菫青石




ふ、と目を覚ますと体中が軋むように痛む。
そうして薄暗さの中、確認するように自分の身体を見ると清められ、 包帯が巻かれているのに気がついた。
着ている衣服は何時ものように男のシャツだろう。
俺はそんな事を思いながら身体を無理矢理動かし、どうにか上体をベッドから起き上がらせた。
滑らかなシーツは俺の身体を優しく撫でて、皺を残していく。
そして恐る恐る指先でワイシャツの襟元を引くと、赤い痕が恐ろしい程に残され、所々に噛み痕もあるようだ。
本当に昨日の男は何時も以上に執拗に此方を苛んできた。


(……それにしたって、……やりすぎだ、クソ吸血鬼)


内心そう呟いて舌打ちをする。
実際に文句を言いたくとも男はもう起きて隣の部屋にでも居るに違いない。
俺は喉の渇きを覚え、とりあえず立とうとベッドの端に腰掛ける為に身体を 動かす。
それだけでズキリと痛む身体に対しても舌打ちをしながら、両足を冷えた床につけ、 両手で尻をあげようと力を込める。


「……うお……!」


どうにか立ち上がることが出来、そのままドアの方向へとよろよろとした足取りで向かったが、途中で力が抜け、その場に倒れこんでしまう。
その際、近くにあったベッドに手を掛けたのだが、その努力も虚しくドサ、という音を 立てただけだった。
しかしその音を聞きつけたのか、すぐに閉じられていた扉が開かれ、ワイシャツにスラックス姿の男が入ってくる。
そうして床にしゃがみこむようにしている俺の姿を見ると、驚いたように呟いた。


「……何をしている」


俺はその問いに答える事無く男を睨みつけた。
すると男はそっと音も立てずに俺の傍へ寄り、しゃがみこむ。
そうして俺の両脇に手を差し入れ、軽々と抱き上げた男はそのまま再び俺をベッドの上へと下ろした。
俺は仕方なくヘッドボードに身体を凭れさせ、ベッドに腰掛けた男に向かって呟く。


「……喉、渇いた」

「少し待っていろ」


そうして唇から洩れ出たその声は自分でも驚くくらいに掠れていて聞き取り辛い。
男はそんな俺に対して一度手を伸ばし、髪を撫で梳かしてからそう呟いた。
そのままギシ、と音を立てながらベッドから立ち上がった男は入ってきた扉の横にある電灯のスイッチを入れてからその扉より出て行く。
途端に明るくなった部屋に目を細めてから、改めて自分の身体を確認すると 驚くくらいに赤が散っているのが分かった。
その余りの凄まじさに昨日の行為が思い出されて、羞恥に顔が染まってしまう。
しかしそんな事を考えていると閉じていた扉が開かれ再び男が入ってきて、 その手には透明なコップを携えていた。
そのまま先ほどと同じようにベッドに座った男は俺にそのコップを差し出してくる ので其れを受け取り、その中にある水をほぼ一気に飲み干す。
喉を滑り落ちていくその冷たさに喉の痛みが引いていくようだった。
そんな俺を横目で見ながら男が手を差し出してくるので空になったコップを 渡す。
男は受け取ったコップをベッド脇にあるサイドテーブルの上に置いてから此方を見遣ってきた。
俺はそんな男に向かって批判めいた呟きを洩らす。
まだ掠れてはいるが、先ほどよりかはマシになったその声が明るくなった室内に響いた。


「……やりすぎなんだよ、アンタ……」

「そうか?……これでも抑えた方なのだが」

「…………」


そう言ってベッドの上に身体を乗せながら、此方に迫ってくる男に俺は だるい足を動かして股間辺りを狙って蹴りを入れようとする。
しかし無言で此方の足首を掴んだ男に対し、俺も無言で足を動かしていると 流石に男は小さく囁いた。


「…………確かに、少々やりすぎたかもしれん」

「……だろうな、……それで?……何か言うことがあるんじゃないか?」


俺が出来る限りの笑みを浮かべながら囁くと、男は観念したかのように ため息を吐きながら包帯を巻かれた俺の腿を撫で摩る。
その労わるような手付きに怒りが微かに和らぐが、敢えて男から言葉を引き出す のも良いだろうと思っていると静かに男が顔を上げた。


「……まぁ、……次から気をつけよう……許してくれるか」

「…………ったく、……しょうがない奴だ」


珍しく素直に謝罪した男の上目遣いに俺は結局許してしまう自分を感じて、 ため息を吐きながら首を傾げつつ呟く。
そもそもこの男の本質は破壊と暴食であり、そうして獣なのだと分かっていて付き合って いるのだ。
だからこういう風に貪られる事も多々あることで、また、完全に俺が拒否反応を示したのかと言われれば嘘になる。
それに昨日はずっと仕事用の研究をしていた男が漸く此方に触れてきて、それに喜んでいた自分も居たのだ。


「……七夜」

「?……」


そんな事を考えていると俺に覆いかぶさるようにしてきた男に口付けられる。
流石に激しさは無く、柔らかく施されるその行為に身を任せていると、するりと男がその冷たい指先で俺の頬を撫でていく。
そのまま顔を離され、男の色素の薄い瞳と目が合う。
何時もは皮肉げに笑う癖に、ふと見せる笑みは何処と無く理性的で、そんな笑みが俺は好きだった。
そして俺にだけ見せるこの子供っぽい笑みもまた、良い。
……何時からこんなに男に囚われていたのだろう、そう思うくらいに。
俺は男の銀色の短髪を撫でながら、男の労わるような手を受け入れる。
どうせ放っておけば治る怪我にわざわざ手当てをしたり、気絶した 俺を介抱したりと昔の男では考えられない行動に俺は次第に慣れてしまった。
そうして男が傍らに居るという事にも。
最初はお互いに殺し合いを楽しむ関係で、けれどそれは男にとっての『死』 が『俺』だという勘違いに過ぎなかった。
しかし魔眼を持たぬ俺に突っかかってくる男をいなしている内に、次第に 触れられる事が増え、そうして男の手によって何度もこの身を壊されかけた。
その度に憎しみすら感じていたのに、最終的には男に絆されてしまった俺は 転がり込むように男の居住に共に住むようになり、今に至っている。
それほどまでに男が俺を求める熱量は恐ろしく巨大だったのだ。


「……」

「……どうした?」


そっと俺の顔に唇を落とす男を見つめていると男が訝しげに呟く。
俺はそんな男に対して、微かに笑いながら囁いていた。


「……なんか、……アンタ、たまに犬みたいだよな」

「……なんだそれは」

「…………ん?……そう思っただけだよ」


微かに眉を顰めた男の肩に腕を回し、その頬にそっと口付ける。
すると男は俺の耳元で愉しげに囁いた。


「また襲って欲しいのか?……幾らでも襲ってやるが」

「勘弁してくれ……というか、次やったら死ぬまで脳天串刺しにするからな」

「……それは困る」

「じゃあ大人しくしてろよ、……そうだな、……どうせだったら添い寝でもしてもらうか」


俺が顔を離すと男が微かに笑って、俺の上にから退き、その身体をベッドに横たえた。
キシ、と音を立てたベッドに俺もヘッドボートに凭れさせていた身体をずらし、横たわる。
そうして男は足元にある掛け布団を身体を曲げて上に引き上げた。
そんな男の胸に手を当てると男が柔らかくその腕で俺を抱く。
男に睡眠は殆ど必要無い。
けれど俺が眠る時には必ず俺の傍らに居る男に安堵しているのは確かだ。
そうして疲れている所為かすぐに降りてきた眠気に身を委ねるように瞼を閉じると、男がそっと呟く声が聞こえた。


「……よく眠るといい」


俺はその声に誘われるように柔らかく温かな闇に沈んでいった。



-FIN-






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