10.追い詰める


※微グロ表現あり



ひんやりとしたコンクリートの壁を背にして男と対峙する。
一体、このような状況に陥ったのは何度目だろう。
内心で舌打ちをすると、俺の心を見透かしたかのように男がその憎たらしい口元を僅かに吊り上げる。
足に絡みついた黒い影は、男自身だ。
もしも”向こう”の志貴と同等の力を持ち得ていたならば、この黒く絡みつくものを殺して、男すら殺してしまえるというのに。
しかし、それは叶わない。
何故?何故ってそれは、俺が不良品だからに決まっている。
元々、奴が正しく生きていたならば俺になっていたのに、そうはならなかった。
だから俺は存在している事が、まず可笑しいのだ。
奇奇怪怪、おぞましく、人の血肉を引き裂きその悲鳴を望む俺は、居てはならない。
まぁ、そういう理屈らしい。
興味は今も昔も無い。それはけして己を過信しているわけでは無く、(その証拠に俺は何度も奴を殺そうと試みている)そういうものだと 理解してしまえさえすれば、案外すんなりと己が心に収まってしまったのだ。
人間と呼べるかは別として、俺は意外と楽観主義で事なかれ主義者なのだ。
だが目の前の男に対してだけはそうも上手くいかない。
奴は一度、”遠野志貴”という名の俺に殺されている。
あれは不可抗力ともいえるのだが、その後互いに何の因果か復活し、出会ってからというもの俺はこの男に何度も付きまとわれているのだ。
今まで何度か逃げ切ったこともあるが、相手は四肢を切り刻んでも、頭を刎ねても、ものの何秒かで復活する正に、化け物の名を冠するに相応しい 男。
一介の幻影である俺が逃げ続けられるはずも無い。
だから何度かこんな風に男に捕らえられた事がある。
ところがこの男は何を考えているのか、捕まえた俺を何時も自身が満足する程度に甚振ってはその束縛から解き放つ。
この町での役目が終わらないかぎり俺は死ぬことが無い。
…………本来存在しないものが消える事を『死』と呼ぶのかは甚だ疑問なのだが。


「悔しいか、殺人鬼」

「あぁ、憎たらしすぎてアンタを殺してやりたいね」


男が音も無く忍び寄ってきて、目の前に立ちふさがる。
全身が漆黒に包まれたような男の肌は血の気の無い不健康そうな白さを持ち、月光を浴びた髪は銀色に光る。
目は髪と同じ色であるはずなのに、まるで何処に繋がっているのか誰も知らない洞(うろ)の如き暗さ。
その目は獣の色を秘め、愉しそうに俺の体を服越しに見透かしているかのように舐める。
この視線で見られる事でビクつく様になってしまった己が疎ましい。
それすらもきっと男には伝わっているのだろう。
そっと頬を男の冷たい手が撫でるように触れていく。
俺はそれから逃げるように顔を背けるが、そんな行為は大した意味など持たない。


「………この間は、ここを弄ったのだったか?」


頬を撫でていた手がゆっくりと下り、腹を少し強く押す。
それだけで、疾うに消えた傷口が疼いた。
この町に居れば死なない。つまりは直ぐに傷など塞がる。
それを男は利用して、散々俺の中をその冷たい手で掻き乱した。
ある程度の痛みならば耐えることが出来るが、あの時ばかりは低く獣のように唸る事を抑えられなかったくらいだ。
この男は、かなりの性的倒錯者なのかもしれない。
別にそんなのはどうだっていい。そのベクトルが俺に向かう事が、一番困る。
こんな事、奴にすれば良い。
身代わりにするつもりは無いが、俺と戯れるよりももっと愉しめるだろうに。
そう考えていると、その思考が勝手に唇を動かしていた。


「………アンタ、しつこいんだよ」

「しつこい、か」

「大体、なんで殺さない。何故、甚振る?そんな事に何の利益がある?……復讐ならば相手が違うだろう」


はき捨てるように言葉を紡ぐ。
全てを言い終わって、無様な自分に気がつき、なおさら腹が立った。
しかし男は今度は腹に当てていた手を上げ、此方の顎を掬う。
抵抗をしようかとも思ったが、男の顔に気圧されてそれは出来なかった。
何を俺は困惑しているのだろう、こんな化け物相手に。
男はゆっくりと俺に染み込ませるようにその低音で囁く。


「これは復讐などという下らないものでは無い」

「…………」

「こうすれば、貴様は私を骨の髄まで記憶するだろう?……痛めつけられた方が、貴様は記憶しやすそうだと踏んでいたのだが…………」

「…………は……?」

「いや、少しばかり痛めつけすぎたか。……人の限界なぞ疾うに忘れてしまったものでな」


理解できない。
記憶させる為に、痛めつける?何だそれは。
俺の中で甚振るという行為はただの暇つぶしか、快楽に添える調味料程度だというのに。
寧ろ、俺よりも人らしい男が、分からない。


「……もし、仮にそうだったとして……」

「あぁ」

「…………どうして俺なのか、という答えにはなっていない」


そう呟くと男は呆れたようにため息をついて、貴様は調教されすぎている、と苦々しげに笑った。
その言葉すらただ頭の右から左を通り過ぎていったにすぎず、上手く頭の中で消化できない。
男は音すら立てずに俺の耳元に顔を寄せる。



「…………私にとっての『死』は、あの時からお前だけだ」


ぐらぐらとその言葉が耳に押し入って、頭を揺らす。
漸くそれを分解した時、一番に思った言葉は、『重み』だった。
そうしていきなり視界が暗くなる。
それが男に抱き寄せられたからだと気がついたのは随分と後の事だった。


「…………そうして、きっとこれからは私がお前の『死』になる。…………絶対にだ」


骨が微かに軋む音すらする。
男に抱き寄せられているのに、触れた部分は何処までも冷たい。
黒い影はもうこの手を拘束していないのに、動かない。
その代わりに、体が僅かに痙攣し、傷口だったその場所が引き攣れるように痛んだ。



-FIN-








戻る