13 手を伸ばす


※『手の鳴る方へ』の続き(?)のようなもの



重い瞼を開ける。
体はまるで鉛のようで、寝かされているらしい布団の上から起き上がることも出来ない。
一体、何が起こったのか。
それは酷い悪夢のような、だがそれでもそれはまぎれもない真実で。


「……目が覚めたのか」


その声に震えた体を無視して視線だけを横に向ける。
そこには目も髪も真っ赤な男が立っていた。
其の目は酷く気だるげで、しかしその中には愉悦が滲んでいるのが良く分かる。
俺はそんな男と目を合わせているのが辛くて、そっと目を逸らした。
男は俺の考えを理解しているのか、ゆったりとした足取りで此方に近寄ってくる。


「……」

「なんだ、……壊れたか?」

「……うるさい……」


自分でも驚くほどに掠れた声でそう囁く。
男はそんな俺の悪態に逆に気を良くしたのか、こちらにその手を伸ばしてくる。
何度も蹂躙され、壊されそうになったその腕を払いのけたかったが、もう体が上手く動かなかった。
そうして何でもない風を装ってはいるが、内心、払いのけた後が恐ろしくもあったのだ。
今度はどのような責め苦を負わされるのか、そうして何度死んでしまいたいと思うのだろう。
……そんな空想が頭を掠めては消えていく。
まだ反論する事はできているが、それでも骨の髄まで優劣を滲み込まされてしまった自分は永遠に 男から逃れる事は出来ないだろう。


「…………まだ壊れないとは、やはりお前は苛め甲斐がある」

「…………」

「昨日もあんなに可愛く喘いでいたのに、最後まで折れなかったしな」

「…………」

「……泣き叫んでも良いのだぞ?もう絶望しかみえないだろう」


しかし今でも男が何を望んでいるのか分からなかった。
壊れたら壊れたで俺を迷う事無く切り捨てるだろうに、壊れて欲しいと願っているようなそんな 言葉。
まるで自分の力が絶対であって、及ばない事に恐れているようにも聞こえる。
それでいて何時までも遊べる玩具を必要としているのだから、やはり昔の男とは違う。
俺は疲れきった老人のように目を伏せ、小さく囁く。


「本当に泣き叫んだら、お前は俺を外に放り出すくせによく言うよ」

「…………」

「……それとも、……お前が飽きてくれるように、泣いてしまう方がいいのかもしれないな」

「……七夜」

「!……その姿で俺の名を呼ぶな、紅赤朱」


ぼんやりとしていた意識が浮上して、妙に苛立ちを感じてしまう。
だからつい刺々しい口調でそう言い放つと、急に体を起こされた。
目を伏せて眠っていたものだから、いきなりのその動きに堪えられず、脳が不快感を訴える。
だが文句を言う前に、そのまま男の唇が俺の唇を容赦なく塞いだものだから、何も言えなくなってしまった。


「……ふ……」

「……ん、っぅ、ん……!!」

「…………っは……」

「……ッ……は……はぁ……」


昨日よりかは随分かマシな口付けではあったが、疲弊しきった体にはそれだけでも苦しく、辛い物が ある。
しかし男は気にもしていないのか、ぐったりとして傷だらけな俺の体を抱き寄せ、その膝に乗せる。
そんな男の子供じみた動きに内心辟易していたものの、それ以上に男の独占欲のようなものを感じて しまって。
何から何まで、考えるのが難しい。もう考えるのを止めて、男の言うとおりに壊れてしまおうか。


「…………何故だ」

「…………」

「ただ俺は、お前を苦しめる事ができれば良い、苦しむ顔を見ているだけで良い」

「…………」

「その為にお前が壊れようとどうでも良い筈だ」


男の指先が戸惑うようにこちらに伸ばされる。
震えているらしい指先が俺の頬に触れ、そうしてそこを撫でていく。
その触れ方はまるで壊れ物を扱うかのような。
始めての感覚にぞくりと体が震える。
まるで甘い感情をゆっくりと体に塗りたくられているかのようで落ち着かない。
そんな事を考えていると男の顔が近づいてくる。
また口付けをされるのかと思っていると、そうでは無いらしく、男の唇が耳へと近づいてきた。
柔らかな吐息が耳を擽る。そしてそのまま男の唇が耳を食んでいく。
このまま耳を食いちぎられるのだろうかと思っていたが、その心配はただの杞憂だったらしく、 何度か舐られた後、そっと男の舌が離れていった。


「…………」

「…………」


くたりとしている体を男がきつく抱きしめる。
それは痛いくらいだったが、それを言ったなら男が泣くのではないのかと妙な考えが浮かんで しまって、言うのをやめた。
どうしてあんなにも酷い事をされて、醜い言葉を掛けられたのに俺は男に気をつかっているのだろう。
自分でも良く分からない。
ただ、何処までも子供っぽいこの男が迷っているという事実、そうして目覚めたときに清められ布団に 寝かされていたという事。
何より、『紅赤朱』と呼んだ際に男が見せた、深く傷ついたような表情が瞼の裏にこびり付いてしまって。
俺は何時からこんなに甘くなってしまったのだろう。
けれどこんなにも気にかけてしまうのは、この反転してしまった男に少なからず何等かの感情を抱いて いたからか。
―――もうその感情がなんだったのか、思い出せないけれど。


「ななや」


その三文字を愛おしそうに、それでいて忌々しそうに呼ぶ男。
きっと俺が自分の感情を理解出来ないように、自分の本能に溺れてしまった男はもはや 己の感情の機微など分からないのだろう。
それが酷く憐れに思えたが、元々壊れている自分が言えた義理ではなかった。
そんな当たり前の事実に気がついてしまって、俺は思わず小さな笑みを洩らしてしまう。
その笑みは、失笑と呆れを含んだ物であったのに男はそれを見て満足そうに笑って、俺の頭を 胸に抱き寄せる。
あんなにも殺したいと思っていた男の心音がこんなにも近くにあるのに、まるで興味をそそられなかった。


「……」

「……」


お気に入りの人形を抱いて、微笑んでいるかのような男から視線を外し、狭い部屋の中に唯一ある小さな窓に手を伸ばす。
だが男はそれを許さないと言わんばかりにその腕を絡めとり、口元へと持っていってしまう。
俺はもうそれを拒む事をせず、今度は指先を食む男を僅かに醒めた視線で見ていた。



-FIN-






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