07.頬に触れる


(07.頬に触れる→02.口付けを落とす→27.許す の順です)



わけの分からぬ餓鬼に懐かれ、一体どれほどの時間が経ったのだろう。
始めの頃は数えていた日数も何時からか数えるのを諦めてしまった。
そもそもオレを殺してやると息巻いていた餓鬼は何処でどう違ってしまったのか、今は殺す気をすっかり失ってしまったらしい。
そんな事戯言を、と最初は信じておらず、何時此方を殺そうと牙を剥くのか警戒していたというのに何度も何度もやって来る餓鬼に何時の間にかオレ自身も諦めてしまっていた。
今、隣で寝こけている餓鬼の顔は穏やかで、寄りかかっている木の枝についた葉の影がその顔を暗く染めている。
ふと上を見上げれば、たなびく雲と青く澄んだ空が何処までも透けているようだ。
こんな風に誰かと屋外でぼんやりとする事も、ましてやその相手がコイツだとも過去には思っても見なかった事。
寧ろこんな未来を予想しろという方が難しいだろう。
オレにとって、この餓鬼は期待と希望、そしてただの餓鬼に過ぎなかったが、七夜にとっては俺は一族の仇であり、死の象徴だったのだから。
だった、と言ってはいるが完全にそう判断を下したわけでは無い。
もしかしたらこんな風に懐いたフリをして、心を許したら最後、殺されるのかもしれない。
それは有り得ないことでは、ない。
ただそういう思いを抱きながらもこうして隣に居る事を許しているのは、きっとオレも人恋しいのだ。
今まで誰かとこうして寄り添った事など無い。
そしてこれからも無いものだとばかり思っていた。
そうして何度か脅しのつもりで殺すフリをしてみても、追い払っても、ほぼ毎日やってくるコイツに何処か安堵感を覚えている。
ここに居るのだと、まだ誰かと話が出来る存在なのだと。
何年も人と話をしない生活であったから、何時しか自分は人の側にいるべきでは無いと思い込んでいた。
そしてそれは恐らく事実だろう。
人の身で無いものは、人に紛れるか、人から隔絶して暮らすか、人を侵すしか生きていく道は無い。
オレに出来るのは、最初以外の二つのみ。
ならば、誰にも知られる事無く、一人暮らして行こうと思ったのだ。
ざぁ、と風が吹いて手に持っていた書籍の頁がぱらぱらと捲られてしまう。
それを指先で戻して、再び高い空を見上げた。



(…………青い)



自分とはまるで正反対の青さ。澄み切って、何処までも果ての無い深い海のようだ。
しかし海と違うのは沈むのでは無く、昇って行ける所なのだろう。
そしてもしも空に底があるならば、今まさにオレ達は底に息づいている。
丸く高い空の底と、深く広い海の天井。
その中間に位置していると考えるのはなんだか、とても良いことに思えた。
何もかもが、極端だと言われる己が最後に手にした安寧の地は、何処までも真っ直ぐに中間。
結局は普通を求めているのかもしれない、と少しだけ笑う。
そこまで考えて、あぁ、と一人ごちた。
もしかしたら、隣にいる餓鬼もこの『中間』やら『普通』やらが欲しかったのかもしれない。
求める相手を間違えてはいるようだが、結果的には上手く調節、とやらが出来ているのだから不思議な物だ。
赤と(例え偽りではあっても)青は所謂両極端。
だからこそ、こうも上手くいっているのかもしれない。
…………まだ、完全に認めたわけでも、理解したわけでも無いのだが。


「…………ん……」


その声に気を取られ見てみると、覚醒したわけではなく、ただ単に身じろぎをしただけのようで安心した。
別に餓鬼がオレのせいで起きようと起きまいと構わないと思っていたのに、いざ隣で眠られると起こさぬように細心の注意を払っている自身が居て、どうしようも無い。
そうして身じろぎをした餓鬼を見つめ続けていると、そのままオレの肩に頭を寄せた。
先ほどまでは辛うじて木に頭を寄せていたから本を読んだりする事も出来ていたのに、これでは本も読めやしない。
頭を退かしても良かったのだが、それは良心と何か分からぬものによって阻まれてしまった。
本当にこの餓鬼はわけが分からない。
そうしてそのわけの分からなさを楽しんでいる自分自身も。
仕方なくといった調子で本の間に栞代わりとして落ちていた葉を挟み、横にそっと置く。
この作業だけでもなるべく体を動かさぬようにしているのだから、大変な労力だ。
ふ、と息を吐いて未だに眠り続けている餓鬼を見遣る。
さらさらと流れるような黒髪と、目を縁取っている長い睫毛、そして呼吸の度に少し上下する胸と微かに開いた唇。
目を開ければそこには薄い色素の瞳がこちらを映して輝くのだろう。
何もかも、理解出来ないのに、それがまた、悪く無い。
随分とオレもこの餓鬼にほだされてしまったようだ。
そっと本を置いた方の手を伸ばし、餓鬼の髪を流してやる。
そのまま頬に触れ撫ぜれば、柔らかな感触と共に、少しだけ低いが確かな体温を指先に感じた。
これが、触れ合いというのかは分からないが、胸の辺りが微かに温かくなる。
まだ当分七夜は起きないだろう。
ならばオレもする事が無くなってしまったのだし、少しばかりの昼寝と洒落込む事にしよう。
そう思って瞼に焼きついたような青さを身に染み込ませながらゆっくりと夢の中に滑り込んで行った。



-FIN-






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