23.騙す


※キャラ崩壊注意!



苦しみを抱えながら、生きる。
しかし苦しみとは一体どのようなものなのだろう。
言葉でならば、幾らだって言えてしまう。
苦しい、と一言吐露してしまえば、それはそう認識される。
例えそれが違う物質だったとしても、自己暗示のように、己が心に刻まれる。
そうして日々を重ねていく事が、人生と呼ぶものなのかもしれない。
今が、幸せなのだと、今が、苦痛なのだと。
そう認識することによって、今の自分が何処にいるのかが分かる。
認識が出来ないならば、呼吸すら上手く出来ないだろう。
その点、俺は少しばかり楽をしている気がする。
俺は自分が見たくないものや、要らなかったものを押し付けてしまえる相手がいるのだから。
そして、その相手を俺は嫌悪している。
自身の醜い部分をまざまざと見せ付けられているようで気分が悪いから。
けれど、完全に殺してしまうことは無い。
俺は残念ながら『全てを殺してしまう目』を持っている。
これは別に俺自身が望んだことでも何でもなく、まさに運命としか言いようが無いのだが、ある日突然、世界すら殺してしまえるようになったのだ。
それを恨まなかったといえば嘘になる。
自身の体を這う『死』や、己の全てを取り囲むものの『死』を誰が見ていたいだろう。
何時か全てが崩壊する事など、分かっている。
それは当然の事として、大抵の人間は理解している筈だ。
だが、普段はそれを意識したりなどしない。
意識してしまえば最後、狂ってしまう。
この不確定で、不安定な、まさに砂上の楼閣の如き世界に佇む、『確実に死ぬ』と決まっている己が姿。
それを想像するのは、とても簡単で難しい。
だから、人々はそれらを常に意識しないように必死に意識を反らせる。
まだまだ、それは先のことなのだと、そう自らに言い聞かせる。
しかし、先生に会う前の俺はそれを強制的に、そして視覚的に見せ付けられていたのだ。
もしかしたら、少しばかり可笑しくなっていたのかもしれない。
幼い頃に『落書き』と称していたそれらを俺は常に消したいと思いながらも、また、それを見ることの出来る自分に微かな優越感を感じてもいたのだから。
未だに上手く回らない頭を回すためにこんな意味の無い思考を展開しながら、そっとため息をつく。
もう夏も終わり、僅かに冬の気配を見せ始めた町は何処か物悲しく、そして懐かしい雰囲気を漂わせているが、俺が座っているベンチが ある公園は完全に薄暗く何処か陰惨だ。
別にここが賑わっていない忘れ去られてしまった昔の残り香である事は否定しないが、何よりも今は日も暮れ、街灯がぽつりぽつりと辺りを照らしているのみ。
寧ろこんな時間にこんな所に座り込んでいる俺の方がよっぽど可笑しい。
もし此処に警官でも通りすがったならば、確実に俺は補導されている所だろう。


(そうなったら、秋葉に怒られるだろうなぁ……)


きっと怒られる所の騒ぎでは無いだろう。
もしかしたら、暫くは家から出してもらえないかもしれない。
そこまで考えて苦笑する。
けれどそれを押してすら、俺には此処に居なければならない理由があるのだ。
目の前の空間がいびつに歪む。
まるで何処か異世界に繋がってしまったかのように空中の一部が渦を巻き、そうしてそこから産み落とされるように一つの影が出てくる。
そいつが発する言葉は、何時も同じだ。


「…………眠い……」

「……すぐに眠らせてやるさ」


青い学生服に身を包んだ、俺とまったく同じ顔をした男は地面に座り込んだ状態で何度かその瞼を瞬く。
そうして漸く理解したのか、そっとその体を起こして、同じように皮肉めいた笑みを浮かべるのだ。


「……またお前か、…………いい加減、決心したらどうなんだ?」

「…………煩い」

「…………全く、お前の気まぐれに付き合わされる俺の身にもなれ」

「…………」


その言葉には応じない、とばかりに俺が刃物を取り出すと、男はため息をついてズボンのポケットから俺が持っている刃物と同一の物を取り出す。
目の前の男を見ていると、酷く胸の奥がざらついて、脳髄が焼けてしまいそうな感覚を覚える。
俺はそっと刃物を持っていない方の手で、自身の眼鏡に手をかけ、刃物の代わりにそれをポケットに仕舞い込んだ。
きっと、この光景を見た人間が居たならば、余りの可笑しさに自身が幻覚を見たのだと思うだろう。
同じ顔をした人間が、まるで鏡に映したようにそこには居て、今、まさに殺し合いを始めるのだから。
しかし、この勝負は何時だってそんなに長い時間はかからない。
眼前の男は何時だってこちらをからかってから、その身を引き裂かれて消えていくのだから。
勝ち目が無いことが分かっている、その昔、男は言った。
そして、どうやったら己が勝てるかという事をも知っている、と。
そんな事、俺が一番分かっている。
だからそうやって何もかも掌で弄んでいる、という顔をする男が憎たらしくて仕方が無い。
そして男は俺がそう思っている事を知っていて、わざとそういう顔をする。
何処まで経っても堂々巡りだ。
…………それを望んでいるのは、俺だとその目は語る。
何もかも不愉快だ。


「…………ッ……」


男の苦しそうな呼吸音が耳音に響く。
しかしその声には何処か喜悦が滲んでいた。
今宵もまた、俺はこいつを殺せない。
それを分かっているからこそ、男は何処までも愉しそうに笑うし、俺は何処までも苦々しげに眉を顰める。
僅かに線も、点からも外して突き刺した刃物が手の中で滑った。
このまま、俺を突き刺し返す事も可能な癖に、肩に圧し掛かってくる男の腕は動くことをしない。
その代わりに、低く掠れた声が耳を擽る。


「…………また……殺せなかったなぁ…………?……兄弟?」

「…………」

「ずっと、この遊戯を続けるつもりなら……そろそろ、俺も、飽きてしまいそうだ……」

「…………うるさい」

「次は、何時だ……?……明日か?……それとも明後日か?…………なぁ?」

「…………黙れ、殺人衝動如きが……」

「…………それを、取り込むことも、破壊する事も出来ない奴に、言われたくない」


ぎりりと確かな感覚が肩に食い込む。
その通りだ。と思う。
この男との戦いを望むのは、俺のほうだ。
殺しきれずに、中途半端に殺しかけては、またこうやって呼び出している。
そうして、自分は可笑しくないのだと、可笑しい方法で確かめている。
俺はまた、何時ものようにその血で彩られた男の顔を引き寄せてその甘い声を囁く唇を塞いだ。
そこまでが、一連の儀式であり、果てしない連鎖の終わりと始まり。
殺しきれないのは、怖いからだ。
自分が、上手く自分を騙せなくなるのが恐ろしい。
そうして、この男を、この手で消し去ってしまうのが恐ろしい。
だから男は、俺に勝つ方法を知っている。と言う。
だから、そんな事は俺が一番よく分かっている。
どうしようもない葛藤とも呼べるこの感情を捨て去ってしまえたならばどんなに楽だろう。
どれ程の、苦しみが消えるだろう。
けれど、それでは生きてゆけない。
何処に居るのか分からない、赤子のようになってしまう。
男の俺の肩に食い込んでいた指がそっと頬に触れる。
こうして微かな余韻を残していく、男は何を考えているのだろう。
しかしそれだけで呼吸が楽になる自分がいるのも確かだ。


「…………それじゃあ、またのお呼び出しを楽しみにしているよ…………志貴?」


そう言って、男は影すら残さず消える。
俺の衣服や刃物に付いていた男の血液は何事も無かったかのように消えうせ、後には街灯に群がる蛾の羽音と、何処からか聞こえてくる車のエンジン音、 世界中に充満している『死』だけがその場に残っていた。



-FIN-








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