15.撃ち抜く




「…………ッ……」


赤々とした炎に包まれた森の中、ずっと逢いたかった男の姿を見つける。
そうして男は俺を見つけたのかゆっくりとした動作でこちらに振り返った。
……対峙した瞬間に体を駆け抜ける衝撃。
男の片方しかない眼は何処までも深く、そうして激しい色を湛えて。
けれどそれはけして野卑な色ではなく、気高い色を宿している。
俺は黙ったままの男に向けてそっと自分の心情を囁いた。


「…………」

「……やっぱ、アンタ最高だよ」

「…………」

「理屈も何も無い、ただアンタに対峙するだけで体が震える」

「…………」

「もうダメだ、……我慢なんて性に合わない」


俺はぞくぞくとした痺れを抑えきれず、ポケットの中にある刃を取り出し構えた。
男はそんな俺の事を醒めた視線で見てくるくせに、その瞳の奥には隠しきれていない殺意が滲んでいる。
もっとその視線で俺を見据えて欲しい。そうして俺と戦えば良いのだ。
鬼の本性を隠す事無く、その気高い瞳を汚して。
例えば、俺の親父と戦ったときのような、そんな男を見てみたい。


「…………」

「何か話せよ、……それとも体で教えてくれるのか?」

「……五月蝿い小童だ」

「ふふ、……だってアンタが言葉を返してくれないから一人で喋るしかないじゃないか」

「…………」

「それとももう始めても良いのか?俺はうずうずしてるんだ」

「……良いだろう……引導を渡してやる」


その言葉に俺はまるで『待て』を解かれた犬のように薄く笑って前傾姿勢から一気に距離を詰めた。



□ □ □



「はぁッ!」

「……甘い……!」


思い切り刃を横に薙ぐがそれを男は当然のようにかわし、そのままこちらの腹に向かって強烈なストレートを放って、こちらを殺しに掛かってくる。
その動きは余りにも美しく見惚れそうになるが、見惚れている訳にはいかない。
身を捩ってその攻撃を避ける。
目の前で真っ赤に燃えた拳が通り抜けた後、煌びやかに火花が散っていく。
まるで男の目の中に映る炎のようだ。
それを見ながら俺はバク転をして男の手の届かない場所に逃げる。


「……っく、……くく」

「……」


そうして耐え切れない笑いが唇から漏れ落ちた。
どうしてこんなに愉しいのだろう。相手が強いからだろうか。
それとも男と、こうしてダンスのように戦えるからだろうか。
恐らく後者だろう。
―――けれど、何か違和感がある。


「……本当に、アンタと戦えるのが夢みたいだ」

「……そうか」

「そうか……って……アンタはそう思ってないみたいだな」

「…………」

「……まぁ、良いけど。どうせ俺は親父の代わりにもならないしな」


自分でも認めたくはないが、敢えてそう口に出す。
すると今まで殆どその表情を崩さなかった男がその表情を僅かに崩した。
しかしそれに気がつかないフリをしてそのまま話し続ける。


「……俺がどれだけ求めたって、アンタにとってはただの暇つぶしだろ」

「……おい……」

「…………嗚呼、なんか、興ざめしちまったな」


自分で自分をまるで価値の無い人間だと貶めているような気分になる。
そのせいで先ほどまで有り得ないくらいに高まっていた気分があっという間に冷めてしまった。
つまらない、くだらない、親父には当然及ばない。
そのような人間だと自分でも分かっている。
それを男に思われているのが何よりも恐ろしく、そうして我慢ならなかった。


「……七夜」

「……なんだよ」

「顔をあげろ」

「………」


するりと顔をあげる。前髪が顔にかかって僅かに鬱陶しい。
先ほどまで美しく燃え盛っていた世界は灰色にくすみ、その灰が上からまるで雪のように降りかかってくる。
…………これでは死後の世界だ。
そうして男と再び視線が絡む。またか、と思った。
男の視線に撃ち抜かれるたびに、気が狂いそうになる。
けれど始めの視線とは違う、其処に浮かんでいる感情はまるで哀れみのようで。


「…………」

「なんだよ、その顔……」

「…………」

「…………腹立つ」

「……」

「何か言いたいことがあるなら、言ったらどうだ」

「……」


そうやって黙っていたら、その瞳の奥にある思考を俺が読めると思っているのだろうか。
それとも俺に伝える言葉すら無いと言いたいのか。
苛立つ。俺に自分自身の思慮深さを押し付ける男も、男の考えが欠片も分からない自分も。
こんなにも男に焦がれ続けているのに、男にはそれがきっと伝わってさえいない。
どうして俺と戦っているのに、親父の影を俺に見るのか。


「……もう良い」

「…………七夜」

「良いって言ってるだろ……それ以上話すな、紅赤朱」

「…………」

「無駄口が過ぎた。……次は本気でいくぞ」


一切の感情を押し殺し、冷静な殺戮者になる。
先ほどまで体の全てを満たしていた興奮は消えうせていた。
今はただ目の前の鬼を殺して、全てを終わらせてしまいたい。
けれどそれは男の声によって再び妨げられる。


「お前は何か勘違いをしているようだな」

「…………」

「……オレはお前をきちんと認識している」

「……嘘付け」

「嘘ではない。……寧ろお前がオレを認識していないだろう」

「…………はぁ?」

「……確かにあの男は素晴らしかった。だからといってそれをそこまで意識する必要も無いと言っている」

「…………」


男の言っている事が良くわからない。
確かに俺にとって親父は尊敬の念を抱いている相手ではある。
勿論それはその殺戮の手腕であったり、その他諸々、しかしそれは当然といえば当然といえる事だろう。
そうしてそれは俺が男に抱く執着に少しばかり似ているのだ。
けれどそれが男に何の関係があるというのだろう。
……別に、男と戦っていた時に意識しているつもりは、無かったのだが。


「……分からないのならば教えてやろう」

「…………」

「お前の攻撃に迷いがあるのは、『あの男ならどうしたか』という事をいちいち考えているからだ」

「……そんな、事は……」

「……本当に……そうか?」

「……」


じわりと責めるようにそう言われて、思わず息が詰まる。
自分でも無意識に行っていた行動を指摘され、叱られているかのような気分だ。
冷静さを保とうとしていたのに、先ほど沈めた心が再び動き始める。
しかもそれは先ほどよりももっと酷い、まさに男によって無理矢理にたたき起こされてしまったかのよう な不快感を伴っていた。
俺は自分の掌の中にある刃が急に冷たさと重さを増したような気がして、その苛立ちをなるべく表に 出さないように我慢をしようと努力する。
だが男の刃のような視線に晒されていると思うと恐ろしくて、前を向いたのに再び俯いてしまうしかなかった。


「……オレは確かに意識していた」

「…………」

「けれどお前を一目みた瞬間、意識することなど忘れてしまった」

「…………」

「何故だか分かるか」


俺はそれに答えずにただ頭(かぶり)を振る。
それに答えるように足元の煤けた草が揺れているのが分かった。
そして視界が暗くなる。男の影の所為だろう。


「お前自身の力を見てみたかったからだ、七夜……志貴」

「……!」


肩に手をかけられ、顔をあげさせられる。
目の前には真剣な眼差しの男がこちらに向けて少し身を屈めていた。
それは即ち視線の高さが同じという事で。


「……分かっているのか?」

「……き……しま……」


その視線に体がビクつき思わず男の名を呼んでしまう。
途端に男の目に何か違う色が宿ったような気がした。
そうして男の片手が俺の肩から腕を滑り、俺の最後の矜持として握りこんでいた刃を取り上げてしまう。
待ってくれ、という前にそれは男の手によって少し離れた位置に投げられ、灰色の芝の上に突き刺さった。
それによって何とか保っていた何かが、ジリジリと男の視線によって焼かれていくような。


「…………」

「……何を……!」


男は黙ったまま俺の手に触れる。温かいというよりも熱いそれが絡んでくるのに動揺が隠せない。
この男が一体何を言いたいのかが全く持って分からない。
どうして男には俺の考えが知られているのに男の考えが俺にはてんで分からないのだろう。
その事実が酷く恐ろしかった。


「……随分と、怯えているようだな」


黙って男の挙動を見ていると、不意に男が馬鹿にしたかのように小さく笑う。
急激に恥ずかしさがこみ上げてきて、途端に頬が赤くなる。
なので必死にその俺よりも大きな手を振り払おうと体を捩った。
だが男を俺の力で振り払える筈も無く、逆にしっかりと抱き込まれてしまう。
その所為か男の心音が服越しではあるが微かに聞こえてきて、尚更、慌ててしまった。


「そう嫌がる事も無いだろう?」

「……うるさい!」

「……お前の方が五月蝿いようだが」

「……ッぁ……!」


男が顔を寄せたのか、低く掠れたような声が耳元で響く。
その所為で、自分のものとは思えないような声が出てしまった。
今すぐ舌を噛み切ってしまいたいくらいの羞恥に見舞われるが、男は何が愉しいのか逆に 笑っているようだった。
俺は苛立ちを隠すことも無く男に向かって声をかける。


「貴様、何を考えている!」

「さてな……」

「…………」

「そう睨むな、オレ自身よく分かっていないのだ」

「……分かってなくて良いから、いい加減離せよ……」

「そのような気分ではない」

「……はぁ?」


完全に気の抜けた声が唇から勝手にもれ出る。
もはや戦う気も無いのが男の声からも分かって、こちらとしても先ほどまで燻っていた 筈の敵意や殺意が氷のように溶けていくのを感じた。
少し痛いくらいに抱きしめられていて、本来ならば嫌悪感を感じても良い筈なのに、恥ずかしさを感じては いるものの嫌だとは思えない。
不思議だと思いつつ、男の真意を知る為にはこのまま暫く抱かれているのが一番良いような気さえする。
自分でも可笑しいと分かっているのに、男の視線に射抜かれた時から男に操られてしまったかのようだ。


「……七夜?」

「…………」

「……もう少ししたらもう一回戦うからな」

「……『もう少し』とはどのくらいだ?」

「…………俺の気が向いたら」


そうボソッと言うと男が薄く笑ってこちらの髪を撫ぜる。
まるで子ども扱いなこの状態に腹が立たない訳ではないが、俺を俺として男が認識してくれていた という事が理解出来た事に安心している自分が居るのだ。
まぁ男がどのように俺を認識してくれているのかは良く分からないが、これは追々聞けば良いだろう。
そう一人結論付けて、俺を抱く男の腕に身を委ねた。



-FIN-






戻る