09.庇う




目の前には炎を纏った鬼。
其の目は赤く燃え上がり、瞳に映る俺さえも赤く染めている。
それが今の俺にとっては酷く嬉しく感じるのだから、大概だとも思うが、俺にとっての全など目の前に居る男に任せている といっても過言ではないから、仕方が無いのかもしれない。
まぁ、男にしてみればこれほど面倒な事も無いのだろうが。
さわさわと周りの木々はさざめき合う様にその身を揺らす。
この体では、きっと男には勝てない。
分かりきっていて、男の統べる土地までわざわざ赴いた俺を男は笑いはしないまでも呆れてはいるようだった。
……もしも俺が男の立場だったら。
しかし考えてみた所で余り意味を成さない。
俺と男は、まるで別人なのだから。


「全く、このような僻地まで来るとはな……」


呆れと諦めを含んだその台詞に俺は思わず、一、二度足で地面を擦ってから答える。
別にむくれているわけではない。


「仕方ないだろう、アンタ仙人みたいに山に篭っちまったし、俺としては……」


そこまで言いかけて止まる。
なんだか分からないが、変な介入者が現れたようだ。
背後で蠢く幾つかの影の気配を感じ、男に先ほどまでとは違った視線を投げかけた。
男は俺にそんな事をされる必要も無かったようで、俺から視線を外し、俺の後ろの茂みに姿を隠している影共を睨みつけている ようだった。
なんでこんな大事な時に邪魔をされなければならないのか。
珍しく俺の中で高まっていたテンションがシュルシュルと音を立てて萎えていくようだ。
しかも男の視線を俺から奪った、それだけで斬刑に処すべき対象である。
俺はゆっくりと、男と離れていた約五メートル程の距離を詰める。
その度に足元の芝がかさりかさり、と音を立てたが、まだ影は襲ってくる気が無いのか、それとも存在に気がつかれている 事にすら気がついていないのかひっそりと其の身を隠したままだ。
否、俺にも男にもバレているのだから、隠れている、というのは語弊があるか。
俺はもったいぶった様子で男の傍に寄り、男にしか聞こえない程の声音で男に話し掛ける。


「……どうする?」

「どうするもこうするも無いだろう」

「まぁな……手慣らしには、ちょうど良いだろうよ」

「……では」

「一時、休戦と行こうじゃないか」


俺はそう言いながら微かに肩膝を折って礼をしてみせる。
そんな俺のおどけた表現が男にどう取られたかは分からないが、男は小さくため息をついて後ろを向いてしまう。
その扇情的な背中に切りかかりたい衝動に囚われるが、まずは周りにいる雑魚からだ、と来た方を振り返り、未だ現れない影 共に一瞥をくれてやる。
まさか男とこうして背中を預けあう状況になるとは思っても見なかった為、少なからず興奮している自分がいるのも事実だった。




□ □ □



「斬刑に処す!」


幾重もの太刀筋が一体の影の全身を引き裂き、その影は霧散して消えうせる。
それと同時にその影に隠れるようにして此方に特攻を仕掛けてきたもう一体の影に向かって、俺はニヤリ、と笑って見せた 後、姿を消し、その影の斜め後ろを取る。
完全に俺の姿が見えていなかったのか、着いて来れていない影の背中に向かって、思いっきり蹴りを放ってやる。
すると面白いくらいに飛んでいったその影は、そのまま綺麗に男の手の平に吸い込まれ、業火に焼き尽くされた。


「おー、ナイスキャッチ」

「遊んでいる場合か?」


くるり、と空中で一回転しながら地面に降り立った俺に対して男が横から来た影を受け流すように俺に向かって放り投げる。
俺はそのまま此方に飛んできた影を今度は横に薙ぐようにしながら切り伏せた。


「だって大分数減ってきただろコレ」


そう言いながら俺と男の周りを円状に囲っている影に目をやる。
かなりの数がいたが、大して強くも無く、また、再生もしない点から見て、手慣らしにもならない相手なのは明白だった。


「……余り、気を抜くなよ」


そう言いながら男は飛び込んできた影三体に向かって、地面から火柱を上げ、それらを撃墜する。


「分かっているさ」


俺は俺で、そう呟いた後、空中から此方に襲い掛かろうとしてくる影に向かって蹴りを放ち、そのまま影の頭辺りを両足で掴んだ後、 そのまま遠心力を使って遠くまで投げ捨てた。
まるで滑稽な劇の端役のように芝の上を滑っていく影に、男には分からぬよう皮肉めいた笑みを浮かべてみせる。


(だって、こんな隣に鬼がいるんだ……思わずそっちに目がいくのは、仕方が無い事だろう?)


吾ながら、男の事を好きすぎているだろう。
そんな風に感じながら、俺は毒にも薬にもならない影共を正確になぎ倒していった。



□ □ □



「あらかた片付いたか……」


そう男の言葉が背後で響く。
先ほどまでの景色の中で違うのは、何十体かの影かその身を芝に横たえてぴくりともしない事だけだ。
それ以外は何も変わってはいない。
森は相変わらず鬱蒼としているし、俺も男も息一つ乱してはいない。
俺は仕事が片付いた事を理解して、はぁ、とため息を零し首を鳴らした。
こういう雑魚殲滅は嫌いではないが、気分が乗らないと、とことん疲れるだけだ。
くるり、と俺は踵を返し男の方へと体を向ける。
そうして先ほどよりは足早に男の傍へと近寄った。


「アンタと逢うのでまず一苦労したっていうのに、逢ってからもこんな苦労をしなきゃいけないなんて聞いてないぞ」


そう、自分でも、拗ねたように聞こえる言葉を男に向かって投げかけてやる。
すると、俺の思っていたのと違う対応をされて思わず心臓が跳ねた。


「そう拗ねるな……」

そう言いながら、頭を一撫で。
それは誰だって一瞬、反応が遅れるだろう。
背後で殺気を感じて振り返るのに一拍、飛んでくる矢を見つけるのに一拍、それは避けられる筈も無かった。
しかし其の分、考える余裕というものはあるわけで。


(当たっても掠る程度だし、それに今避けたら……)


そんな事を悠長に考えている間に鈍色に光る矢のような物はその勢いを止める事をしない。
その矢は三箇所、階段状に返しがついていて、刺さったら少しだけ痛そうだった。


「……七夜……!」


グ、と頭に乗っていた手が首に移行し、そのまま男の方へ抱き寄せられる。
そうして男は俺を庇うようにして俺を内側にした後、その飛んできた矢を俺を抱いている手とは反対の手で掴み、俺が途中で 遠くに放り投げ、茂みに隠れていたらしい影の方に投げ返す。
投げ返す、というよりも矢が飛んできたスピードの何倍かはあるかもしれないが。
そうして男が投げ返した矢は茂みに隠れていた影の眉間辺りに突き刺さり、影は動きを止めた。
本当に一瞬の出来事で、頭が追いつく前に男の小さなため息で我に返る。


「あの……」

「だから言っただろう、油断するなと」


そう低く、微かに怒りの篭った声におずおずと顔を上げると、その声同様に苛立ちを目に浮かべている男と視線が絡む。
確かに男に無駄な労力を掛けさせた、そう思い俺は小さく謝罪をする。
しかし男はそれに対しても小さくため息をついた後、まるで子供を諭すかのような声音で囁く。


「謝らせたかったわけではない」

「じゃあ、なんだ?」

「何故、俺を庇うような真似をした」

俺はその言葉にきょとん、とした後、困ったように笑うしか出来ない。

「別に……庇ったわけじゃ……」

「気がついた時点で俺の手を振り払って避ければ当たらない事くらい分かっていただろう」

「……そう、かもな」


あの無駄な思考に費やした時間を無くして、まさに獣のようにあの場から飛び退されば確かに避ける事は出来た かもしれない。
けれど、あの場に留まれと俺の自分でも良く分からない思考がそう判断を下したのだから俺に何か文句を言われても困ってしまう。


「…………」

「じゃあ、アンタは何で俺を助けたんだよ」


納得がいかないのかぶすっとした表情の男にそう問いかけてみる。
俺が男を庇うのはまだ、分かるが男が俺を庇う理由なんて何処にも無いはずだ。
しかしその問いに男は俺と同じく僅かに逡巡した後、分からない、とだけ答えた。
俺はそんな男の新たな一面に思わず苦笑を洩らしてしまう。
本当によく分からない男だ。
未だに俺を何者からか守るように抱く男の腕には暫し気がつかない振りをしよう、そんな風に考えながら俺は男の髪が風に 揺られるのを見つめていた。



-FIN-






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