08.秘められた関係


※学パロ



ぐっ、と伸びをしてから窓の外を見遣る。
もう夕方という時分を跨いでしまいそうなその空にため息をついて、再び目の前の紙の束を鬱陶しげに見つめなおした。
大体、このような雑用をそこら辺にいる生徒に頼んで、頼んだ本人は何処かに行ってしまうなど、言語道断、もっての他だと思う。
しかしどうせ暇だから、と無闇に引き受けてしまった己こそがもっとも愚かだという事を理解しているので仕方が無い。
こういう変な所で真面目な性格の自身を誇れば良いのか、はたまた呆れれば良いのか。
……未だによく分かっていない。
だが、あの男はこんな俺のこういう所を好いている、などと言うものだからどうしたって見栄を張ってしまうのだ。
俺は後一息、と自らに気合を入れなおして、何枚もの紙を束にして纏める作業に再び取り掛かった。
正直なところ、男を待つという名目がなければ、あのいけ好かない教師同様に、そこら辺にいる暇な奴らにさっさと仕事やらを押し付けて帰っていた所だ。
もはや体が勝手に覚えこんでしまったとしかいいようのない速度で紙を順番に拾ってはホチキスで止めていく。
パチン、パチン、と小気味良い音が暗くなり始めた教室の中に響いてはそっと天井の上の方に融けて消えていくのが分かった。
そんな作業を何分か続けていくと、聞きなれた足音が遠くの階段の方から聞こえてきて、思わず手が止まる。
暫くその音のした方向に近い扉に目を向けていると、その扉は開かれ、廊下の蛍光灯によって映し出された人影が見えた。
その人影は闇に滑り込むように進入した後に、その扉のすぐ脇にある部屋のスイッチを指で押し上げる。
いきなり明るくなった視界に俺が二、三度瞬きをしていると、その人物は靴音を響かせ此方が座っている窓際の最後尾にやってきていた。


「…………授業が終わってすぐに俺の研究室に来ると言っていなかったか?」

「悪い、ちょっと捕まってな……もうすぐ終わるから」


男は俺の周りにある何百もの紙の束を見て、片方しか機能していない目を微かに細める。
そうしてそのまま近くにある椅子を引き、そのままそこに腰をかけた。
明るくなった教室に、パチン、という音と、椅子を引く音が混ざる。


「…………」

「…………会議は?」

「もう終わった。……今は見回りだな」

「じゃあざっとで良いから見て来いよ。……職務怠慢だぞ?」

「ここが最後だ」

「…………そーかよ」


どうにもこういう作業を見られているのは落ち着かない。
まるで自分が良い行いをしているかのようで、胸の辺りがぞわぞわするのだ。
別に、好んで悪いことをしたいとか、そんな事を思うほど子供ではないと己では思っているのだが、やはりこれだって仕方が無くやっている事で。
つまりは、自分はあまり、褒められたりという事が苦手な人間なのだと、そう思う。
そんな事を理解しながらも男の目は何処か優しげで、視線だけで何かに包まれているような感覚になるものだから、これまたぞわぞわとするのだ。


「…………七夜」

「何だ」

「手伝うか?」

「…………いい」


そう答えて、また一つ一つ紙を拾っては一つに纏める。
男はそうか、とだけ言って再びこちらを見遣ってくる。
その視線がくすぐったくて、一度非難するかのように睨んでみたが全くもって何の効果も無かった。
漸く最後の紙を纏め終わった瞬間、ふわりと頭の上に何かを乗せられる感覚がする。
そうしてそのまま髪を弄るように撫でられた。
これではまるで、動物を褒めるときのような撫で方ではないか。
そう内心、微々たる苛立ちを感じたが、それよりもそこに含まれている甘さに酔ってしまいそうになる。
馬鹿馬鹿しい、と思いながらもどうしてもこんな風に優しくされると、手を振り払う事が出来なくなってしまうのだ。
それこそが俺の未熟たる所以なのだと思っていたのに、男はそれを否定するものだから、何時からか享受してしまうようになってしまった。
俺にとってのこの男は、想い人、というには少々遠すぎて、親というには、少々近すぎる。
もしもこの関係性を言葉で示すならば、偕老同穴の契りを知らぬ間に交わしていたような、そんな間柄なのかもしれない。
自分でいうのも、どうかとは思うのだが。


「もうこんな時間か」


男がそう呟いたので、俺も思わず黒板の横にある古ぼけた時計に目がいく。
その時計はすでに夜ともいえる時間になっており、よく見れば窓の外もかなり暗くなって、遠くの方では町の明かりが堕ちた星屑のように煌いていた。
少しばかり高い位置にあるこの校舎からは町がまるで一種のイルミネーションのように見えて、なんだかそれを何時までも眺めていたい気持ちになる。
それは男も同じなのか、暫くはお互いに無言で窓の外を眺めていた。


「…………さて、」

「…………?」

「……そろそろ帰らないとまずい……今日も泊まっていくのだろう?」

「ん?…………まぁな」

「…………七夜」

「…………なんだよ」


男の何時もよりか緊張の含まれた声に思わずこちらも男の方に向き直ってしまう。
大抵のことならば言いよどまないこの男が僅かに逡巡している様は、こちらとしても落ち着かず、いつの間にか立ち上がっていた男を見上げ続けていた。
すると、男は何かを決心したかのように、す、と僅かに息を詰めて言葉を紡ぐ。


「お前がここを卒業して、……その時、まだ俺を好いていたなら……」

「…………」

「…………俺の所に、来ないか」

「…………」

「……本当は今すぐにでも俺はお前を傍に置いておきたい……だが」

「……だが?」

「…………ちゃんと、一区切りがついてからというのがある。……それに、お前はまだ若い」


その言葉に思わず椅子を跳ね飛ばす程の勢いで立ち上がり、男の襟を引っつかんで、ほぼ頭突きのような口付けを食らわせてやった。
かなりこちらとしては痛かったのだが、男としては驚きの方が大きかったようで、珍しく驚いた顔をしている。
きっと、今の俺は痛みと燃え上がるような恥ずかしさで顔が赤くなっているのだろう。
それが分かっているからこそ、男にも、窓にも顔を映さないように背けながら半ば怒鳴るような声を発する。


「若いってなんだよ。……大体、俺がお前の所に行くなんて決まりきった事、いまさら確認する必要も無い!」

「…………」

「……それに、……一回俺を捕まえたんだから、お前が俺を逃がすはず、無いだろうが」

「…………」

「……こういう事、……本当に苦手なの分かってるだろ……言わせんな、馬鹿……」

「…………あぁ」


横から机越しにそっと抱き寄せられて、そのまま誘導されるように男の腕の中に納まる。
何度、この腕に抱かれたのか分からないほどだというのに、何時まで経っても慣れる事も、飽きることも無い。
寧ろ、一度抱きしめられる度に、二度目を求め、二度目が終われば三度目を求めてしまう。
そんな中毒性がこの男にはあるのだ。
そんな事を考えていると、さっきの撫で方とはまた違った柔らかさで再び頭を撫でられる。
本当にコイツは俺の扱い方に俺よりも長けているのが分かって、それにどうしようもない喜びを感じる自分もまた、分かってしまう。


「…………今日は、大変だったようだからな……お前の好物でも作るか」

「……それって、何時もじゃないか……あんまり俺を甘やかすなよ……」

「…………仕方が無い、そういう性分になってしまった」

「…………勝手に言ってろ」


男は名残惜しげに俺を拘束していた腕を放し、俺は自らが跳ね飛ばした椅子を元の位置に戻す。
しかし、自分で跳ね飛ばしたものを自分で片付けるのは少々滑稽な気もするが、どうせ明日も座るのだから直しておいた方が楽だろう。
その間に男は俺が作っていた紙の束の殆どを抱え上げ、すでに男が入ってきた方の扉に立っている。
俺は急いで、残った束を拾って男の方に走りよった。
男が電気を消して、扉を閉める瞬間、窓の外に輝いている星屑を再びこの目に焼きつけ、また、なんだか嬉しそうにしている自身の顔も、思わず確認してしまったのだった。



-FIN-








戻る