※「――格子越しに触れる」の続き?のようなもの・見て無くても大丈夫です(現代物)
真っ暗だ。何も無い。
いや、あるかもしれない。
まるで水のようなさざめき音。
深い水底に突き落とされたかのような冷たさ。
けれど、胸のうちは酷く熱く、泣き出したくなるような、そんな。
……愛しい人を泣かせてしまった。
悲しませて、それで、俺は。
どうにも意識がはっきりとしない。
ただ、とても寂しいような気がする。
気がする、というのは俺にそんな感情があるとは思えなかったからだ。
七夜志貴としての俺に、感情などない。
あるのは殺戮に対する狂おしい程の熱情のみ。
そうだ、そうに違いない。
しかしどうしてだろう。
とても大切な事を忘れてしまったような―――
「…………」
ゆっくりと目を開ける。
そこには見知らぬ天井があった。
何度か瞬きをして、濁っている視界をクリアにしてみる。
……やはり知らない場所だ。
俺はとりあえず上体を起こして此処が何処なのかを確認しようと試みたが、それは俺自身の体に
よって拒まれてしまった。
「……ッ……!」
全身に響くような痛みが走り、両肘を布団について微かに起き上がった状態のまま動けない。
だがそんな状態のまま、何処に居るかすら分からないなどというのは不安すぎる。
首を回しながら辺りを見回し、気配を探ってみる。
すると、馴染みのある男の気配が俺の横にある障子の向こう側からした。
そこで漸く俺は自分の体を良く見てみる。
今着ているものは朽葉色の着物。
そうして全身には包帯が巻かれ、横には水差しや治療箱のようなものが置いてある。
第一に寝かされている所を考えれば、可笑しいと思うべきだったのだ。
だって俺の最後の記憶は男と殺しあった記憶なのだから。
そんな事を考えていると、ス、と障子が開いて、男が現れた。
俺は思わず此方に近寄ってくる男を睨みつけたが、男は意にも介さず俺の真横まで来て座る。
そうして胡坐をかいた男は呆れたように、けれど、何処か安堵を滲ませた声を此方に掛けて来た。
「……やっと目が覚めたのか」
「……どういうつもりだ」
俺は男の言葉に敢えて答えず、疑問を投げかけた。
しかし男は俺の傍にさらに近寄ってきて、先ほどから必死で自分の体を支えている俺を見透かしたのか、俺に手を差し伸べようとしてくる。
そんな男の同情から来る行為に酷く苛立った俺は、動けない分、半ば怒鳴りつけるように男に声を掛けた。
「ふざけるな!……一体……何のつもりだ……!」
「……口だけは達者だな」
「!?……うぁ……!」
支えようとしていたらしい男が急に苛立ったようにそう吐き捨てて、
いきなり俺の上に覆いかぶさるように圧し掛かってくる。
勿論、体が言う事を効かない俺はどうする事も出来ずに、路地裏よりかはよっぽど柔らかい布団に押し戻されてしまった。
目の前に男の顔がある。
確かに体も痛んだが、それよりも男の苦しげな瞳の方が余程気に掛かってしまって何も言えなくなってしまった。
それほどまでに男の視線が恐ろしく、また、此方を不安にさせてくる。
「……覚えていないのか」
「……何……」
「お前が倒れた時の言葉を、だ」
「……え……」
俺はそう言われて自分が男に首を締められ意識を飛ばす直前までを思い出す。
何と言っていただろう。
男に力の差を見せ付けられて、ずたぼろになった俺が、男に首を絞められ、そうして。
……息苦しい。胸が痛い。
それで、俺は、何と言ったのだったか。
「……七夜」
「……嫌だ」
「……忘れたのなら、それで良い。そう言おうと思っていたが……」
「……きしま……」
俺は痛む体を震わせ、逃げられる筈も無いのに首を布団の上で横に振る。
ただ単に擦れる髪が煩わしいだけで、男の視線も、俺の言ってしまった言葉も何も変わらない。
忘れてしまいたかった。
まるで何かに言わされるように魘されながら言った言葉だ。
……だから、あんなものに意味なんて無い。
「…………」
「……忘れてくれ……」
「……嫌だ、と言ったら?」
「あれに意味なんてない……」
「……お前に無くても俺には意味がある」
さら、と顔に掛かる前髪を除けられる。
今の自分の顔はきっと情けない顔をしているだろう。
どうして俺に言わせようとするのだろうか。
分かっているなら、放っておいてくれたらよかったのに。
「……意味って……?」
けれど男の言葉を捕まえて、続きをせがむ俺は、どうかしているのだろう。
此処で聞かなければ、自分のプライドを保てる事が出来ると分かっている。
分かっていて、それでも男の意味深な言葉に興味を持ってしまって、尚且つ、答えを聞きたいと願う。
先に男の言葉を聞いてしまえば、後から自分が何を言っても苦しまない。
……卑怯なやり方だな。と苦笑した。
「……聞きたいのか」
そんな俺の感情の機微をつぶさに理解したのか、男がからかうように問うてくる。
俺はそんな男を睨みつけるが、男は気にもしていないのか薄く笑って俺の横についていた腕を曲げ、俺の耳元近くまで近寄ってきた。
流石にそんな男の行動は読んでいなかったので、慌てて男の腕を掴んで押しのけようとする。
だが、元々力の差もある上に、ボロボロになった俺の抵抗など何の意味も無かった。
すぐ近くに男の顔がある。
否応無しに心拍数があがった。
「ちょ……っと……」
「……お前を見ていると」
「…………」
「懐かしい気持ちになる」
「懐かしい気持ち?」
「そうだ。……そして、気になってしまう」
「……なんだよ、……過去の償いをしたいって事か?」
そこまで言われて俺はそう結論付ける。
懐かしい気持ちというのは、一度会った事があるのだから当然だろう。
それに気に掛かる、なんていうのはただの殺戮願望か、もしくはただの同情。
俺の中ではその二つしか思い浮かばない。
そうして男は俺を助けたのだから、同情しかないだろう。
しかし男はそんな俺の心を読んだのか、敢えてそれには答えずに話を続けた。
「……だから、お前の台詞に自分でも驚くくらいに反応してしまった」
「…………」
「……それで……先ほどの話に戻るわけだが」
俺は思わず黙り込む。
正直忘れていて欲しかった。
体と顔を上げた男の視線が此方に向くのが分かるが、敢えて視線を逸らす。
恐らく男は己が先に言ったのだから、次は俺の番だと言うのだろう。
だがそっと男の指が伸びて、逃げようとする俺を引き戻す。
「……あれは……魘されただけだ……」
「ならば魘されてお前は……好きだの、寂しいだの言うのか?」
「そんな事……!」
顔に一瞬で熱が集まる。
けれど自分でも覚えていたからこそ、このような反応をするのだと男だって分かっているだろう。
首を絞められて息も絶え絶えなのに、男に対して吐いた様々な言葉は驚く程に思い出せる。
……だから嫌だったのに。
「別にお前を責めているわけではない」
「……じゃあなんだよ、……気味悪がってるのか?……それとも、……」
「お前は話を聞いていなかったのか?」
「……聞いてたけど……」
まるで怒ったかのような声を発した男に思わず体がビクつき、おずおずと答える。
すると男は小さくため息をついて、俺の顔を撫でた。
その慈しむような手管は、妙に此方の心を落ち着かせてくる。
遠い昔に、こんな事があったかのような……。
「……七夜」
「!」
不覚だ。
男に撫でられて、恍惚としたように目を細めてしまうなんて。
どうしてこの男の前では調子が出ないのだろう。
しかも湧き上がった感情を男に認められる前ならまだしも、自然に男がそれを受け入れて尚且つ俺を甘やかそうとするものだから、なおさらだ。
「……全く……こんな気持ちになったのは初めてだ」
「?……どういう……」
「……さぁな。……とりあえずお前の怪我が治ったら教えよう」
「怪我が治るまでって……それまで此処に居ろって事か?」
男の考えている事がよく分からない。
しかし男はそんな俺の頭を一旦撫で、俺の横に膝を立てていた状態から立ち上がってしまう。
簡単に離れていってしまう男に俺は自分でも情けないと思いながらも、声をかけた。
男はそんな俺の声に振り返り、そっと笑いながら答える。
「……勿論だ。……『一人は嫌だ』と言ったのはお前だろう?」
「……ッ……それは……」
「それに、そんなお前を放置できるような心境に無い」
「……だから……その心境を説明しろって……」
しかし今度こそ俺の言葉に男は反応せず、障子を開けて出て行ってしまった。
俺はもうどうにでもなれ、とばかりに柔らかな布団に体を預け、そっと瞳を閉じる。
何故だか夢で感じた焦燥感や、罪悪感は無い。
今はまるで長年の夢か叶ったかのような清々しさがある。
仇の男に殺されかけ、それでいて助けられて……そうしてうわ言とは言え、恥ずかしい台詞を吐いてしまったというのにも関わらず、だ。
先ほどの事などを思い起こして、再び顔に熱が集まっていく感覚がする。
あぁ、もう、考えるのは止めよう。
俺は男の匂いが微かに香るせいで再び高鳴った心音を無視しながら、眠りについた。
-FIN-
戻る