窓から射し込む陽光がモノトーンの家具と、鮮やかな黄色ベースのラグの敷かれた室内を緩やかに照らし出す。
白黒と原色、どうにも極端になりそうだというのに上手く全体のバランスが取れているインテリアは、俺の意見ともう一人の同居人の意見を擦り合わせて決めた物ばかり。
気が付けば、様々な理由を経てこの部屋で奴と暮らすようになってから、もう幾分か月日が経っていた。
初めの頃は特に喧嘩も多かったし、職場も家も一緒というのは気疲れする時もある。それでもなお、離れないのは結局の所、この生活が心地良いからだろう。
僅かに痛む首をコキリと一度鳴らして整える。
そして、こうして昼下がりの長閑なひとときを過ごせるのは、今日が久々のオフだからだ。
そうでなければこの時間帯はいつも血と泥にまみれて【ゲーム】に参加している頃合いだった。
だが、オフにも関わらずラグの中央に置かれた黒い革張りのソファーの上、膝に乗せたラップトップのキーボードで脳内で組み立てが完了したプログラムの残りをロボットのように写していく。
一週間前に急遽依頼された仕事ではあったものの、高額な報酬の割りに依頼内容はそこまで高度なモノではなかった。これなら夕方までには余裕をもって納品出来るだろう。
本来ならよっぽど好意的かつ得意先でなければ、納期が近いものは請けないようにしているのだが、【ゲーム】の忙しいシーズンの合間に請けたのはそれが一番の理由だった。
一瞬だけ止まっていた指先を再び動かしてパタパタという軽い鍵打音を響かせながら、そこまで大きくはないモニターに目を向けていると、不意にモニター全体に影が落ちる。
「クリプト」
それと同時に柔らかな音で背後から呼びかけられた声に応えるように、そっと首だけで振り向くと、そこには二つ揃いのマグカップを持った見慣れた男の姿があった。
両手を前に掲げてマグカップを持っている武骨な指先。そして、ラフな黒地のVネックシャツに色の褪せたデニムを着ている厚みのある肉体。
さらに視線を上に持っていくと、ふんわりとカールがかった前髪を垂らしており、髪に劣らず長い睫毛は瞬きの度に鬱陶しいくらい良く動く。
そんな束感のある睫毛の下、顔の中でも一際目立つ、くりくりとしたヘーゼルカラーの瞳が俺を見つめていた。
そして、チャームポイントなんだと自称しているぽってりとした唇がそのままゆっくりと弧を描く。
「そろそろ二時間半だ。きゅーけー、だろ?」
わざとらしく休憩を伸ばして言った同居人であるミラージュの声かけに、もうそんなに経ってしまったのかと壁にかけられた時計に目を向ける。
時刻は午後二時半。
ミラージュの作ったポルチーニのクリームパスタを二人で食べたのは丁度十二時頃だったから、確かにもう二時間半も経ってしまったらしい。
いそいそと俺の横に座ったミラージュがソファーの前に置かれた木製のローテーブルにマグカップを二つ置いたのを確認して、膝に乗せていたラップトップを同じくテーブルへと置いた。
昔はキリの良いところまでやらなければ気が済まない性分なのもあり、声をかけられても言う事を聞かないのがザラではあったが、毎度、子供の如くしつこく声を掛けてくるミラージュにこちらが先に折れた。
それに、コイツが声をかけてくる時はこちらの疲れが溜まり始めている時を見計らったかのようなタイミングで、休憩だから、と出されるいつものコーヒー以外の飲み物も案外悪くない。
「今日はカフェモカな。たまには甘いのも良いだろ?」
「……ありがとう」
テーブルに置かれた白地にワンポイントで描かれた緑色のネッシー柄のマグカップの中には、ミラージュの言う通り、表面にふんわりとしたホイップクリームの乗ったカフェモカが淹れられている。
普段は砂糖もミルクも入れないブラックで飲む事が多いものの、それだとカフェインの取り過ぎだとミラージュが文句を言うのだ。
カフェモカやカフェラテ、紅茶にココアなどその時々によって"休憩"の時に出てくる飲み物は違うが、どれも大なり小なりカフェインは入っているだろうにと思う。
『ミルクや砂糖が入っていればいいんだ』と謎の理論で反論してきたミラージュに苦笑したのは随分と昔の話だ。
でも、一人なら同じ物ばかりを摂る性格の自分にしてみれば、こうして日々違う物を摂取するというのは確実に隣の男の影響なのだと感じる。
両手でマグカップを掴んで、温かなそれを口の中に含ませる。
チョコレートの風味とコーヒーの味わい、柔らかなホイップが甘くとろける感覚は疲れた脳によく響いた。
中に入っているチョコレートシロップも恐らくそこまで濃密な甘さの物を使用していないのだろう。
自分の好みをこの男に完全に掌握されているという事実が、いつまで経ってもどこかこそばゆい気持ちになる。
「クーリプちゃん」
そして黄色のネッシー柄のマグカップをローテーブルに置いたミラージュが、ニコニコと笑みを浮かべながら俺の名を呼んだかと思うと、そのままごろりとソファーに身を横たえ、後頭部が刈り上げられた頭をこちらの膝に乗せる。
顔を上向けたミラージュの表情はニヤけていて、そのクセ、無駄に顔が良いのが僅かにイラつく。
けれど、今日は久々のオフにも関わらず仕事を入れてしまった自分に文句の一つも言わず、こうして傍に居てくれるミラージュの優しさに気が付かない程、俺は酷い人間ではない。筈だ。
自分も持っていたマグカップをローテーブルに置くと、手を伸ばしてカールのかかった前髪を梳くように撫でてやった。
それだけで心地よさそうに目を細めたミラージュは、まるで従順な犬のように撫でている手に顔をすり寄せてくる。
ぽかぽかと温かな室内、胃に落としたばかりのカフェモカの熱と、男の体温が腿から伝わってくる感覚は、やはり気分が良い。
人の温もりに飢えていた自覚は無かったものの、どこか他人と距離を置いていた俺達は、いつしか寄り添うように傍に居るのが当たり前になった。
対なる存在? それとも、運命の相手? そんな事を何度も考えては、随分と都合よく出来た映画のようだと笑ってしまう。
でも、やはりどこか二人とも欠落している部分があるからこそ、互いを補い合うように生きているんだと、近頃はそんな事をよく思うようになった。
それは自分自身の問題がある程度、解決の方向へと向かってきていて、気持ちに余裕が出てきたのもあるのかもしれない。
まだ完璧では無いものの、少なくともパク・テジュンが無実であるという証明が近いうちに出来る。そんな未来がもうすぐ傍まで見えていた。
ゆるゆると手を動かして撫でていた髪から手を離し、長い睫毛の上を通って、鼻筋をそっと撫で、そのまま頬へと指を動かす。
顎先を覆うヒゲの感覚が指の腹を刺激するのを感じながら、俺はただぼんやりと脳内に浮かんだ言葉を投げかけていた。
「なぁ」
「なんだ? クリプちゃん」
「結婚、しようか」
ポツリと穏やかな世界に漂ったその言葉に、ミラージュが笑ったまま固まる。
おや? と思った瞬間、ブンッと風を切って膝に乗せられていた頭が持ち上がった。
「……あぶなッ」
「ちょ、ちょっと、ま、……え、今? お前、……何……いやいやいや……」
「急に頭を上げるなよ、ぶつかるかと思っただろ。その石頭で俺の歯を折るつもりか?」
「そこは悪かったよ、でも、今はそこ問題じゃないだろ。お前、なんて言った?」
「いや、だから、結婚……」
「待て待て!! やっぱり言い直さなくていい!!」
「うるさいぞウィット。静かにしろ」
一人でドタバタとしているミラージュに、いつもの事だとローテーブルに置いていたマグカップをまた手に取り口をつける。
ゆっくりとした瞬きの合間に口の中で溶ける甘さが無くなりかけた頃、隣の男はずっと頭を抱えていたが、急にソファーから立ち上がりどこかへと行ってしまう。このタイミングで居なくなるとはどういう了見なのだろう。
まさか、実はそういうつもりでは無かったなんて今さら言うつもりか。
不安な気持ちが首をもたげ始めた頃、何故か緊張しているような面持ちのミラージュがリビングに戻ってきたかと思うと、いそいそとテーブルを横にずらし始める。
「3ヶ月だぞ」
「……は?」
脈絡なくミラージュがそう言って、俺の手の中にあるマグカップを取ると、ずらしたローテーブルの上にそれを置く。
黄色のラグの上、テーブルの移動した跡の残るそこに片膝をついたミラージュが俺をジッと見つめたかと思うと、モゴモゴとヒゲに囲まれた口を動かした。
「……だから、3ヶ月だ。お前、本当にいっつもいーっつも良い所ばっかり持っていきやがるな。あぁ、もう、俺の計画とか時間とかムードとかさぁ、……ちょっとは考えてくれよ」
ぶつくさと言いながらもミラージュの目は優しい色を灯し、垂れた前髪が光に照らされて、飴細工のように黄金色に透き通って見える。
そうして膝をついたままのミラージュが、デニムのポケットから微かに震えた指先で取り出した赤いケースをこちらに掲げたかと思うと、その蓋をゆっくりと開いた。
赤いケースの中には白いベロア地のリングクッションが埋め込まれており、その中央にはリングが二つ、慎ましく並んでいる。
片方にはグリーン、もう片方はイエローの小さな宝石が埋め込まれた揃いのシルバーカラーのリングは、白い生地の上で美しい輝きを纏う。
――――そのリングの意味が分からない程、俺もバカでは無かった。
「……お前、3ヶ月も前から用意してたのか?」
「そうだよ。お前の誕生日に、もしくは俺達の付き合った記念日にってずっと思ってたんだ。俺は色々と大切にしたいタイプだからな、分かるだろ?」
ふ、と笑ってそう囁く俺の前で、苦笑したミラージュが神妙な顔へと変わる。
先ほどまで膝の上で犬のようにだらけていた男とは思えない、ただただひたむきで真っ直ぐな視線。
【ゲーム】の時の真剣な表情によく似たその顔が、堪らなく好きだった。
「テジュン、お前と結婚したい。……俺の家族になって、下さい」
最後の方は気恥ずかしくなったのか、少し語尾が小さくなったミラージュの顔につられるように頬が熱くなる。
"家族"という単語は俺達にとってとても意味のある言葉で、それは互いに意識しながらも中々言う事はなかった。
それは、どうにも探り探りな部分があったからだろう。
でも、それが今日という日で変わるのなら、悪くないと思えた。
「エリオット」
リングケースに収められた、グリーンの石が嵌められた俺の指の太さよりも大きめなリングを手に取る。
こちらの意図を理解したのか、残されたイエローのリングを取ったミラージュは、ケースをラグの上に置くとリングを持っていない方の左手で俺の左手を取った。
そうして俺の薬指にリングを嵌めたミラージュに、こちらも同じように左手薬指にリングを嵌めてやる。
意味深い指につけられた、揃いのリング。
互いのイメージカラーとしてよく使われる色をそれぞれ身に着けるというのは、随分とロマンチックな趣向を凝らしたモノだと笑みが浮かんでしまう。
「……病める時も、健やかなる時も、傍に居てくれるのか?」
「お前、病んでなかった時の方がまぁまぁ少ないだろ。……おい! 怒るなよ、冗談だって」
思い切り失礼な事を言い放った男に眉をしかめると、慌てたように手を振ったミラージュがそのまま言葉を続けた。
「どんな時でも、俺はお前が一番だ。だから、一生かけて幸せにする。……お前もだろ? テジュン」
微かに目元を赤く染めたミラージュが、はにかみながらそう言う。
初めて出会った時はどうにも反りの合わない奴だと思っていたのに、今ではどうしたってコイツがいなければ、きっと。
そんな思いを込めてミラージュの指と、自分の指に光るリングに目を向けてから、ミラージュの頬に手を当てて、座ったまま身を屈め顔を寄せる。
ちゅ、と触れあった唇は温かくて、そうして甘い甘いチョコレートの匂いがした。
「あぁ。このリングに誓ってやるよ。お前が嫌って言うくらい幸せにしてやるさ、エリオット」
だから覚悟しろ、とクスクス笑ってそう囁きを落とす。
「おいおい、めちゃくちゃ男前な宣言だな。……最高だ、望むところだよ」
お返しとばかりにミラージュの目がふわりと細まって、囁かれた言葉と共に頬に当てた左手に右手が重なる。そのままこちらの頬に左手を当てたミラージュの唇が、また俺の唇を柔く塞いだ。
離れた顔の先、ヘーゼルの虹彩の中で同じように目を細めて笑う自分の姿が、"幸せ"というモノを体現していた。
今までと恐らく生活は変わらない筈で、ただ"家族"になるのだという宣言をしただけなのに、こんなにも心を満たしてくれる。
そして窓辺から差し込む光の筋が丁度二人の間に重なって、まるで天からの祝福のようにキラリとリングの輝きを深めた。
余りにも出来過ぎたライトアップに、また二人で自然と微笑みが洩れ、頬から手を離して両手を重ねる。
ギュウと握り合った手は熱く、そこには些細な事では揺るぎようの無い"家族"としての絆があるように思えた。
――――例え、これが都合のいい映画だったとしたって構いはしない。
何故なら、心を癒してくれる珠玉の名作たちは、最後はいつだってハッピーエンドで終わるのだから。
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