満天の星空の元、明朗な歌声と共にどこか哀愁を帯びたギターの音が冷えた空気の中へと溶け込む。
薪の腹を舐めるようにパチパチと小さな音を上げている火をゴーグル越しの視界で見つめていたブラッドハウンドは、目の前でその喉を震わせて歌声を披露しているヒューズに再び視線を戻してから、手に持っていたビール瓶を今はマスクを取り付けていない口許へと運んだ。
ほろ苦くも淡くはじける炭酸がふくりとした唇を湿らせ、吸い込む息に混ざって飲み込まれていく。
そして嚥下の度に、ほんの僅か生温さの宿るアルコールが身体を柔らかくしていくのを感じつつ、その動きにつられるように帽子の装飾がシャラリと涼やかな音を立てた。
【ゲーム】がオフシーズンという事もあり、自身の故郷であるタロスへと戻ったブラッドハウンドの元に、友人であるヒューズが袋に入れた両手いっぱいの酒瓶を抱えてやってきたのは今日の夕刻の事だった。
自身の夕飯の為に狩りに出ていたブラッドハウンドの小さな家の前に佇んでいたヒューズは、ブラッドハウンドを見ると嬉しそうにその白い歯を見せて笑うと、さも当然のようにブラッドハウンドに『おかえり』と挨拶の言葉を投げかけたのだ。
ブラッドハウンドにしてみれば突然の訪問に戸惑いを覚えはしたものの、けして嫌な気分にはならなかった。それは、相手がヒューズだったからに他ならない。
「お前は歌も上手いんだな、ウォルター」
最後の節を軽やかに歌いきったヒューズに、ブラッドハウンドはただただ称賛の言葉と、地面に瓶を置いて、使い込まれた手袋の軽い音を響かせて拍手を贈った。
そんなブラッドハウンドの反応に照れたように白髪混じりの髪に手を沿わせて笑顔を見せたヒューズは、ギターを座っている丸太に立て掛けるように置く。
家の中で二人飲み交わすのも悪くはないが、折角なら外で飲まないかというヒューズの提案に乗って、ブラッドハウンドとヒューズは小さな家の傍ら、普段はブラッドハウンドが一人で焚き火や作業をする場所にて向かい合うようにして座りつつ、語り合っていた。
周囲を鬱蒼とした木々に囲まれたそこは、アルコールを含んだ身体には丁度良い温度。
そこにヒューズの歌声が響けば、ブラッドハウンドにしてみれば逆に暖かさすら覚える程であった。
「よせよ、そんなに褒められると照れちまう」
「本当の事だ。お前の声は、まるで世界を照らす太陽のようでもあり、そうして冬の夜の空気のように澄み渡っている」
ブラッドハウンドの言葉に、義手である右手を振ったヒューズはそのまま地面に置かれたビールの酒瓶へとその指先を伸ばした。
金属で造り上げられた光沢のある義手は義手である事を忘れるくらい、滑らかにその指先をビール瓶へと纏わせると、存外繊細な手付きで口元へとそれを運んでいく。
ゆらりと火を反射したその淡緑の瓶の中、半分ほど入っていたビールを一気に口に含んだヒューズの喉仏が上下するのを視界に映したブラッドハウンドは、そんなヒューズの行動が照れ隠しの一端である事を理解していた。
ヒューズが【APEX】に参加してからまだ二シーズンしか経っていない。
それでもブラッドハウンドの故郷である惑星タロスがハモンド社の悪行によって壊滅の危機を迎えた際、誰よりもブラッドハウンドに寄り添っては、懸命に支えようとしてくれた。
お世辞にも達筆とは言えない文字で綴られた、実直な慰めに溢れた手紙はいつだってブラッドハウンドの心の中で息づいている。
「ブラハ。お前、歌はやらないのか」
「歌……か。そうだな、昔は村で主神への感謝を捧げる為の祭祀があった。その際に少しだけな」
「へぇ。祭か、そりゃいいな。サルボじゃ祭をしなくたって、毎日が祭みたいなモンだったからよ」
そう言ってヒューズはカラカラと笑う。ヒューズの出身星であるサルボでは、連日のように内紛が続いており、ヒューズも凄腕の傭兵として名を馳せていた。
混迷極めるサルボの中でも一際に鬼神のような強さと、その強さに奢らず愛嬌のあったヒューズは非常に周囲から愛された闘士だったのだという。
そうしてサルボがシンジケートへと加入し、【APEX】への参加を許された今でも、ヒューズの周囲には常に温かく穏やかな雰囲気が満ちている。
ヒューズの言う"祭"が決して明るいだけのモノではないと理解しながらも、ブラッドハウンドはそんな彼の過去を[[rb:些 > いささ]]か、羨ましく思った。
羨ましいというよりも、ヒューズの過去がどのようなモノだったのかを聞く事は出来ても、共に体験する事は出来ないからだ。
無論、常に明るいヒューズが過去の話に触れる際、どこか眩しい場所を見るように目を細める姿に、きっと触れられたくない記憶の一つや二つ、あるのだろうとは言わずとも分かっていた。
「どうだ、一曲。って言っても、俺は自分の星の歌しか知らねぇからなぁ……」
ニヤリと唇に弧を描かせ、ヒューズがそう言うのを今度は逆にブラッドハウンドがビールを口につける事で誤魔化す。
歌えと言うならば歌えなくも無かったが、それでもあれだけの美声を聞かされた後に歌える程、ブラッドハウンドは自分の歌声に自信を持ってはいなかったからだ。そんなブラッドハウンドの思考を読んだのか、苦笑したヒューズがさらに言葉を続けた。
「ま、いいさ。お前さんの歌はいつか聞かせて貰うとして、近頃はどうなんだ? ……よく眠れてるのか」
不意に飛んできた言葉に、ゴーグルの奥の目が緩く細まる。
白く輝く羽を持った主神の遣いから与えられた試練を乗り越え、自身の感情に一定の区切りをつけられたとはいえ、未だタロスが危機的状況である事は何ら変わりが無い。
解決には長い時間が必要であり、もはや回復が難しいタロスから民を違う場所へと移動させなければならないという考えもブラッドハウンドの脳内には計画の一つとして存在していた。
だが、それは今まで生きてきた故郷を民達に棄てさせるという選択を強いる事になる。
慎ましく自然と調和し暮らしてきた人々にとって、この星は母なる大地そのもの。そして、それはブラッドハウンドにとってもまた、同じ事だった。
「……心配痛み入る、ウォルター。[[rb:其方 > そなた]]がわざわざここに訪れてくれた理由が分かった」
「ッはは! いやいや、俺はどうにもお節介みたいだ。特にお前相手にはな」
眠れぬ夜が何度もあった。己の選択や生き方を責め立て恥じ入り、消えたくなる夜が何度も。
けれどそんな時は決まってヒューズがこちらの顔を見遣って、そうして常に思いやる言葉を投げかけてきてくれた。
あの時はまだそんな優しい言葉すらも受け取る価値が無いのだと己を律していたが、今はキチンと感謝の念を伝える事が出来るまでに回復出来ていた。
――――ウォルター・フィッツロイという男は、豪快さを持ちながらも、人に寄り添える美しい心を持つ人間だ。
ブラッドハウンドはそんな事を近頃はよく考えるようになっていた。
出来る事ならば、嵐のような快活さと凪いだ湖面のような相反する[[rb:心根 > こころね]]、それでいて、それらが上手く融合している[[rb:彼 > か]]の人の事をもっと知ってみたい。
そして、この感情の行く先がどこに向かうのかを過去の経験からブラッドハウンドはよくよく理解していた。
パキ、と地面に置かれた薪が火に焼かれて[[rb:頽 > くずお]]れ、小さく音を立てる。
「なぁ、ブラハ」
自然と落としていた目線を再びヒューズに向けたブラッドハウンドを捉えるように、ヒューズの鳶色の隻眼が静かにその虹彩にブラッドハウンドの姿を映す。
低くも優しいその声が、鼓膜を揺らす感覚が微かな酔いの回った脳内へじわりと滲むのが心地よい。
それと同時にブラッドハウンドの脳内には、かつての友の姿が浮かんでいた。
ふさふさと毛量の多い漆黒の髪、鋭い顎先に比較的細身の体躯。与える印象はどこか冷たさを孕んでいたものの、慣れてくればその冷たさの下にある冗談を好む気質が垣間見えてくる。
当時、まだ未熟だった狩りの腕前を見せるのが恥ずかしく感じるくらいに"彼"は……ブーンは、優れた戦士だった。
何故こんな時に"彼"の面影を脳裏に浮かばせてしまうのだろう。
ブラッドハウンドはそんな重たい感情をどうにか心のうちに忍ばせようとしたが、その前にヒューズの声がかけられる方が先だった。
「……俺は、お前の事が心配なんだよ」
「……それは、さっきも……」
聞いた、と言いかけた唇を閉じる。
その言葉の意図が分からない程に、ブラッドハウンドも経験が浅いワケでは無かったからだった。
噛み砕くように告げられた言葉が胃に流したアルコールと同じように全身へと染み渡る。
ドクドクとアルティメットを使用した時のように心臓が早鐘を打ち、血流が早くなるのが伝わる。それと同時に纏った衣服の下、冷えた汗が流れた。
脳が指令を出している筈なのに、自分自身の肉体がまるでコントロール出来ない。
無意識に瓶を地面へと置き、左腕につけられたコントロールパネルへと指先を這わせたブラッドハウンドを見たヒューズは、少しだけ寂しそうに笑ってその指の辿る先を見遣った。
手袋越しの指が触れているのは、"彼"の機械を改造して作られた、ブラッドハウンドが【レジェンド】である事をたらしめる美しいテクノロジー。
ソナーと呼んではブラッドハウンドが大切にしているその機械は、唯一遺された、"彼"との思い出の品だった。
ブラッドハウンドがそれを公言した事は無かったが、時折、自身を落ち着かせるようにそこを撫でるブラッドハウンドの姿をヒューズはもう幾度も見ていた。
「別に、今すぐになんて俺も思っちゃいないさ。……ただ、知っていて欲しいっていう、俺のエゴだ」
ふ、と吐息を洩らしたヒューズの整えられた口髭の下、白い呼気が空へと漂い消える。
もう離れてしまいたいと何度も願い、そうして、忘れてしまいたいと思い続けている記憶達。
それでも、"彼"がヴァルハラへと至る夢を見る。そうして主神の御前にて再会した"彼"と共に、永遠に狩りをし続けるのだという、そんな夢。
"彼"の生きていた時の表情の細部が朧げになっているのを、ブラッドハウンドは自覚していた。
でも、"彼"がケージから落下した瞬間の砂埃の立つ地面の匂い。そうして身体を引き裂かれたせいで湯水のように零れ落ちる鮮血。見開かれ、救いを求める髪と同じ漆黒の[[rb:眼 > まなこ]]。
…………その記憶だけが脳内と瞼の裏に焼き付いて消えない。
「……ウォルター……」
震える声が目の前の友人の名を呼ぶ。縋れるのならば、縋ってしまいたいと何度願っただろう。
離れがたい記憶が体を後ろへと引き摺るようだ。
そして、深淵への入口にも似た、恐ろしい闇の中へとまた戻るのは嫌だった。もしも、"彼"と同じようにウォルターを失う日が来たとしたら、きっと堪えられない。
前も後ろも八方塞がりのようだと、ブラッドハウンドは思う。
上手く言葉が紡げず黙り込むブラッドハウンドとヒューズの合間、無謀にも火に向かった羽虫が、その翅を燃やして薪の上へと身を落とした。
「あぁ、すまなかった、ブラハ。……お前にそんな顔をさせたかったワケじゃないんだ。お詫びにもう一曲歌ってやるから、笑ってくれよ」
ゴーグル越しの目の動きすら見透かしたように、ヒューズは柔く微笑み、立て掛けていたギターを手に取る。
いっその事、問い詰められたら良かったのかもしれないとブラッドハウンドはありもしない空想をする。
そうして全てをさらけ出してしまいたかった。服の下に隠された、数えきれない傷跡さえも。
けれど、けして、ウォルター・フィッツロイという男はそんな事はしないのだろう。何故ならウォルターは"彼"とは違う。
先ほど弾いていた曲よりも明るい響きの曲を入れ墨の入った太い指先が弦を弾いて奏で出すのと同時に、何処か遠くでカラスが鳴いた。
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