20.シーツに包まる




「七夜、寝るなら布団で寝ろ」


夕餉も取り、風呂やその他諸々の事も済ませ、後は何時眠っても大丈夫というゆったりとした時間の中、目の前に居る七夜の目が何と無く眠気を宿しているのに 気がつき早めに声を掛ける。
普段は何かと大人びた立ち居振舞いをする癖に、睡魔にだけは両手を上げて降伏してしまうほどに弱いらしい。
オレにして見れば、どうしてそこまで眠れるのか、とも思ってしまうが、それはただ単に怠けているわけでは無く、 元々悪夢として呼び出された存在である七夜が己の力を最小限に抑え、現世に居やすくしているのだろう。
まぁ、少なからず七夜本人の性格も関係していないとはいえないだろうが。
そしてそれに加えて今日は珍しく遠出をしたものだから更に負荷が掛かっているのだろう。
最早こちらに返事を返す気も無いのかぼんやりとしている七夜の側に寄り、意識をこちらに戻そうとその頬に触れてみる。
何度か撫で擦ると、まだ風呂に入って間も無いからかふわりと石鹸の匂いが鼻を擽り、髪の先が僅かに湿り気を帯びていた。
きちんと乾かせと言ったのに、面倒になったので途中でおざなりにしたのだろうと一人納得する。
風邪を引くからちゃんとしろ、と言っても面倒だなんだと理由をつけて放って置くものだから結局は何時もオレが乾かしてやることに なるのだ。
それを手が掛かると思いつつも、何処か甘えられている風に感じて、つい甘やかしてしまうオレも悪いのだが。
しかしそう考えながらも七夜の肩に掛かっている白い手布の端を掴み、そのまま毛の先を緩い力で拭いてやる。
その間中も七夜は一言も喋らなかったが、心地よさそうに目を細めている様は、まるで喉を撫でられている猫のようだった。


「…………ほら、終わったぞ」

「…………ん」


そうしてそのまま手櫛で髪を整えてやり、髪型を崩さない程度に頭を撫でてやる。
最近気がついた事だが、自分のお世辞にも滑らかとは言えぬ髪とは違い、柔らかく細い七夜の髪を触るのが好きなようだ。
気がついた、とは言ってもオレ自身が気がついたのでは無く、ずっと触られている事に業を煮やした七夜に問われて無意識に触っている自分に気がつき、そこから理解したのだけれども。
その時、僅かに黙りこくってから『触るのが癖になっている』と呟いたオレを少しばかり凝視した後、『まぁ良い』と呟き返した七夜はそれからというもの、幾ら髪を触っていても何も言ってこなくなった。
正直言って、オレが髪を触っている時に七夜は此方の手を触っているのだからお互い様だ。
…………それを言ってしまって七夜が無意識に触れてこなくなるのは嫌なので随分と長い間、胸の内に秘めているのだが。


「これを洗濯場に置いてくるからそれまでに布団に入っていろ」


向かい合わせになっていた状態から、立ちあがり七夜を見下ろしながらそう言う。
聞いているのかいないのか、僅かに頷く素振りを見せた七夜を一端視界から逃した後に、その場からも離れ、この小屋と外に通じる引き戸付近に置いてある大き目の桶の中にそれを入れる。
そろそろ洗濯物も溜まってきているので明日にはやらねば、とため息をついて辺りを確認するように見まわす。
明日の朝餉は今日の夕餉の残りで良いだろう。
飯は何時だって朝早く起きて鍛錬の後に炊いているので今日は炊かなくて良い。
洗い物はきちんと片付けてあるようだし、(食事の片付けや掃除は七夜が請け負っている)問題は無い。
最後に竈の火の元を確認してから居間として使っている部屋に戻ろうとそっと踵を返す。
もしもここが火事になってしまえばオレと七夜は途端に行く宛てを無くしてしまう。
だからこそ気をつけなければと何時も寝る前に確認を怠ることは無い。
こんな事をしているとまるで自身が主婦というものになったような気分になるが、家族や愛する者を守りたいとして行う事なのは変わらないのだろう。


(…………流石に布団には向かったか)


居間に戻れば先ほどまで居た七夜の姿は無く、一足先に布団に向かったのだろうと納得して点いたままの燭台の灯りを消す。
そして真っ暗になった部屋の中でも利く目を凝らし、七夜が居る筈の寝室に向かえば部屋のほぼ中心に敷いてある布団が僅かに 盛り上がっているのが分かった。
もうとっくに眠ってしまっただろうと成るべく音を立てないようにその布団の端から潜り込む。
すると暗闇の中で七夜と目が合った。



「…………遅い」


「……先に眠っているものかと思っていたが……」



そう答えると七夜がこちらの胸に擦り寄ってきたので、何時ものようにそれを包むように受け入れた。
そして、七夜が当然の如く頭を上げたのでその下に腕を潜らせ、腕枕をするのも忘れないようにする。
何時も思うのだが、俺の腕はどうみても寝心地が良さそうには思えない。
だがこうしないと七夜は落ち着かないのだそうだ。
俺は腕枕をしていない方の手で七夜の肩から上り、髪を撫でる。
すると七夜が俺の足に自らの足を絡ませ、さらにこちらに近づく。
七夜は夏も冬も体温が低い。なのでこうして足を絡めてこちらの熱が伝わるのが心地が良いらしく、何時も絡めてくる。
唯一、七夜の体温が上がるときと言えば、風呂あがりの僅かな時間か、夜の情事くらいか。



「…………また、髪触ってんな……」



思わずその時の痴態を思い浮かべそうになった瞬間に七夜に声をかけられ、我に返る。
嫌だったのかと手を離そうとすれば、逆に手を捕らえられ、髪の上に手を押し付けられてしまう。
なのでその要望に答えるべく、再び髪を梳くのを再開すれば、もはや消え入りそうな声で七夜が囁いた。



「…………触られてばかりだから、……逆に触られてないと落ち着かなくなった…………」



どうしてくれる、という前にほぼ閉じかかっていた七夜の瞼が完全にその灰色の目を覆い隠してしまう。
俺はこちらの手の上に添えるように置かれた手を取り布団の中に仕舞ってやる。
始めの内は人に触られるのを嫌がる素振りを見せていた七夜が、触られないと落ち着かないという所までになってしまった というのは、何か分からぬが心に響いた。
また、それが俺でなければならないという所にも。
そうして俺自身も、この手に触れる事が許せるのは七夜だけだろう。



(寝るか)



便利な暮らし振りと同様に、幸福がこんなにも側にあるという事実にどう対処したら良いのか未だに分からない事も多い。
だが、きっとこの手を離さなければその幸福を逃す事は無いのだろう。
俺は眠りについた七夜が苦しくならない程度に、だが、先ほどよりも強く抱きしめ、自身の瞼を降ろした。



-FIN-




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