28.寄り添う




ぼんやりとソファーに寝転び、適当に流れているテレビを眺める。
しかし流れてくる内容は殆ど頭に残らないようなものばかり。
―――このまま眠ってしまおうか、なんてそんな事を考える。
しかし壁に掛けてある時計を見れば、確かに夜ではあるが眠る時間ではない。
それに俺も男もどちらかと言えば夜行性なのだ。


「んー……」


ぐぐっと横になったまま体を伸ばす。
そうしてため息を吐いた。
俺は何か無いかと思い、だるい体を起こしてソファーの背もたれに腕を乗せて男の方に振り返る。
男は相変わらず洋書を読みながら、珈琲を啜っているようだった。
その顔には何時もはつけていない細い銀フレームの眼鏡を掛けている。
だがその顔は何時だって仏頂面なのは変わらない。
変わるとしても、皮肉っぽく笑ったり、獣のように喰らいついてくる時くらいか。
…………馬鹿馬鹿しい。
微かに夜を思いだしてしまって、顔に熱が集まりかけた自分に向けて内心そう毒づく。


「……く」

「?」


笑われたような気がして視線を男の方に向けてみれば、いつの間にかその手に持っていた本を閉じて悠然とした 動きで、もう冷めているであろう珈琲を啜っている。
俺はそんな男に対して睨みつけてみるが、男はそんな俺を一瞥した後、白いマグカップをテーブルの上に置いた。
心なしか先ほどよりも愉しそうな顔をしているように見えるのは、俺の勘違いでは無いだろう。


「……七夜」

「なんだよ」


俺はそんな男の表情に苛立ってしまって、つい棘々しい口調で返してしまうが、男はそんな俺を気にもしていない のかそのままの流れで会話を続ける。


「暇なら少し出かけるか?」

「……何処に?」


思わずその言葉に反応してしまう自分が情けなくも、暇なのは確かだ。
それに男から出かけようなんて言うのも珍しい。
俺は微かな期待を込めて男の言葉を待った。


「……それは秘密だ」



□ □ □



「おい!まだなのかよ!!」


俺は耳元に響く風の音に負けないように声を張り上げる。
しかし男は愉しげにその声に返してきた。


「折角の空中散歩なのだ……もう少し愉しげにしたらどうだ?」

「……お前に抱かれてなけりゃもう少し楽しめたさ」


そうポツリと呟いて、遥か眼下にある街の明かりを見る。
今はもう真夜中で街に人の動きも殆ど見えないのに、街灯の灯りは煌々と光っていて、幻想的に見えた。
まるであの夜のようだ、と薄ぼんやりと思う。
そうして男の腕に抱かれている俺の耳にはその背に生えた漆黒の羽の羽ばたく音が強く聞こえた。
どうも目的地に近くなってきたらしい。
先ほどよりかは大分ゆっくりとなったその羽ばたきの動きを理解しながら男の腕に縋るような自分を考える。
もしもあの高い空の上で男に手を離されていたなら、俺は地面に叩きつけられて死んでいただろう。
けれどそんな事を微かに夢想しただけで、現実になるとは露とも思っていなかったのだから、俺も随分と男に 入れ込んでいるのだろう。
暫くお互い黙ったまま空を歩む。 そうしてゆっくりと下降していく先にあるのは誰も居ない街の外れにある展望台だった。


「此処か?」


そっと下ろされ、そこにある地面に安心する。
幾ら落とされないと分かっていても、何時もまでも男に抱かれたまま空中を舞うのは落ち着かないものだ。


「あぁ」


そう言って男は俺を置いて何処かに歩みだしてしまう。
俺は仕方なくその黒い背中に着いて行くように歩みだした。
誰も居ない、本当に忘れ去られてしまったかのような展望台。
もしかしたら男が人払いの魔術でもかけたのかもしれないが、それでも元々此処には誰も居ないのが正解なような気 がする。


「七夜」


その柔らかい声に引き寄せられるように俺は男の隣に並んだ。
俺の背に男の手が伸びて男の方に引き寄せられる。
目の前に広がった光景に、俺は思わず男の方を見上げた。


「……これ」

「最近見つけてな……どうだ?」


俺はその言葉に満足そうに微かに笑って再び前を向く。
其処には美しい夜空を映したように輝く街の明かり。
まるで鏡のように、それでいて空が二つに分かれてしまったかのようなそんな美しい夜景が広がっていた。


「……綺麗だな」

「他にいう事は無いのか?」

「……他のってなんだよ」


俺は自分自身でも拗ねたような声で男にそう囁いた。
男は耳元で優しい声を出す。
温かな声、そうして、からかうような言葉。


「……もう少し、ロマンティックな言葉とかだな」

「俺にそんなもの求めるなよ」

「……それもそうだな」


そう言われたら言われたでなんだか不思議と苛立ちがこみ上げてくるが、俺は目の前の景色を思い出し、敢えて 何も言わない事にした。
まるで漆黒の海に砂金を流したかのような美しい世界。
人の気配の無い世界、そうしてこの場所に居るのは人がいなければ生きていけない生き物二匹。
なんて可笑しいのだろう。
それでも、この状況が俺にとっては一番居心地が良くて、このまま二人生きていければいいのにと願っている。


「なぁ、あの星はなんていうのか分かるか?」

「ん?」


俺は一際輝いている星を指差し、男に問いかける。
男は長い時を生きているから、知識は豊富なのだ。


「……あれはデネブだ」

「……デネブ……?」

「そうして、あの……ベガと……アルタイルを結んだ三角形」


俺はその言葉と指先に意識を向けながら、目を凝らしてその星を探す。
ぼんやりとした光を放ちながらも、他の星々よりも確かに輝いているものを見つけた。


「あれが何だよ」

「あれが夏の大三角形」

「……ふーん」

「デネブはギグナス、ベガはライラ、アルタイルはアクイラの一部だ」

「……ギグ……なんだって?」

「さらに、日本だとベガは織姫星、アルタイルは彦星と言われているな」

「…………」

「理解できているのか?」

「……なんとなくな」

「……今度家にある神話の本でも読むべきだな」


俺はその言葉にむっとしたが、男の声音が愉しげなのに気がついて何もいう気が起きなかった。
最近は暑くてついつい眠ってばかりだが、その時間を少しだけ本に割り当てても罰は当たらないだろう。
まぁそんな事で罰を当てられていたら、俺はとっくに無間地獄辺りにでも落ちている筈だ。


「何を笑っている」

「ちょっとした思い出し笑いだ」


俺はなんだか面白くなってしまって、クスリと笑いを零す。
それが男には不思議に映ったらしく、男の腕が頭を撫でていった。
その冷たくも温もりのある優しげな手つきが、心地よい。


「……そうか」

「……おい……」


頭を撫でていた男の手が俺の顔を持ち上げる。
抵抗する暇もなくその唇が俺の唇に微かに触れ、そうして離れていく。
してやったりという顔をしている男の瞳に俺は嫌だというのに顔を染めてしまう。
夜空の下だから分からないと思うが、それでも頬に触れている掌には其の熱が確かに伝わっている筈で。


「……少し顔が熱い様だが」

「!……そんな事ない!」

「ふむ」


だがその声は俺の思考を読んでいるのか、愉しげな声が聞こえてくる。
俺は男の腕を掴んで、そんな余裕を醸し出している男に向かって背伸びをして近づく。
しかし男には届かずに、男が黙ってその身を屈めた。
……癪だ。
けれどこうして強請ったのは俺の方が先なのだから今更止めるのも可笑しい。
そんな事を考えていると、急かすように男の腕の力が僅かに強まった。
俺はその唇に再び口付ける。まるで死人のような唇の冷たさは、嫌では無い。


「七夜」

「…………」

「……帰るか」


俺はその台詞にそっと頷いて、男の言葉に答える。
すると男は俺の体を勝手に抱き上げた。


「ちょ、……おい!」

「帰るのだろう?」

「……そうだけどさ!」

「まさか歩いて帰るつもりだったのか?」

「……じゃあ、帰る時はもう少し……」

「もう少し?」

「……ゆっくり飛んでくれ」


俺がそう言うと男は笑ってその背から黒く巨大な羽を生み出す。
その羽を纏う男は吸血鬼というよりも悪魔のようだ。
だがそれを言えば男はその羽の羽ばたきを強くなるだろう。
……それは勘弁して欲しいものだ。


「さぁて、……では真夜中の散歩にもう少しお付き合い頂けますかな?」

「……此方こそ、……って相変わらずキザだな」


それはお前にだけは言われたくなかった、と男の声が飛び立つ前に聞こえた気がした。



-FIN-






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