04.傷の舐め合い




真っ暗な暗闇の中で、男の手がそっと壊れ物に触れるかのように俺に伸ばされる。
こんな風に、男は自身の思いをゆっくりと俺に塗りつけて行く。
過去に自らが起こした所業の罪深さを俺に、許してくれとでも言いたいのだろう。
ただ、それを行動に乗せても、けして舌には乗せない男が疎ましくもあり、また愛しくも思うのだ。
俺自身も、何度も何度も罪と呼べる事を繰り返してきた。
もしくは俺の存在自体が、罪なのかもしれない。
しかしそれに罪悪感を覚えた事も、ましてや悲壮感も覚えた事は無い。
これは俺の全てであったし、それを否定するのは、己を否定すること。
誰かに否定される事は専ら良くあることであったし、もはや慣れた。
だが、最後の砦として、自分を否定する事は出来なかった。
男はそんな俺の事を自らの罪を贖うために抱きしめる。
誰からも否定され続けた俺を、何よりも俺を壊した男が肯定するのだ。
最初はそんな贖罪地味た行為を俺は嫌悪すらしていた。
今更になって、こんな事をした所で何になるのだろう。
そんな犬も食わぬ、愛憎劇なぞ俺には必要が無い。
この紛い物の上に壊れた己には、脳髄を焼き切ってしまいそうな殺し合い(快楽)がもっとも必要なのだと。そう、思っていた。
だから男を殺してしまおうとすら、願ったのだ。
ところが男はそれをまたもや否定する事無く、許してしまうものだから俺にはもう何も残されてはいない事を悟ってしまった。
今まで、男への殺意だけで現界していた自身が持っていたその憎悪と殺意は男によって払拭され、ただの人形に成り下がる。
何が、贖罪だろう。
寧ろ、俺をさらに追い詰めて、殺されるよりももっと深い闇に落としただけでは無いか。
今まで男を嫌悪していた俺は、次第に、何もかもどうでも良くなった。
何より、俺を突き落とすだけ突き落として消えてしまうのだろうと思っていた男もまた、俺を追うようにその身を闇に沈めた のだから。
わけの分からぬ恐ろしいモノが息づく闇の中で、俺を肯定する男の腕はとても魅力的に感じられた。
何もかも失って、最後に残ったのが痛みだと理解した時、男はその傷口に痛まぬ程度に触れて覆い隠してしまったのだ。
本当は、自身を否定される度に、もう何処にも無いと思っていた心が痛み、傷つき、悲鳴を上げていた。
それに男はいち早く気がついて、もうこれ以上誰にも傷つけられぬように、俺が痛みで苦しまぬように、祝福の接吻に見せかけた 赦しを請うキスをして、忘れさせたのだ。
これは、互いに可笑しいと分かっている。
壊した者と、壊されたモノが、互いの傷を舐め合い、許し合い、ただ何処までも続く真実の連鎖を忘れたいが為に作り出した 偽りの世界。
けれど、それでも良かった。ただ、俺を俺として見てくれる存在が近くにいてくれるならば。
きっと他の人間は笑うのだろう。俺達が異端だと、そうして、誤っている、と。
だが鬼神と呼ばれる男と、『存在していたかもしれない人物』の幻というもはや過去の遺物に過ぎぬ殺人鬼。
そのような事を言われる前より、とうに異端だ。
そして最後の最後まで嘘を吐き通そうと男は思っているのだろう。
俺はその事を見抜きながらも、その嘘を受け入れ、騙されたフリをする。
けして、『愛している』とは言わない男の心中は一体どのようなものなのだろうか。
本当は、俺がもうコイツを離してやるべきなのだと分かっている。
だけれど、また独り暗闇の中で否定を受け続ける事は、恐ろしい。
心を震わせて、体を震わせて、男に縋りついてしまうくらいに、恐ろしいのだ。
たった一度、男に全ての思いを込めて、謝罪の言葉を口にした事がある。
男はそれを怪訝そうに聞いた後、悲しげな目をして俺の目元を拭った。
その時、始めて俺は自分自身が泣いていた事に気がついたのを覚えている。
その瞬間まで、どんな事にも泣いた事など無かった俺が、泣いていた。
それは男にはどう映ったのかは定かではない。
しかし男は俺をそのまま抱きしめて、俺の耳元で俺が口にしたのと同じ謝罪の言葉を述べた。
もう、離れられぬのだと、ぞっと背を這っていった悪寒と、それ同様に頭を駆け巡った陶酔の念は未だにこの頭を酔わせつづけている。
愚かだと言われても、ただの自己満足や自己犠牲、そうして傷の舐め合いに過ぎぬと言われても、離れられない。
………気がついた時には、頭から足の先まで、どっぷりと二人で闇に沈み込んでいたのだから。



-FIN-






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