19.抱き合う




「なぁ、軋間」


そう言って擦り寄ってきた猫を横目で見遣る。
その猫は僅かに肌蹴た薄い着物をするりと木張りの床に滑らせ、何かを企んでいるかのような 顔で笑う。
先ほどまで昼寝と称して眠っていたというのに、目が覚めれば甘えてくるこの気まぐれさは 本当に猫のようだ。
そんな事を思っていると腕に猫の細い指先が絡んで、そこに意識が向く。
もうこれでは読んでいた書籍に集中する事も出来ない。
内心そうため息を吐いて、両手で持っていた書籍に栞を挟んでから閉じ、横に置く。
すると小さな笑い声が聞こえ、オレはそれを諌めるように空いた片手で猫の柔らかな髪を撫でる。


「……全く、先ほどまで寝ていたというのに、お前という奴は」

「なんだよ、怒ってんのか?」

「……別に怒ってはいないが……」

「まぁ何時もアンタのが俺の事放っておくしな」

「……そうか?そのようなつもりは無かったが……」

「ごめんごめん、冗談だよ、……アンタは良くやってくれてるさ」


一瞬、不安にさせていたかと焦るが、幸せそうにそう囁いた猫に安心する。
なるべくなら寂しい思いをさせたくないのだ。この子供には。


「……七夜」


自分でもこのような声が出せたのかと思うくらいの声音でそう囁く。
今まで何かを慈しんだり、愛した事が殆ど無かった己にとって、こうして何かに対して 愛情を傾ける事は非常に新鮮で、神聖な事に思えるのだ。
そんなオレの声に微かに顔を赤くした猫……もとい七夜の方に向き直り、その両脇に 手を差し込む。
流石に驚いたのか七夜はその身を捩るが、すぐにそれも収まって、オレはそんな七夜を抱き寄せ 胡坐をかいている自分の膝の上に乗せる。
薄いその体は何時抱きしめても心地よい。


「……」

「……」


黙ったままその背に腕を這わすと、七夜の腕が伸びてきてこちらの首に回ってくる。
そしてそのまま甘えるように首筋に顔を摺り寄せてくる七夜に愛おしさを感じるのは仕方のない事だろう。
始めはあんなにも刺々しかった七夜が今ではこんなにも近くにいる。
そうしてオレがこんなにも近くに誰かが居る事を許容し、それを望んでいる、その事実がこれほどまでに 心震わせるものだとは思ってもいなかった。


「……軋間」

「ん?」

「……なんでもない」


そう囁いて七夜が小さく笑うものだから、オレはそっと目の前にある首筋を甘噛みした後、癒すように 舐める。
それに対して声は出さなかったものの、驚いたらしい七夜がオレの髪を引っ張るが、敢えてそれを無視して ただ抱きしめていた腕もその動きを変えてやる。
実はオレを勝手に放って眠ってしまっていた七夜に対して自分でも分からないくらいの不満を覚えて いたのかもしれなかった。


「んッ……ちょっと、軋間……」

「……」

「まだ俺、起きたばっかりなんだけど」

「……」

「……聞いてんのか」


だがその声も次第に甘い色を含み始め、止めるように引っ張られていた髪は優しくオレの頭を撫でていく ように変わる。
オレは食んだり舐めたりしていたのを一度止め、くたりとしている七夜を少し自分から離す。
僅かにその瞳は潤んでいて、それがまた堪らなく良かった。
暫し向き合っていると不意に七夜が薄く微笑む。


「……ック……」

「……なんだ?」

「……んん?……けだものみたいなやらしい顔してるなぁ、と思って」

「…………それは、煽っているのか」

「……さぁな、……まぁ、俺は事実を述べてるだけだよ」


そう言って七夜はしっとりとした動きでオレの頬に触れる。
本来ならばまだ夜にもなっていない時間でこのような淫らな事をする事は殆ど無いのだが、 今は抑える事が出来そうに無かった。
それに此処で据え膳に手をつけないのも、オレとしてはどうかと思ってしまうのだ。
……全ては、本能に流される事への言い訳に過ぎない。
分かってはいても何だかんだと理性を僅かにでも残しておかなければならないのが、辛いところだ。
しかし全てを捨て去っても何も残らない事は良く分かっている。
もう自身の手で何かを破壊するのは嫌だった。今が幸福であると感じているから尚更に。


「……」

「?!」

「何一人で考え込んでんだ……する気、無くしたのかよ?」

「……そう見えるか?」


いきなり襟元を掴まれ、軽い口付けをされた後、そう呟かれてオレは襟元を掴んできたその手を 掴み返し、指を絡める。
細い指先が確かな熱を孕み、こちらと溶け合う。
七夜は普段、体温が低いのだが、今は熱いくらいでその熱に溺れそうになる。
冷えているようでその実、熱さを持っている。
まさに七夜だと良く分かる。


「……そうじゃないなら、」

「……」

「……さっさとしろよ、……焦らされるのは嫌いなんだ」

「……お前は良く焦らすだろうに……」

「俺は良いんだよ、……アンタが焦れる姿が好きだから」

「…………それを今、言うのか?」

「…………」


そう突っ込むと黙り込んでしまった七夜をさらに煽るように絡めた指先を引き寄せ、滑らかな手の甲に 口付ける。
途端にビクリとオレの上に乗っている七夜の体が震えた。
その怯えているような様子につい、自分の心がジリジリと音を立てる。
やはり温和でいようとしても本質は何処までも加虐的なのだと思い知ってしまう。


「……おい、……アンタも意地が悪いな……」

「……悪いな、でも……今さらだろう?」

「……むぅ……」


その反応にオレは思わず笑みを洩らしてしまう。
オレが加虐的なのを隠しているように、七夜は七夜で子供らしさを抱いているのだから 面白い物だ。
しかし流石にこれ以上やると本当に七夜の機嫌が悪くなってしまうだろう。
―――それに苛めるのなら布団の中ですれば良いことだ。
そんな事を考えながらオレは絡めていた指を離し、合図をする。


「……っと」


それだけで七夜は理解したのかオレの上から退く。
そうして立ち上がったオレは完全に七夜から離れてしまう前にその手を取った。
別に逃げられないように、というわけではない。
ただ、このまま布団に行くよりも、互いに温もりを分け合いながらその場に行くほうが良いような気がしたのだ。


「……なんだ?」

「……別に……」

「……」


オレは不意に隣に居る七夜の頬にそっと口付ける。
それに対して七夜が素早い動きで此方を見遣ってきたのが分かったが、知らないフリをして そのままオレは寝室へと繋がる襖に手を掛けた。



-FIN-






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