったのだが回数を重ねる度に上手くなってきている。
恐らく男がその力の割に器用さも兼ね備えているからだろう。
次第に頭の中がくらくらとしてくるのをそう思考を重ねて必死に繋ぎとめるが結局息苦しくなって男の胸板を叩いた。


「……ぷは……、……は……、……は……」


透明な糸が合間に掛かるのを見ながら唇を離すと濡れた唇を舐めた男が緩やかに微笑んだ。
―――コイツ、もしかしたら俺より上手くなってやがる。
苛立ちと羞恥が混じった感情をぶつける宛ても無く、視線を逸らすと其れを追いかけるように男の囁きが聞こえた。


「大丈夫か」


その声には純粋に此方を窺う色が含まれているものだから、俺は逸らしていた視線を元に戻し荒くなった息を整えながら言葉を紡ぐ。


「……平気に決まってるだろ……、俺を舐めるな」

「そうか……ならば良いのだが」

「ったく……、余裕ぶってるんじゃないっつの……」

「……別に余裕がある訳では無い」

「……急にそういう所で素直になるのはズルイだろ……!」


何処か気恥ずかしそうにそう言った男に此方の頬が赤く染まる。
そうして男に聞こえない位の声量で一人囁くと男が微かに首を傾げたのを見て余計に恥ずかしさを感じてしまう。
デカイ図体をしている癖にどうしてこうもこの男は時折愛らしい姿を晒すのだろうか。
俺は堪らなくなって男の胸元に顔を押し付け広い背に腕を回し強く抱きしめる。
するとそんな俺の髪に口付けた男が嬉しそうに笑んだ気配がした。
その笑んだ吐息に、この男が好きで好きで仕方ないのだと改めて感じる。


「きしま」

「……ん?」

「……もうそろそろ良いんじゃないのか……?」

「……」


顔を隠したまま呟いた俺の言葉の意味を察したのか黙り込んでしまった男が此方の髪を撫で梳かしてくる。
そうして一つため息をついたかと思うと耳元で男が柔らかく呟いた。


「……そうだな」


本当にそんな答えが返ってくるとは思っていなかった為に顔をあげると照れたような表情を見せている男と視線が合う。
此れは今日の夜、触れ合う事になるだろうと確信めいた思いを持つ。
俺はその未来を無想しながら男の着物を縋るように握りこむと男の頬に軽い口付けを落とした。



-FIN-






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