18.サイン


※眼球舐め表現あり



男に情事の後に抱きしめられるのが好きだ。
それは普段、余り言葉を口にしない男の深い欲と愛着、そうして執着を垣間見ている気がするから。
それほどに男は俺にべったりと張り付いて、その太い腕で俺を絞め殺さないように、だけれど 絶対に逃がさないように絶妙な力加減で抱きしめてくる。
しとり、と風呂に入った後の僅かに濡れた皮膚が乾いた布団の中でお互いを求め合うように 張り付くのだって、嫌いではない。
……勿論こんな事は男だから許している。
男以外に自分の体を良いようにされて、そのまま甘やかされ、二人で夜を過ごすなんて普通だったら 考えられないし、考えたとしても結末は何時も同じだ。
朝にはその相手の首から上は無くなっている。
ごそりと男が動いて俺の体を抱いていた腕が此方の少し湿っている髪を梳くように撫でる。
頭皮から感じるその温かさは、そのまま耳まで降りて、そうして後頭部へと流れていく。
その熱の移動を感じる度、男の例えようも無い愛を感じて、先ほどまでもっと淫らな事をしていた のに心がむずむずと擽られているような不思議な心持になるのだ。
言うなら、男と抱き合うのは本当に激しい波を一瞬で駆け抜けるかのようで、その後のあやす様な 行為は甘ったるい薫りを纏った霞の漂う波打ち際でゆったりと寝そべっている。
そんな、何処までもこの時間が続くと錯覚してしまうくらいに優しい時間。
だが俺にはそれはやはりまだ少しむず痒くて、泳いで何処かに行ってしまいたくなる。
それを男は見抜いているからこそ、その腕で俺を押し留めるのだろう。
此処に居ることが一番に幸福なのだと、まるでそれが世界の理であるかのようなそんな錯覚を起こさせるように。
一度瞬きをして目の前の男の瞳を見つめる。
窓に掛かった遮光用の布を通じて柔らかな月光が部屋の中に差し込んでいて、その黒曜石の如き瞳が 確かな命を宿しているのが良く分かった。
男の瞳は片方しかなく、それについて俺が酷い嫉妬の念を抱いているのも男は理解している。
自分の親に嫉妬するなど、本当に餓鬼だと自分でも分かってはいるのだけれど、どうしたってその傷をつけるのは自分でありたかったと思うし、今でも男を傷つけていいのは自分だけだと確信しているのだ。
何故ならそれ以外のビジョンが自身の中で上手く構築されないし、男にとってもそれは同じ事なのだから、 この世界に他者などが入り込む隙間など一片も残されては居ない。
だって、この二つの瞳に映るのは、やはり男しかいないのだから。


「……薄荷の味がしそうだな」

「?」


そんな事を考えていると不意に男がその低い声で愉しげに囁いた。
始めから男の声は独特の響きを持っているが、今は尚更その声が掠れを帯びていて耳に心地よく染み渡る。
しかしながら一体何が『薄荷』なのだろうか。
俺はその男の妙な言葉が理解出来なくて、男の腕に乗せていた頭を僅かに動かし疑問を示した。
男は俺の言わんとしている事が分かったのか、その口端を微かに動かして笑みを浮かべた後、囁く。


「……お前の瞳が、だ」


思いも寄らぬその言葉に俺は一瞬、きょとんとした顔をしてしまったが、すぐに男のように口端に笑みを 浮かべてから男の耳から落ちかけていた前髪を再び耳に掛けなおしてやる。
そして秘密を打ち明けるように小さな、けれど自分でも愉悦を滲ませていると分かる声音で男に向かって囁き返してやった。


「……さて、どうだろうなぁ……試してみるか?」

「そうだな……前々から気になっていたし」


くす、と互いに笑ってそのまま軽く唇を合わせる。
かさついているが、けして荒れてはいない男の唇が僅かに触れ、離れていく。
そうして俺の髪を撫でていた指先が俺の顎のラインを包むように撫で、一瞬逡巡を見せた後、男の赤い舌先がちろりと俺の瞳に触れた。
球体である瞳の上を、確かな感覚を伴って温い物体が撫でていくのは不思議な感覚で、興奮からか分からないが 背中にぞくりと痺れが走っていくのが分かった。
俺は何度か舐められた方の目を何度か瞬かせた後に男にそっと答えを促してみる。


「……で?」

「薄荷ではなかったな」

「そうか」


その答えで別に俺は満足だったし、男も疑問が解消出来て満足だっただろう。
それに何故男が一瞬の逡巡を見せたかの理由も俺には良く分かっていた。
別に、今の行為に嫌悪感を抱いたわけでも俺が嫌がるかもしれないと考えたからでもない。
男が失ってしまったのと同じ場所に、痕跡を残したかったのだろう。
だからどちらが俺にとって『男が失ったのと同じ場所』かを考えたに過ぎない。
先までの問答だって本来なら必要ではなかっただろうし、何も言われないまま同じ事をされても特に問題だとは思わなかっただろう。
ただ、俺達は意思がある生命であるが故に、どうしてもそこに理由が欲しくなってしまうのだ。
何も言わずに傷つけるより、先に理由を立ててから傷つけた方が、そこにある深い何かに互いに言及しなくて済むから。
根底に流れる醜い思いを、冗談めかした言葉で飾ってしまえばお互いにそこに流れているものが分かっていても何も聞かなくて済む。
わざわざこんなにも優しくて甘いまどろみの中に臥せっているのに、その最奥にある猛毒など表に出す必要など何も無い。
両者ともその毒に侵されている事は分かっているし、今の状態がその毒の上に成り立っている事も重々承知しているのだから。


「…………」

「…………」


男の指先が再び俺の髪を撫でる。
頭皮から、後頭部、そうして項に今度は温かな温度の流れを感じた。
俺は男の顎に手を寄せて、鼻先で僅かに掛かっていた髪を除け、僅かに隠されていた傷口を眼前に晒す。
潰され、そのまま碌な治療も受けていなかったせいか引き攣れているその傷口は、やはり嫉妬の念を覚えるも 、全くもって醜いとは思えない。
なので俺は舐められたお返しに、と軽い音を立ててその傷口に親愛の口付けを一つ落としたのだった。



-FIN-






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