02.口付けを落とす


(07.頬に触れる→02.口付けを落とす→27.許す の順です)



うっすらと目を開ければそこは赤く染まった森の中。
寝起き直後の上手く回らぬ頭で必死に状況を把握しようとしたが分かったのはそれくらいだ。
後、四半刻もすれば世界は完全に闇に包まれるだろう。
しかし、起こせと言った筈なのにあの鬼は一体何処に行ってしまったのだろう。
もしかしたら、俺を置いて帰ってしまったのかもしれない。
最近になって漸く奴に警戒心を抱かれる事無く近づけるようになったというのに。
……にしても、なんだかもう少し薄ら寒く感じても良いだろうに、背中が温かい。
その上何かが肩に乗っているような気もする。
なので恐る恐る顔を横に向けてみることにした。



(………何故、こうなる)



一瞬、体が強張りすぐに力が抜け、顔を前に戻す。
確か眠った時には男は本を読んでいて、俺はなるべくその邪魔をしないように木に凭れるように眠ったはず。
だが今では状況は一変していた。
何時の間にか俺は男の足の間に抱きかかえられ、これでは抱き枕の代わりだ。
もしかしたら男はそれが目的だったのかもしれないが。
それにしても、このような格好にする為には男が一回は俺を抱き上げたという事だろう。
それにすら気がつく事無く、ぐっすりと眠り込んでいてしまった自分に些か辟易する。
仮にも、暗殺者だというのにこの体たらく。
だが、それを何処か面白く思っている自分がいるのも確かだ。
ふと気がつくと男の腕が俺の腹をしっかりと抱きかかえていて抜け出すことも出来そうに無い。
どうせだし、何時もはゆっくりと観察することの出来ない男をじっくり見てやろう、なんていう思いが生まれてしまった。
出来るだけそっと、俺の腹に回っている男の腕に指を這わせてみる。
それは皮膚越しにでもはっきりと分かるほどに鍛え上げられた肉体をしていて、訳の分からぬ苛立ちが頭を過った。
しかし暫く撫で擦っていると、己よりも遥かに高い体温を感じて苛立ちを消し去ってしまう。
今の俺の頭を覆う感情は一体何なのだろう。自分でも分からない。
くすぐったいような、それでいて、何処と無く温かい。
こんな感情は、男と出会うまで知らなかった。
そもそも男に着いて回っているのも始めの内はただの戯れだったのだ。
そして、もしも機会があれば、男を殺してしまっても構わない、そう思っていた。
大体男がこんな戯れに付き合うなどとは端から思っていなかった。
ところが、俺の予想と違って、男は俺の戯れに嫌々ながらも付き合ってくれている。
無論、男は俺を疑っていたのか何度か殺されかけたし、追い返された時もある。
何故その時に俺は黙って殺されかけたり、追い返されても、また次の日には何事も無かったかのように男の前に現れたのかは 自分でも分からない。
でも、男は俺を虐げる度に、悲しそうな目をしていた気がするのだ。
だから俺は、柄にも無く男が気に掛かってしまって、追い返されても追い返されても、次の日には何も無かったように少しだけ 笑って現れる。
すると男は、嫌そうに、だが何処か安心した表情をするものだから俺も嬉しく思ってしまったのだ。
そして男は次第に俺を試すような事をしなくなった。
そうしてその分、俺がしたいという事や、何気なく言った言葉を覚えていて、色々な事をさせてくれる。
男は素直では無いのか、『仕方が無い』と言いながらも結局は俺を立ててくれるので何だか笑ってしまう。
…………男の前で笑えばそれこそ本当に臍を曲げてしまうだろうからしないが。
ともかく、今の俺にとって男は他の人間とは何かが違う。
何処か違うのかと問われれば、答えに詰まってしまうだろうが、ともかく、違うのだ。
側に居るだけで、胸の辺りがぼんやりと温かくなる。
冷たくされれば、何かに刺されたように痛んだり、優しくされれば、何時もはほぼ一定の心拍数が途端に跳ねあがる。
可笑しくなってしまったのかもしれない。と思った時もある。
だがこの可笑しさは、失いたくないのだ。



(こう思う事自体、可笑しいのにな)



口元を少しだけ歪めて笑う。苦笑と失笑の混ざった笑み。
これでは最早、殺人鬼でも何でも無い。
だが最近は自分がこのまま何か違う物になってしまっていく過程が恐ろしくも、愉しい。
この先、殺人鬼としての己が無くなって一体どのような『七夜志貴』となるのか。
それは俺にも、ましてや男にも分からないだろう。
爪の先から、頭の先まで作りかえられるとして、そこに男への気持ちが残っているならば、それだけで、良い。



「本当………可笑しいよな、俺も、お前も」



起きている筈の無い男にそう呟く。
案の定男は微動だにせず今だ眠っているようだった。
男の髪が俺の頬と肩に触れているのが分かったので、それを確認するように顔だけを横に向けてみる。
目を瞑ったままの男は心なしか何時もより穏やかな顔をしていた。
眉間に寄せている皺も、今は大分和らぎ、薄く開いた唇からは寝息が聞こえてくる。
その顔を見ていると、なんだか無性に胸が熱く、そして心臓が胸を飛び出してしまいそうな程高鳴ってしまう。
今ならば、何かしても問題ないのでは無いのか?
そんな思いが頭を占める。
特にこれと言ってしたい事も無いのだが、今しか出来ない事の中で、したい事と言えば―――



「…………寝てる、よな?」



完全に事後確認だと自分でも分かっているがそう呟いて見る。
今、自分がしたい事、と考えて俺が出した結論は、男に口付ける事だった。
本当に一瞬、時間にすれば一秒も経っていないだろうそれは、俺の顔を赤くさせるには充分な威力。
何故そんなことをしたかったのかという明確な理由などない。
ただ、目の前にいる男に触れてみたかった。
本当に、どうかしている。
俺は先ほどと同じように男に背を預け、赤くなっている顔と、激しく打つ心臓を治める為に目を伏せて時が経つのを待つ事にした。



-FIN-








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