27.許す


(07.頬に触れる→02.口付けを落とす→27.許す の順です)



それは余りにも一瞬の事過ぎて、始めは夢を見ていたのかと思っていた。
しかし目を伏せたまま聞いていた言葉の数々は幻聴と言うには無理なほどの肉迫さを持っていたのだ。
そうしてあの日から、奴はぱったりと姿を見せなくなった。
去り際、何時ものように笑って、何時ものように軽く手を振り帰って行ったというのに。
始めの内は、何か用事でもあるのだろうと思って気にしていなかった。
しかし何日も何日も来ない奴の影を木の傍らに見ながら、何時しか諦めている自分を感じていたのだ。
そもそも奴がオレの前に現れるのはただの戯れに過ぎず、何時かは飽きるだろうと心の何処かで考えている自分が居て、 またそれは仕様の無い事だとも理解している、つもりだった。
最初から最後まで自分勝手で、何度追い払っても、何度殺してやると脅して見せても、奴は何時だって笑って現れては、するりと 手から滑り落ちる絹のように消えてしまう。
そして、よくよく考えてみればオレは奴の事をそこまで知っているわけでは無かった。
奴がどのような所でどのような暮らしをしているか、そして何を好み何を望み、何を厭うのか。
何一つ明確には知らない。
それに気がついた時、オレは愕然としたのを今でも覚えている。
何時だって不敵に笑って、それでいてふと見せる笑顔はとても無邪気だった青年の事を俺は何一つ理解していなかった。
何一つ、というのは少し大袈裟かもしれないが、一番大切な、奴の気持ちを推し量る事が出来なかったのだ。
あの夕闇が覆う森の中で、震えた声で呟いた奴の言葉を忘れることなど出来ない。
そして、可笑しい、と否定され軋んだ自身の胸の事も。


(…………もう奴は来ないのだろうか)


考え込み自然と伏せていた目を開ける。
辺りはまだ日が高く、柔らかな朝の光に包まれた森の中。
足元には青々とした芝生が敷き詰められ、ぐるりと円状に木々が生い茂っている。
そして一際開けたこの場所からは触れる事は叶わないが、此方からは見えない端の方に名も分からぬ花がひっそりと群れているのだ。
何時だって、この場所で奴が来るのを待っていた。
始めはそのような事を考えてここに居たわけではないのだが、日を重ねる度に奴が来るのを 待つ為に俺はここに居たのだ。
少しずつ山を登ってくる足音を遠く聞くだけで何処か安堵感と、期待感が胸を満たし始め、木の影から奴が何時ものように少しだけ笑って現れた時、そっとその笑いに心内で微笑み返していた。
無論、表面上は何時もと同じように仏頂面をして、それでいて奴が座るための場所を開けているという自分でも天邪鬼な行動をしていたと思う。
屈託無く笑う方法など、知らなかったのだ。
そうして、来てくれる人間を素直に受け入れる術も。
………拒絶していたオレを、拒絶する事をしなかった奴は、内心傷ついていたのかもしれない。
そっと息を吐いて、何時も奴が登ってくる方向を見ながら二、三度瞬きをする。
こんなにも美しく、また清らかな景色の中にいるというのに、心は何処までも鬱屈として、目に浮かび上がる世界は何処か濁って見えてしまう。
奴と共に見た世界は、何処までも深く、それでいて崇高な美しさと温かさを持っていたというのに。
そしてこの間、気まぐれで抱きしめた奴の体温が腕に残っている。
オレの腕を撫で擦って行った指の心地よい冷たさも、羽毛が掠めていったのかと思う程に僅かな感覚で触れ合った唇も、何もかも先ほど起こった事のように、思い出せるのだ。
だがもしも、このまま奴が来なければこの記憶すら薄れて消えてしまうのだろう。
一夜の夢では無い筈の現実が、時を重ねて、白昼夢に変わってしまう。


「可笑しいと、お前は言ったな……七夜」


ぽつりと口から勝手に言葉が滑り落ちて行く。
オレは腕を地面につけ、座禅を組んでいた足を崩しゆっくりと立ちあがる。


「それでも構わんと言っていたなら、どうしていたんだ」


白い上着の裾と髪が、風に弄られ翻る。
何時もは奴が来ていた道を今度は此方が行くべきなのだろう。
一歩一歩踏みしめる芝生と土の感覚を確かめながら、久方振りに街へと下って行った。



□ □ □



はぁ、とため息を一つ。
こんなにも思い悩むのは始めてで、どうしたら良いのか分からない。
最近は白レンや、シオン、リーズ、その他諸々の(所謂)路地裏同盟の面々からも心配されてしまう始末。
白レンに至っては、始めは嬉々として出かけていた俺が急に出掛けなくなり、喜んでいたというのに最近では わざと追い出そうとすらする。
何時もと違って素直だとこちらとしても少々、気味が悪いのだがそれほどまでに今の俺はどうしようも無く見えるのだろう。
苛立っている時には解体が一番だとも思うが、最近は死徒の数も減り、なかなか巡り合えない。
兄弟と少しばかり戯れ様かと思えば、いきなり黒鍵が飛んで来たり、熱を奪われそうになったり、はたまた衝撃波が飛んで来たりと 遊んでいるわけにもいかなくなってしまう。
この間などは、何時の間にかその御三方の闘いと化し、俺と兄弟は何故かそれを観戦する立場になっていた。
そして遂には兄弟自身に謝られてしまうという摩訶不思議な状況に陥り、俺は兄弟と闘いをするのを控えようと心に誓ったのだった。
こんな時に限って、ネロは仕事とやらが忙しいと言って相手にもされず、いかに俺がアイツの元で毎日愉しくやっていたのかを理解させ られてしまい益々、苛立ってしまう。
だったら奴の元に行けば良いと思うが、それは出来ない。
あの時、自身の心を制御出来なかった事が、今でも悔やまれているのだ。
これから先、アイツと対峙して自身の心を制御出来るとは到底思えないし、きっとその先を望んでしまうのが分かりきっている。
そうしてそれを拒否されてしまったら、きっと俺は、自分でも想像できない程に落ち込むのだろう。
だったら、奴に気がつかれない内に消えてしまった方が良い。
卑怯だと言われても、忘れ去られてしまっても、目の前で軽蔑の眼差しをされるよりはずっと、良い。
それに、忘れられてしまうのは慣れている。悪夢は、忘れてしまうのが一番なのだから。
ざらり、と手に触れたコンクリートの手触りが余計に心を荒ませる。
この暗く人の目に晒されること無い場所は、自然と俺の定位置となっていた。
何処にいても、苦しいだけなら暗い場所で目を伏せ、夜が来るのを待っていた方が良い。
夜の闇の中ならば、まだ少しだけ気が楽になるから。


(……らしくないよな、本当)


何時までも、あの日のことが忘れられずに苦しんでいる。
口付けをした事を苦しく思っているのではない。
ただ、俺だけが知らないフリをして、また、今までのように男と接することが苦しくなってしまった。
隠しとおすのは得意な筈だったのに、あの男の前では上手く立ち回ることが出来ない。
ほんの気の迷いの筈だったのに、ただの戯れの筈、だったというのに。
こんなにも胸を苦しくさせる奴は、なんなのだろう。
だからもう逢わないと決めた。
これ以上、俺は俺自身の心と対峙する自信が無いから。
きっと勝手な奴だと思われるのだろう。
そうして何時かは記憶からも消えて行く。
この思いが気がつかれない内に、記憶と共に消え去ってしまえば良い。
そっと先ほどまで手を触れていたのと同じような質感の壁に頭を凭れさせ、忘れ去られてしまったような この路地裏の最奥で息を潜める。
髪に触れるその無機質な壁は、何時も撫でてくる手と違って冷たく固い。
俺は伏せていた目を開けることなく、そっとそのまま眠りへと滑り込んで行った。



□ □ □



(…………逢いに来た、とはいえ……)


街は喧騒と雑音に溢れ、何時来てもオレの肌には合わない。
そうしてオレが歩むと前にいる人間が自然とその身を避けるので尚更気分が悪いのだ。
そんなに場違いというものなのだろうか。
まぁ、鬼が人里にいる時点で可笑しいのは分かりきっているのだが。
先ほどから奴の気配を探りつつゆっくりと街を歩きまわっているのだが一向に見つかる気がしない。
寧ろこの広い街で、奴の気配だけを頼りに探し出そうとする事がいかに無謀な事かなど十重承知はしているが 他に方法が無いのだ。
このことで如何にオレが奴の事を理解していなかったかを更に突き付けられ、僅かに気持ちが沈む。
このような事になるのならば、少しは奴について聞いておけば良かった。
だが奴は、質問をするのを好まず、ただオレと何をするかに焦点を置いていたような気がする。
それは何時かこのような事態になった時に、オレに見つからないようにする為だったのかもしれない。
そして、諦めて奴を記憶から消してしまう事を望んでいるのかも、しれない。
…………だとしたならば、オレは相当奴に見縊られていたのか。
例え、どれほどの月日が流れたとしてもきっと奴を探そうとするだろう。
見つからないと言われても、きっと探し続ける。
また、記憶から奴を消す事もけしてしない。
何故なら、奴がもっとも恐れる事は、自身が『忘れ去られる』ということなのだから。


「……………貴方は……」


ぼうっと考えを巡らせながら歩んでいると、かなり先のほうから呼びかけられた。
ふと目を上げればそこには何時かに出会った、銀髪を高い位置で一括りにしている女性が立っている。
あの時の服装とは違い、かなりの軽装をしているが何かの魔術でも行使しているのか一目でその防御力が変わっていない事が分かった。
このオレに挑もうとする奇怪な人間の一人で、確か名は――


「……リーズバイフェ、だったか」

「!……覚えていて貰えたとは驚きだ……えっと、……」

「…………軋間紅摩だ」

「きし、ま?」

「そうだ。……それで……リーズバイフェ、とやら……この間の傷は治ったのか」

「リーズで構わないよ。……ほら、長いからね。……それと、この間は貴方が手加減をしてくれたお陰で大した傷では無かった」


そのリーズ、と名乗った女性は少し申し訳なさそうに笑って言った。
あの時、少し俺は急いでいたものだったので倒れた彼女の手当ても早々に立ち去ってしまったのだ。
あの時の事を思い出しながらも、今の状況を把握し様と辺りを見てみればオレは人通りの少ない町の外れにまで来てしまっていた。
そうして何時の間にか互いに離れた位置にいたのが、彼女が歩んできたのか近い距離になっている事に気がつく。
この気配の隠し方や身のこなし方などは普通の人間ではまず有り得る事では無く、只者ではない事が窺えた。
確かに、只者ではないようなのだが。


「…………そうか」

「ところで、どうして貴方がこんな所にいるんだ?……話を聞く限りでは森の中で暮らしている、と聞いていたのだけど……」

「…………探し物があってな」

「探し物?……よかったら私も手伝うよ。この間のお詫びに」

「いや、しかし……」


僅かに逡巡して、口を閉じる。
恐らくは彼女の方がこの町には詳しいのだろう。
だったら奴の事を知っているやもしれない。
それに余り人を頼るという事が得意では無いのだが、目の前で邪気も無く微笑みながら待たれているとどうにも断り難い。
それに時が時だ。
早く奴に逢いたいと思う自分が勝手に口を開かせた。


「…………では、宜しく頼む」

「オーケー、出来る限り手伝うよ。……で、その探し物ってどんな形をしているの?」

「…………学生服を着ていて、髪と目は少し灰色掛かっている。それに加えて少し演技掛かった仕草をする……」

「うんうん」

「……不敵に笑うがその割に、本当の笑顔が苦手らしい。そうしてふと暗い目をする」

「……うん?」

「……オレも勝手だが、奴の方がきっと勝手だ」

「…………」

「…………」


オレは、どうかしてしまったのだろうか。
いや、疾うにどうにかしている。
始めの方しか特徴という特徴を挙げていないでは無いか。
それに自身の感情を思わず吐露してしまうなど、何時もの己では有り得ない事だというのに。
彼女の方を見てみると心なしか困った風に髪を掻き揚げ、少し考え込んでいるのが分かった。
暫く黙ったままでいるといきなり彼女が真っ直ぐ此方を見据えて言葉を紡ぎ始める。


「…………それは、探し物では無く、探し人じゃないかな……」

「…………そうだな」

「まぁ、それは良いとして……どうしてそんなに怒っているの?」

「…………別に怒ってなどいないが」

「………嘘だよ、貴方は怒っているね。とても」

「…………」

「その人が嫌いだから怒っているの?それとも、好きだから、怒っている?」

「…………」

「…………その返答によって、私は貴方を案内するかしないかを決めなくちゃいけないみたいなんだ」


その言葉に俺は思わず反応してしまう。
すると彼女は、何処か人を安心させるような笑みでもって、俺に答えを促した。


「オレは…………」



□ □ □



ふわふわと浮いているような夢を見ている。
何処までも飛んで行けそうなほどの軽やかさ。
しかし俺はきっと飛ぼうともしないだろう。
落ちたときの絶望感と、悲しみを知っているから。
何時かはこの日々が終わってしまう事を知っている。
この手が、透き通って消えて行くことを知っているのだ。
だったら、何も求めない方が良い。
終わることが分かっているのに、どうして始めなければいけないのだろう。
始めなければ終わりは来ない。
叶わない希望を持つことすら止めてしまおうと思ったのに、それは出来なかった。
だから、もうこれ以上を望んでしまわないように、歯止めをかける。
始めて得た、幸福の記憶を汚してしまうくらいなら、俺はこのままで良い。
何時かはこの悲しみも癒えるだろう。
そうなれば、俺は今までの通りに生きていける。
完全に変わってしまう己を楽しみにしていた。
だが、俺だけが変わってどうなるというのだろう。
俺だけが、それを楽しみに思って、どうなるというのだ。
ただ一人可笑しくなるなら、そんなものならない方が良い。
何より、変わった事で軽蔑されるのが恐ろしい。
人間らしい感情を漸く得られたとして、それを気味悪がられたら、俺はきっとどうして良いのか分からなくなる。
今まで感じたことの無い思いを、踏みにじられたら、悲し過ぎる。
目の前で俺にしか分からないくらいの変化で穏やかに微笑んでいる男の顔が歪んで、その集眼が軽蔑と拒絶の色に 染まっていく。
そうしてそのまま男は背を向け、届かない距離まで行ってしまうのだ。
名前なんて呼べない。
呼ぶ資格も、引きとめる言葉も持ってはいないのだから。
ただ、その背を見失わないように見つめ続ける。
見つめ続けながら、ぎゅう、と強く己の手を握り締めた。



□ □ □ 



「…………七夜」


彼女に案内された場所に、ずっと探していた奴が居た。
案内、とは言っても彼女が気を利かせてこの場所に通じる道まで連れ添ってもらったというだけなのだが。
延々と続くのでは無いのかと思えた路地裏の突き当たりであるこの場所は意外とすぐに着いた。
しかし日の光もほぼ射し込まず、今が昼時とは俄かに信じ難いほどに薄暗い路地裏の行き止まり。
辺りには何時置かれたのかも分からぬ程黒ずんだ木箱や、何かの資材らしきものが置かれている。
そしてその突き当たりの更に端の方で蹲っている奴を見つけた。
ここは暗い上に寒く、冷え切っている。
こんな所で眠ったら風邪を引いてしまうと思う程に。
だから七夜の側にオレも座り込み、そっと眠っている子供の頬を撫でて起こそうと試みる。



(…………冷たい)



その頬は驚くほどに冷たく、まるで死人のようだった。
そう考えて、自分の考えにぞっとする。
彼女に因るとオレの所に来なくなっている間、七夜の様子がずっと可笑しかったらしい。
他の路地裏同盟、とやらに参加している者達もそれは分かっていたらしく、暫くは様子見をしようという事になっていたのだそうだ。
だが、奴に気がつかれない程度に確認しに来る事も決まっていたようで、ちょうど彼女はここに来る途中でオレに出会った。
本人は気がついてはいないようだが、かなりの人々に心配されているのだ。
…………そして、彼女にこう言われた。
『彼を傷つけないでくれ』と。
そうして、『もう離してはいけない』とも。


「……七夜、起きろ。……七夜」


頬を撫でている手はそのままに、子供の背中に手を差し入れ抱き起こす。
すると閉じられていた長い睫毛がふるりと一際大きく揺れ、久方ぶりにその灰色の目を見ることが出来た。
しかしまだ眠りから醒めきっていないのか、ぼんやりとした表情の七夜を見つめ続ける。
暫くすると、その目が見開かれ、状況を把握するように目まぐるしく辺りを見まわしてからまた此方に視線が戻った。
そうして何かを言おうとしているのかぱくぱくと息だけを吐き出すその姿を見て、今まで抱いていた怒りが雪のように溶けて行く。
そして漸く落ち着いたのか小さな声で七夜が呟いた。


「…………何しに来たんだ……」

「…………探し物を見つけに来た」

「…………探し物?」

「…………勝手に自己完結して消えてしまおうとする、薄情者をな」

「……………」


そう答えると腕の中にいる子供は苦しそうな顔をして黙り込んでしまう。
本当はもしも逢ったのならば、オレはもっと何かを言うつもりだったのだ。
だが、今となっては、もうどうでも良かった。
ただこの腕の中に、もう一度七夜を抱くことが出来ただけで良かった。
七夜を抱きしめた瞬間に言いたかった言葉はあっという間に消えうせてしまったのだ。


「じゃあなって、言ったろ」


黙り込んでいた子供がぽつりと呟いた。
オレはそれに答えることをせずにそのまま黙って七夜を抱く腕の力を強める。


「またな、とも、明日な、とも言ってない」

「………………」

「……もう逢わないって、意味だったのに…………何でアンタは来るんだよ!」

「………………」

「一つ教えてやる……アンタは寝てたから知らないだろうがな、……俺はアンタにキスしたんだよ」

「………………」

「悪戯とか、戯れとかじゃない………好意からしたんだ。……男が男にだぞ?どうかしてるよ……」

「………………」

「俺を軽蔑するか?…………しても良いぞ、それくらいに俺は……ッ!?」


どうかしている、と言いかけた七夜の口を塞いだ。
始めは抵抗を見せていたが次第にその両手は縋るように此方に伸ばされ、オレの服を皺になるまで掴んでくる。
出来るだけ優しく、だが逃がさないように充分に小さな口腔を蹂躙した後にゆっくりと舌を引きぬく。
そうしてどちらのものか分からぬ唾液で濡れた七夜の唇を再び舐め上げてから軽く口付けを落とす。
とろりと蕩けた目をして、頬を赤く染め上げた七夜は酷く愛らしく思えてならなかった。
そしてオレは成るべく、七夜の耳元に近寄りはっきりと言葉を告げる。


「……これでオレもどうにかなってしまった、と言えるだろう」

「……………」

「…………本当はあの時、起きていた。……辛い思いをさせてしまって済まなかったな」

「…………じゃ、あ……」

「…………可笑しいのは、お前だけではない。オレも、同じ気持ちだったのだから」

「…………軋間……」


覚束なげな七夜の額に軽く口付けをしてから抱きしめ、髪を撫でてやる。
胸の中で此方に擦り寄ってくる存在をきっと俺は二度と手放すことはしないだろう。
その事を、オレは許されたのだから。
オレは七夜の手を取り、その手の甲に誓うように再び口付けを落とす。
すると七夜が驚いたように此方を見てきたので思わず唇を離した後に七夜を見つめてしまった。
だが、何も言わずに手を此方側に差し出してきたので、それを握り締めてみる。


「…………」

「…………」

「…………軋間」

「……なんだ?」

「…………有難う」


オレはその言葉に答えるように小さく頷いて、握り込んでいた手を絡め合った。



-FIN-








戻る