03.指を絡ませる




「七夜」


俺はずっと待ち続けていた相手と逢えた事で生じた喜びと罪悪感を伝えるために相手の名を呼ぶ。
そう俺が名を呼んだ相手は己の名を呼ばれた事に対して隠す事無く嫌悪の念を顔いっぱいに表現した。
それは、至極当然の事だろう。俺はそういう顔をされても仕方の無い事をしてしまったのだから。
だが、出会ってしまっては仕方が無い、と言わんばかりに俺の前から逃げる事無く少し顔を俯かせている七夜にそっと近づこうと 足を踏み出そうとする。
そしてそれは当然の如く鋭い眼光で拒否され、結局俺はその場で一歩足を踏み出しかけて止めた。
もうとっくに日はその身を隠し、その代わりに少し欠けた月が暗い路地裏をおぼろげに映し出す。
周りに溶け込んでしまいそうで、何処か異質な空気を纏った自身と同じ顔をした男を、俺は心から欲している。
だからこそ、無理に唇を奪ってしまったりという暴挙に出てしまったわけで。
最悪な方法だと理解したのは、頬を思いきりぶん殴られ、七夜が逃げるようにその場を後にした後だった。
あの時から、謝ろうと七夜を探し続けていたのだが七夜はこんな俺とは会いたくなかったらしく一向に逢えなかった。
だからこそ、七夜が自らの寝床としている路地裏に行くために必ず通らなければならない場所で待ち続けていたのだ。
そうして今、ずっと会いたかった奴と対峙している。


「何の用だ。……帰れよ」

「待ってたんだ……七夜……謝りたくて」

「何も聞きたくない。……それに謝るって、何をだ」

「何って……この間の事だよ。本当に悪かった、ごめん」


そう言うと七夜はハッ、と侮蔑の篭った笑いを吐き捨て俯いていた顔をこちらに向ける。
想像では、こちらを見る目は冷え切っている筈だったのだが、その視線は思いのほか醒めているわけでは無く、何かの別の感情が 渦を巻いていた。
だが俺にはその目に映る感情の名が良く分からない。
そんな事を考えていると七夜がぽつりと聞こえないくらいの声で呟いた。


「謝って、何になるんだ」

「…………え……?」

「だから、謝って何になるんだって聞いているんだよ。それで満足するのはお前だけだろ」

「…………そうだな、でも……他に思い浮かばなかったんだ」

「…………謝って無かった事にするつもりなら、始めからするなよ」

「……うん、だから……もう俺はここには来ない。勿論、お前にも近づかない」

「!」


七夜を捜し歩いている間に俺は考え、そうしてこのような結論に至った。
たった一度でも俺が七夜を傷つけてしまったのならば、もう会えない。
極端だと言われても、俺にはこんな風にしか出来ないのだ。
そうして、思わず地面を見ていた視線を上げ、七夜の顔を恐る恐る窺うと何故か七夜の方が驚いたような表情をしていて 思わずこちらも面食らってしまう。
喜ばれはすれど、まさかこんな、悲しそうな顔をされるとは思ってもみなかったのだ。
己の自制心が何時の間にかゆっくりと溶けていくように、一歩踏み出したままの足が二歩、三歩と前に進んで行く。


「…………勝手過ぎるだろ、お前」


しかし、七夜が先程よりも怒気を強めた声で囁いたので思わずまた立ち止まる。
ただ、先ほどとは違い今度はお互いの視線が絡み合い、ゆるりと螺旋を形成していく。
闇は確実にその身を濃くしているのに、何故か七夜の姿だけははっきりと見えた。
闇に限りなく近いのに、けして見失う事は無い。
だけれど何処か朧げで、目を伏せ、次に目を開けた時には消え失せてしまいそうな、俺の影。
俺が光だと仮定して、光は影がなければ生きてはいけない。
それは、影と仮定する事が出来る七夜も同じなのではないのだろうか。
自分勝手だと言われても、そんな風に仮定する事が無意味だと分かっていても、そう考えずにはいられない。
もう逢わないと自分で決めたのに、こんなにも目の前の奴に焦がれているのをまた、気がつかされてしまう。


「勝手だよな……分かってる」

「…………分かってない」

「?…………だって、」

「…………もう良い。失せろ、そして二度と現れるな」

「………………」

「どうした?…………お前が行かないなら、俺が消えるだけだが」

「………………」


そう言って俺にゆっくりと近づいてくる七夜の顔を見つめ続ける。
すると七夜は俺の視線から逃れるように再び顔を背けた。
今の目は、さっきと同じ感情を映している。
だけれどそれは俺には分からない、分からないが、このまま七夜を行かせてしまってはいけない気がした。
俺の横を擦りぬけようとした七夜の手を俺はほぼ無意識の内に捕らえて、そのまま握りこむ。
俺の後ろにいる七夜が驚いたように息を呑む感覚が空気を伝わってきて、その後七夜がため息をついた後に言葉を紡いだ。


「離せ」

「………………」

「……おい、聞いてるのか」

「………………」

「…………離せよ」

「…………嫌だ」


自分でも驚いてしまいそうな強い口調でそう言いきった後に、握り込んでいた手を僅かに離し、隙間に捻じ込むように 指を絡ませる。
始めは嫌がっているかのように抵抗を見せていた七夜も次第に抵抗が弱まり、絡めた指がお互いに引き合うように 強く握り込まれた。
後ろで七夜がどのような顔をしているのかは分からない。
しかし、絡めた指は何処までも一つのようで、また、離れがたい程に温かかった。



-FIN-


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