「お前、絵、描いてたんだってな」
不意に投げ掛けられたそんな言葉に眉をしかめたクリプトは、カウンター越しにそう言ったこの店の店主であるミラージュに目を向ける。
周囲に他の客は居らず、閉店後というのもあって普段よりも照明を控えめにされた店内には【パラダイスラウンジ】という店名に相応しく軽快な音楽が耳障りにならない程度に流れていた。
「誰に聞いた?」
「聞いたも何もお前が言ってただろ。こないだ壁に描かれたラムヤの絵を見ながらさ」
「……そうだったかな」
クリプトは曖昧な返事をして、その話題を濁そうと試みるが、ミラージュにしてみればこの無表情さの塊である男の過去を知る絶好の機会だ、とカウンターに身を乗り出すようにして肘をつきクリプトを見つめた。
「なぁ、俺を描いてくれよ」
「断る」
「なんで」
ミラージュの口から出る言葉を予測していたのか、すぐに拒否をしたクリプトにミラージュはフン、と不満げに鼻を鳴らす。
どうせ断られるだろうとは思っていたが、そんなにバッサリ切り捨てなくともいいだろうに。
そんな事を思うミラージュの前で、カウンターテーブルに置かれたシングルモルトウィスキーのオンザロックが注がれたグラスを持ったクリプトが、黒い手袋で隠れていないホッソリとした人差し指でミラージュを指差す。
「俺は人物画はあまり描かない。それに、技術者に対して物を頼む際に報酬を提示しない奴になんて描いてやる義理もない」
そのまま人差し指を戻してからグラスに唇をつけたクリプトを見ていたミラージュは、肘をついていたカウンターから身体を離すと腕組みをする。
「……ミートパイ。お前が前に好きだって言ってたやつ」
「……それから?」
「まだ要るのかよ! んー、じゃあ……」
そのまま背後の酒瓶が並ぶ棚に眼を向けたミラージュは暫し迷った後、一本のボトルを取るとカウンターにそれを置く。
正面に向けられたラベルをグラスにまた口をつけながら眼を細めて見つめたクリプトに向かって、ミラージュはボトルのくびれ部分を太い指先で撫でながらそのボトルに貼られたレベル名を読み上げた。
「【Bollinger R.D. 】これはなかなかの逸品だ。これを開けるのは俺としてはちょっと、……かなり……気が引けるが」
「交渉成立だな。……なにか紙とペンを寄越せ。ちなみに出来は期待するなよ」
ニヤリと笑ったクリプトに、呆れたような顔をしたミラージュはなんだかウマいこと乗せられたような気がすると思いながらも、一度店舗裏に行ってノートとペンを持ってくるとクリプトの前にそれを置いた。
「あぁ、そうだ。ミートパイは玉ねぎ多めにしてくれ」
「はいはい、わーったよ。注文の多いおっさんだなぁ本当に」
「うるさいぞ。黙って報酬を作れよ小僧」
「それだけ言っておいて、笑える意味での画伯だったらただじゃおかねぇからな」
そんな軽口の応酬の合間にノートを広げたクリプトに背を向けたミラージュは、カウンターの反対側にあるキッチンで早速取り出した玉ねぎを刻み始める。
そうして暫くはペンの走るサラサラという音と、包丁が野菜を刻む小気味良い音が店内に小さく響いていた。
□ □ □
クリプトが描いたミラージュの絵はなかなかの出来で、それが描き終わる頃に丁度オーブンから取り出された香ばしい匂いのするミラージュ特製ミートパイもまた、その程よく焦げたパイ生地の表面がツヤツヤと輝いており、切り分けられた断面からはひき肉と玉ねぎにじゃがいもとニンジン、それからトロトロに溶けたチーズの層が見えている。
物々交換と言わんばかりに出来たてのミートパイをサーブしたミラージュに、絵を描いたノートを手渡したクリプトは受け取ったミートパイの匂いを嗅ぐと、ほぅと緩やかな吐息を洩らした。
深夜にこんな重い物を食べるなんてと考えつつも、たまには悪くない。
「へぇ……思ってたより上手いじゃないか。俺の顔の良さをいい具合に表現出来てるし。うん。これはいいなぁ」
「……おい、いつまでも感心してないでシャンパンを開けろよ。パイが冷める」
「照れんなって。お前、そういう……しょ……しょ……褒められるの苦手だよな」
ミラージュは自分の食べるぶんも切り分けたミートパイの載せられた皿の横にワイングラスを2脚並べると、ボトルの栓を抜いてからそこに慣れた手付きでシャンパンを注ぎ入れる。
白い気泡の浮かぶ柔らかな色に変化したグラスをそれぞれ手に持ったミラージュとクリプトはカウンター越しに自然とそのグラスの縁を軽くぶつけた。
「「乾杯」」
カツン、という涼やかな音と共にそう自然と二人ともが口にして、冷えたシャンパンで喉を潤していく。
最初に会った時は互いに良い印象をひとつも抱いていなかったというのに、気が付けばこんな時間に二人きりで酒を飲み交わしているというのがミラージュにとっては未だに不思議な感覚になる。
そういえば、クリプトが新人【レジェンド】として初めて参戦して俺と同じ部隊になったのは丁度2年前の今日だった気がする。
あの時、チャージライフルをキザったらしく構えてウィンクをしながらこちらの胸元に照準を合わせたコイツとは気が付けば随分と長い付き合いになったものだ。
これからもきっとコイツの知らない一面をまだまだたくさん知っていくのだろう。
そんな日々がこれからも続いていくのをミラージュは心のどこかで願いながら、クリプトの描いた絵とミートパイを美味そうに頬張っているクリプトに一度視線を向け、クリプトに気が付かれないように静かに笑ってから、同じように自分の傑作であるミートパイを胃に入れるためにカトラリーに手を伸ばしたのだった。
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