カリオプテリス




「なぁ、一緒に昼寝しようぜ」


何時も通り書籍を読んでいたオレの隣に居た七夜が此方の着物の袖口を指先で引きながらそう囁いてくる。
普段はそんな事を言ってくる前に一人で勝手に眠ってしまうのだが、今日は余り構っていなかった為に構って欲しいのかそう言った七夜の瞳は此方の機嫌を伺う色を宿していた。
もう夏の暑さは為りを潜め、秋特有の心地良い温度が庵を満たしている。
―――オレが七夜の願いを聞き入れなかった事など今まで一度も無い。
オレは黙って持っていた書籍を閉じて畳の上に置くと、隣に居る七夜に視線を向けた。
そしてそのまま頷くと嬉しそうに笑みを見せた七夜が立ち上がるのに続いて共に立ち上がり寝室へと向かう。
簡素な障子戸で仕切られた寝室に入る為、先に其れを開いた七夜に続いて寝室に入り込む。
いそいそと押入れから仕舞った布団を取り出している七夜を横目で見ながら空気の入れ替えの為、雨戸と障子戸を開けたままだった縁側から差し込む日の光が室内を満たしているのを認識した。
何者にも邪魔をされない、拘束も疎まれもしない。
そんな微かな風に揺れる湖面を見つめているかのような穏やかな日々をこうしてこの子供と送る事になるとは夢にも思っていなかった。


「……軋間、用意出来たぞ」

「……そうか」

「どうした、ぼーっとして」


自然と体を外に向けていたオレの背後からかけられた声に振り向くと既に布団を敷き終えた七夜がしゃがみこみながら此方を見ている。
オレは七夜の問いには答えず、畳を踏みしめて七夜の傍に寄ってから布団の上に寝転ぶ。
すると少し驚いた様子を見せた七夜がオレの隣に同じように寝転び、此方に体を摺り寄せてくる。
其れを抱きしめると七夜が抱きしめ返してくるのが分かった。
昼寝したいという七夜の言葉が全くの嘘でない事は分かっていたが、それだけでは無いのも理解していた。
だから戯れのように触れてくる七夜の指先を受け入れる。
そのまま此方の肩から静かに腕を通り、手の甲に移動した冷たい指先が何かを描くように人差し指でオレの手の甲を撫でていく。
こそばゆくも心地良い感覚に身を委ねていると此方の様子を伺っているのかくすくすと笑いながら七夜が見つめてくる。
オレはそんな七夜の髪に顔を寄せ、口付けるようにするとくすぐったいのか一際七夜の笑みが大きくなった。
部屋の中で聞こえる微かな衣擦れの音と互いの息遣い。
それ以外に此処に存在するものは無く、安寧という名の空気が世界を満たしていた。


「軋間」

「なんだ……?」

「……呼んだだけだ」

「……そうか」


不意にオレを見つめながらオレの名を呼んだ七夜に声を掛けると少しだけ気恥ずかしそうにしながらも、答えを返してきた七夜に愛らしさを覚える。
ただ、名を呼ぶだけだが其れがどれ程の時間を必要としたのかオレ達は忘れてはいない。
仇であったオレ達がこうして共に暮らすようになったのは、かなり前のことだが其処まで紆余曲折あった。
初めは当然のように戦い合い、そうして何時しか話をするようになった。
それから名を呼び合うようになって、惹かれるまま触れ合うようになった。
葛藤も、逡巡も、数え切れない程にあったが其れでもオレは七夜の手を取ったのだ。
其れはきっともしもコイツを失って生きていく術が何処にも見つけられなかったからだろう。
傍に居ることが当然のようになって、いつの間にか七夜の存在がオレの生きる理由になった。
誰かに執着などする筈が無かったのに今はこの毛の一筋でさえも愛おしい。
オレの手の甲に触れていた手を動かした七夜が今度は指を絡ませてくる。
そして足先が触れ合う中で七夜の額に口付けると顔を上げた七夜が緩やかに吐息を洩らした。


「近頃、特に思うんだが……」

「ん?」

「目覚めた時に一番初めに好いた相手の顔が見られるって幸せな事、だよな」

「……」

「……なんで其処で黙るんだよ……」

「……いや、……随分と可愛い事を言うようになったと思ってな」

「……五月蝿いな……たまには良いだろ……」

「拗ねるな……、嬉しく思っているんだ」

「……っ……そうかよ」


想像もしていなかった素直な言葉に思わず口付けていた額から顔を離し黙り込んでしまうと、拗ねた様子を見せた七夜が囁く声が聞こえた。
なので思った通りの言葉を紡ぐと肩を竦めた七夜が絡めた指先に力を込めてくる。
そしてほんの少し赤みを帯びた頬を見ていると静かに瞬きをした七夜が此方を見上げてきた。
オレよりも色素の薄い灰色の瞳は何処までも真っ直ぐに此方を見据えてくる。
其処には恐れも嫌悪も無く、あるのはただひたむきなまでの優しい感情。
この中に宿る感情全てを理解出来る訳ではないが、其れでも恐らく他の人間よりかは理解出来ている筈だ。
だから七夜の今の言葉が本当に心から発しているというのが分かって、当たり前だが喜ばしかった。
何時まで経っても七夜の言動に感情が揺さぶられるのはやはり好いているからだろう。
そんな事を考えていると目の前の七夜が小さく欠伸をしたのが分かった。


「……ねむい」


オレはそう囁いた七夜に何も言わず、絡ませていた指先を離すと髪を撫でてから胸元に抱き寄せる。
そして七夜の欠伸に釣られるようにオレも出そうになる欠伸を噛み殺す。
少しばかり眠ろう、と伝えるように七夜の背に手を動かすとその背を撫でた。
黙ったまま撫でているとすぐさま小さな寝息が耳に聞こえてきて思わず笑ってしまう。
そのまま視線を動かすと柔らかな日の光が入り込み、木々の陰を壁に映しているのを見つけて、暫しその光景に目を奪われる。
こんな風に時間を過ごす事があるなんて、七夜と居るようになるまで知りもしなかった。
此れから先もきっと、こうして知らない経験を七夜と共に重ねていくのだろう。
其れは酷く待ち遠しく、また、楽しみだった。
その思考の合間にも規則正しく聞こえてくる寝息に引き込まれるようにオレも目を伏せ、七夜と同じように温かな闇の中へと自然と沈み込んでいった。



-FIN-






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