夜明け前


※志→←七→軋



何時ものようにあの公園に向けて足を進めている自分に気がついて、一人苦く笑う。
もう時刻は丑三つ時と呼べる程で、駅からも遠く、まさに『閑静な住宅街』といえるここら一帯で活動している人間は極僅か。
まぁ、その『極僅か』に俺も含まれている事があの意地っ張りだが実は心優しい妹にバレたらどうなる事だろう。
考えただけで恐ろしい。
しかし、その為にああして下手をしたら通報されかねない方法すら取っているのだから、そこら辺は見逃してほしいものだ。
いや、よくよく考えてみれば、おそらくだがバレているのだろう……寧ろバレていない方が確率的に低い。
だからこうして普通に外出出来ている事は、奇跡か、はたまた諦められているのか。
そのどちらにしても、何か後ろめたい物を感じてしまって良くない。
信頼している、と暗に言われているようで、罪悪感すら感じてしまうのだ。
だったら、そんな事等しなければ良い。
脳内で分かってはいるのに、何時だって足はあの場所に向かっている。
しかも、会っている相手は『彼女』では無く、『奴』なのだから尚更性質が悪い。
そんな事を考えている間に、足が目的地に着いたのを確認して、勝手に止まる。
昼間はきっと、親子連れやカップル達で賑わうこの公園も、夜になればその様相を一転させ、不気味な雰囲気を漂わせている。
電球が切れかけて、ブツブツと細切れのフィルムのように辺りを照らし出す外灯。
誰も座っていないのに、鎖を揺らしているブランコ。
砂場には誰かが忘れたのか、小さな帽子が落ちている。
その中をまるで泳ぐように歩いていく。
そうしてこの公園の一際奥まった場所にあるそのベンチに、すでに先客が来ていた。


「…………よ」


片手だけを挙げて、『奴』に挨拶をする。 
どうにもこの挨拶の仕方は違うように思えたが、他にどんな風に声をかければ良いのか未だに分からないのだ。
しかし『奴』はそんな俺の逡巡など、まるで関係が無いかのようにゆっくりとその目を此方に向けてくる。 
俺が普段着ているのと同じ制服を着て、ほぼ同じ顔でいて、何処か違うソイツは、外灯の光に照らされて一層、透けて見える。


「……遅い」

「悪かったよ、でもこれだって頑張ったんだぞ?」

「…………それは俺には関係が無いな」

「酷いな、それ……まぁ、そうなんだけど」


だが、そんな印象も傍に寄れば少しは薄まる。
何せ、俺に対してだけコイツは口が悪いのだ。
俺はコイツに対してはそこまで冷たくしていないというのに、何故かコイツと話していると、無数の針を首に向けられているような気分になる。
その割りにこうして隣に座ることを許すコイツは、理解出来ない。
けれど、いきなりコイツが俺を殺しにかかってきても、俺は大した抵抗もしないまま死んでしまうだろう事は分かっていた。
目を使う前に、襲われたら、隣の奴の方が有利だということは嫌というほど分かっている。
一度、何故構うのかと聞かれた時にそう答えると、隣の奴は微かに嫌悪と驚愕を混ぜた顔をした後に、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。
そう言いながらも内心では、愉快そうにしているという事も、同時に理解したのだが。

「…………」

「…………」


ただ黙って、二人で夜の公園を眺める。
果てしなく続く沈黙に、始めの内は気まずい思いもしたが、今ではこれが逆に心地いい事に気がついていた。
そういえば、と自分のズボンのポケットに手を突っ込みその中に入っている小銭を取り出して、枚数を数えてみる。
千円には僅かに達しない程度のその財政状況に心なしか悲しくなったが、急いで引っつかんできた分なので、寧ろ多いほうだろうと一人 納得する。
隣に座っている奴は、一体全体何なのだ、と言わんばかりに此方の動向を見定めているようだ。
俺はそんな奴に軽く微笑んで、言う。


「ほら、逃亡劇を繰り広げてきたからさ……喉が渇いちゃって」

「…………」

「七夜は?何か飲む?……奢ってやるよ」

「…………じゃあ、適当に」

「そういうのが一番困るんだけどなぁ……」


そう呟いて、頭をかけば、仕方が無いと言わんばかりに七夜が立ち上がる。
俺はその背後でしてやったり、という顔をしていたが、急に七夜が感づいたのか凄い勢いで振り向いたので慌てて普通の顔に戻した。 
もう夏も終わり、秋も中盤に差し掛かり始めたのを示すように辺りの木々が色づき始めている。
この公園は中々広く、四季を楽しめるようにと様々な種類の花や木々が植えられている為に、春は花見、夏はピクニック、秋は紅葉、冬は冬見酒と大抵は 賑わっている事が多い。
そして丁度ここら辺は夏の木々と秋の木々の境目辺りなのだろう。
一方は葉を散らし始め、もう一方はその艶のある、まだ完全とは言えない美しさを月の元に晒していた。


「お、あったあった」


そんな中、場違いな光線を発している自動販売機を見つけ、いつの間にか俺の横にいた七夜に声をかける。
七夜は分かっている、と視線のみで感情を表した後に、不意に月にその視線を移した。
その横顔を見て、何か分からぬ苛立ちを感じたのはきっと気のせいだろう。


「どれにしようかな…………あ、七夜」

「んー……?何だよ」

「……おしるこ有るぞ、おしるこ」

「…………貴様、……」

「……冗談だよ。……ってか、このカレー味おでんって……誰が食べ……あぁ……」

「一人で自己完結するんじゃない。…………まぁ、俺も分かったが……」


自動販売機の前に着き、そんなどうでもいい会話をする。
こうして無駄だと思えるような会話をするのは、嫌いでは無い。
寧ろ、何か分かり合えたような気がして、好きだ。
何が『分かり合えた』のかは、よく分からないが。


「…………じゃあ俺はこれにしようっと……」

「……珍しいな、お前が珈琲以外を飲むなんて」

「ほら、帰ったら多分寝るからさ……あんまり目が冴えるもの飲むのも良くないかな、って」

「…………じゃあ俺は……」

「……俺の前で強がっても無意味だからな。……大人しく俺と同じジュースにでもしときなさい」

「!…………別に、強がってなど……」

「はいはい」


そう宥め賺して、手早く小銭を投入し、ボタンを押す。
ガタリと音がして、止まっていた羽虫を除けながら手早くそれらを取り出し、片方を七夜に手渡した。
結局は俺が決めてしまったようなものだが七夜が気に入っている事を知っているので問題は無いだろう。
少し拗ねている様子を見せる七夜を尻目に、先ほどの場所に戻ろうと踵を返した。
もうそんな俺の行動にも慣れたのかそっと後ろについてくる七夜に何か言い知れぬ感情を感じる。
別に、今日に限った話ではないのだが、最近は特にそう思う。
こうして逢瀬を重ねて、ふとした瞬間にある行動がこの感情を育てているのかもしれない。
きっと、七夜はこの事に気がついているのだろう。
だけれど何も言わない。俺が、何も言わないから。
同じ存在にこんな思いを抱いている事を認めたくないのだろう。
それは俺も同じだ。
しかしこうして話せば誰といるよりも楽しいし、七夜が俺を殺したいといえば俺は死ぬだろう。
七夜が殺してくれといえば、俺が殺してやるのと同様に。


「……おい」

「…………え……?」

「…………なんだよ呆けた顔して」

「……ごめんごめん、なんでもない」

「…………ふん、……ならさっさと座ったらどうだ」


気がつけば、もう先ほどのベンチの前に戻ってきている。
どうにも今日は変なことを考えてしまって良くない、と微かに頭を振ってすでに座って飲み物を飲んでいる七夜の隣に座った。
すっかり手の温度で温くなってしまったであろう缶のプルタブに爪を立て、小気味いい音を響かせながら開ける。
開けた中身は暗くてよく見えず、まるで伽藍堂のようで気味が悪かった。
だからその訳の分からぬモノを一気に飲み干し、一息つく。
それは当然のように甘ったるく、それでいて、微かな苦味も感じた。


「…………」

「…………」


そうしてもはや底の方に僅かに残っただけになった缶を横に置いて、両手を膝の上で組み合わせる。
空を見上げれば、もう朝が近くまで来ているのか、微かに明るさを取り戻し始めていた。
そんな中七夜を見ればもう端の方に追いやられている、もはや影しかない月を未だに目で追っている。
昏い目をして月を見るのは、そこに過去の思い出を重ねて、さらにその奥にいる男を見つめているのだろう。
もう、忘れてしまえばいいのに。
確実に出会うことがない相手を何時までも夢想して、その血肉を引き裂いて、そしてそのまま殺される夢を見るなんて、悪趣味だ。
――――殺してほしいなら、何時だって。
俺は七夜の手から缶を抜き取り、それを俺の缶の隣に置いてから、何が起こったのか未だに理解していない七夜の手に触れる。
そしてそのままその手を握りこんで、自分でも必死だと思う声音で叫びだしそうになる喉を押さえつけながら、囁く。


「七夜、…………今は、俺を見ろよ」

「…………な、に……言ってんだ……」

「…………お願いだから、さ……」

「…………見てるだろ、……ちゃんと……」

「…………嘘吐き……」

「――ッ…………嘘じゃ、ない……」


ぎゅう、と更に自分の手の中にある手を抱きしめる。
その指先は白く、また、微かに震えを帯びていた。
だから、そっとその手を少しだけ撫でてから揺れる視線を捕まえて、言葉を続けた。


「…………そんなに殺し合いがしたいなら、俺が、殺してあげようか?」

「…………!」

「…………俺は、何時でもいいよ?」


そこまで言って、七夜の手を離す。
それを好機とばかりに七夜は立ち上がり、複雑さを込めた顔をして此方を一瞥した後に、朝が来る前に夜と共に消えてしまった。
遂に一人で残された俺は、もう鳥すら鳴きだした清々しい朝と夜の狭間のようなこのベンチに座り込み、二人分の缶を従えて薄く笑う。
…………七夜と話すとき、まるで無数の針が首元に突きつけられているような感覚がしていた。
それは七夜も同様だったのかもしれない、と漸く気がつく。
その針は、何時か越えてしまうかもしれない境界線を跨がせない為の、有刺鉄線のようなものだったのだ、と。
しかし今では、その感覚は消え、逆に真綿に包まれているような感覚を覚えている。
だからといって、何もかもが良い訳ではなく、寧ろ、何もかもが悪くなっているかのように思えた。


(嫉妬なんて、馬鹿げてる)


そう自身を忌々しく思いながら、缶を掴んで飲もうとする。
しかし、もはや無くなってしまっている其れを飲むことは叶わず、結局俺は僅かにため息をついた後、空になってしまったそれらを 持って、未だに静けさを保っている街へと出て行くしかなかった。



-FIN-






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