拝啓、愛しき箱庭の君達へ



 巨大なハモンド社のマークが描かれた門扉の先、漸くたどり着いた目的地の前でゆるりとため息を吐く。
 ここまで来るのは本当に長く険しい道のりで、一人では絶対に辿り着けなかっただろう。
 複数の文字列を浮かばせているモニターが並んだ下には、チカチカとライトを点滅させている複雑なコントロールパネルがあり、その中心には分厚いガラスで覆われた赤い小さなボタンがあった。
 あれが【APEX】のシステム停止ボタンであることは、この場に居る全員が知っている事だった。
 「ほら、クリプト」
 ぐ、と背中を押されて、押してきた人物の方を振り向く。
 そこには傷だらけのミラージュが立っており、さらにその後ろにはレヴナントとアッシュを除いたレジェンド達がそれぞれ互いに傷付いた身体を支え合いながらも、一人一人が頷きを返しながらこちらを見つめていた。
 マーシナリー・シンジケートにされた全てをレジェンド達に話すのは並大抵の覚悟では出来なかった。それは自分が殺人の容疑で指名手配されているパク・テジュンである事を白状するのもセットだったからだ。
 だが、ナタリーや途中で俺の秘密を知ったミラージュの助言に拠って、俺は独りで戦うのではなく、皆に協力を仰ぐ事を決めた。
 【ゲーム】で得られる報酬を求めているメンバーは数多くおり、【ゲーム】を終了させる事が彼らにとって問題になるのも分かっていた。
 この話が真実なのかすらも疑われるモノかと思っていたのに、彼らはけして俺を疑う事無く協力を約束してくれた。
 それだけ俺達は【ゲーム】で共に戦うのを繰り返す度に信頼を深めていたのだろう。その上で、マーシナリー・シンジケートにはそれぞれが苦しい思いをさせられている。
 だからこそ、自分達の信頼を深めてくれた【ゲーム】とはいえ破壊する事に同意してくれたのだろう。

 誰も信じられず、全て一人で行わなければならないという重圧から解放された時、俺は溢れる涙を押さえる事が出来なかった。
 「……あぁ」
 そうして、漸くマーシナリー・シンジケートの持つ最も重要な機密を保管しているビルに銃火器を両手に携えた俺達は突入し、途中で様々な妨害や攻撃を受けながらもこの深層部に存在する【ゲーム】の根幹システムを管理している場所にまで足を踏み入れたのだった。
 ボタンを押せば、【ゲーム】のシステムは停止し、マーシナリー・シンジケートに一泡吹かせられる。
そうしてその後は俺達の手で集めた不正や悪行の数々を世間に公表する、そういう段取りになっていた。

 冷たいガラスの蓋のロックを外し、その赤いボタンに指を這わせる。
 これで俺の目的の一つは達成されるのだと思うと自然と指先が震えた。
 だが、ここで止めるなんていう選択肢は無い。指先に力を込め、ボタンを押し込むと、案外楽に底へと沈んだ。
 そうして目の前の複数のモニターに緊急停止のコマンドが赤い文字で流れ出す。
 後はこのままシステムが自動で止まるのを待つだけだ。

 だが、その瞬間、俺はまるでここではない場所に立っているかのような浮遊感を覚えていた。
 記憶の奔流、どろついた鉄臭い血液の臭い、傷付いた足から見える白い骨の先端。高い所から叩きつけられ全身に広がる打撲痕。痛みが全身を切り裂く。立たなければ、勝たなければならない。そうしなければここに来た意味が無い。腹を穿たれた時の衝撃と殴られて飛ぶパーツ、頭を撃たれても立っている。脳漿が、落ちて砕けていく感覚の恐怖。ぞろりと背をなぞる毒ガスと落ちた先の溶岩が全身を舐める、熱い、苦しい、溶け落ちた腕がダラリとその溶岩に混ざって沈む、沈む、沈む。

 至るところから聞こえる「なんで」「どうして」「助けて」という悲鳴と叫び声が耳を塞ぐ。
 堪えきれずに倒れかけた体をどうにか支えながら、周囲を見回せば、地面に倒れ伏せて蠢く複数のモノがあった。

 ――――何故、全員同じ姿をしているんだ?

 思わず自分自身の手を見つめる。そこには滑らかな金属製パーツで造られた指先と、見慣れたハモンド社のロゴマークが手の甲に描かれている。
 自分の意志通りに動く指先に思わず吐き気がこみ上げ、地面に膝をついた。喉奥から呻き声が洩れるものの、臓腑の底から出る筈の吐瀉物は出ず、ただユラユラと曲げられた体が動くだけだった。
 そうして周囲をもう一度見回せば、同じように地面に突っ伏し各々が泣き叫んでいたり、ただ黙って堪えていたりと様々ではあったが、傷ついていたモノ達から流れ出ていた筈の血痕はオリーブ色をしたオイルに変わっていた。
 まるで失禁でもしたかのようにコンクリート製の床を濡らすそれらは、ジクジクと全員を蝕み、次第に状況を理解する。
 見覚えのあるこの姿は、ホログラム装置を搭載した一般的な戦闘用シミュラクラムのそれだ。
 「ブラハ!!」
 不意にノイズ混じりのヒューズの声が部屋中に響き渡る。
 それと同時に恐らくブラッドハウンドであろう機体が、ガシャリと音を立てて地面へと崩れ落ちた。
 ヒューズの必死の呼びかけにも関わらず、一切の反応を示さないブラッドハウンドの異常さに全員が注目し、そうして咄嗟にブラッドハウンドに駆け寄ったジブラルタルが今度はそのまま膝をついたかと思うと、呆気なく倒れた。
 一体何が起こっている? 誰一人理解出来ないままに時が進んでいく。だが、ただ一つだけ確実に言えるのは最悪の状況であるという事だけだった。
 「おい、アネキ、何寝てんだよ……起きろよ! なぁ、……なあって……」
 またもや、ガシャ、という音と一緒にライフラインらしい機体が倒れている横で、オクタンが苦しげな声を上げてその体を揺すっている。
 だが、何の反応も返さずにただ虚ろな目をしたそれは床の上でされるがまま。
 「パス……ナタリー……私、嫌よ……いや……死にたくない……」
 益々異様さを増してきた中で、震える声でレイスが囁く。
 頭を抱えて座り込んだレイスを宥めるようにナタリーがその体を強く抱きしめ、パスファインダーは右往左往している。
 もしも、【ゲーム】に参加した順番でダウンしているなら、独自の回路で活動しているであろうパスファインダーを飛ばせば、倒れるのはレイスになる筈だ。
 その前になんとかしなければと、必死に先ほど押したボタンに向かって駆け、赤いそこを何度も連打する。
 それに加えて慌ててコントロールパネルを操作し、ハッキングを仕掛けようとするが、この短時間ではいくら何でも不可能であった。

 ボタンを連打してもキーボードを叩いても、当然のようにそれは反応を見せず、代わりに先ほどまで複数のモニターが設置されていた場所からモニターが横に移動し、透明の仕切りが現れていた。
 仕切りの先に目を向けると、そこにはこれまた透明なガラスに入ったレジェンド達の頭部が培養液に浸され、虚ろな目をして浮かんでいる。
 そうしてその幾つもあるガラスケースの何個かは真っ赤に染まっており、グルグルと回転している培養液の中で皮膚と散らばった筋肉片が蠢いていた。
 あの頭部は見た事がある。以前、サーバー内で盗み見た、レヴナントのソースコードと同じモノ。

 思わずホルスターに携えていたR301を構えると、その透明な仕切りに向かって全て撃ちこんだ。
 しかし、強力な防弾加工が施されているらしく、その仕切りはビクともしない。
 銃弾の僅かな痕しか残らないその場所を見ていると、背後でナタリーの悲鳴が上がった。
 泣き叫び声にならない声を上げているナタリーの近くで、縋るようにローバがバンガロールの身体を抱きしめる。
 「ねぇ、嫌よ、……私、貴女が居なくちゃ……アニータ。お願い……お願いよ……!!」
 「そうだよ。全部終わったら、私と、お姉さんと、貴女でデートするって約束したじゃないか……なぁ、アンタは約束を破るような奴じゃないだろッ……」
 そうしてバンガロールの右腕を掴んで、ヴァルキリーが声を上げる。
 だが、バンガロールは答える前にまるで糸の切れた操り人形のように左右に揺れながらローバの腕の中に倒れ込んだ。
 ダメだ、こんな結末なんて、堪えられない。
 俺は再び震える手でマガジンに弾を詰め込んでいると、不意に隣に巨大な影が映る。
 顔を上げると低い声でコースティックが囁いた。
 「まさか、こんな事になるとはな。……私達はこの場所に来る前から既に敗北していたという事だ」
 「……コースティック……」
 「だから、お前が気に病む必要は無いだろう。……では、お先に失礼するよ。テジュン」
 そっと頭にコースティックの手が乗せられ、そのままズルリと目の前で廃液を流しながら意志の無い人形と化したコースティックを見つめる。
 こんなのは、嘘だ。何もかも、悪い夢だ。そうでなければ、俺は。
 「クリプト!」
 倒れ込みそうな俺の腕を引いた機体の声はミラージュだった。
 合成音でも怯えているのが分かるくらいの声がさらに言葉を紡ぐ。
 必死さを宿したその声が消えるのが怖くて、その体を抱き寄せた。
 今は何の匂いも感じない、その首筋に顔を寄せ、額を押し付ける。
 どうかこの男を壊さないで、俺がこの世界を壊したのなら、俺だけが死ぬ世界であってくれと願う。
 「俺、……俺さ……お前にずっと言えなかった事があるんだ。……俺は……お前を、……」
 耳元で聞こえるその声が、ブツリと途切れる。
 急に力の抜けた体を支えながら、ゆっくりと後ろを振り返ると、もう一つ真っ赤に染まったガラス容器の中。
 いつも艶々とした美しい光を湛えていたヘーゼルの眼球が二つ、クルクルと赤い水の中で揺蕩っていた。
 「――――ぁ……、……あぁ、あ……あぁああ……!!」
 俺もまだお前に言えていない事がある。
 クリプトがパク・テジュンに戻れた時、その時に、俺はずっと言いたかったセリフを言うつもりだった。
 そうしてどうか俺と共になってくれないかと、そう問いかけたかった。
 きっとお前は俺からのそんな言葉に照れながらも、笑って返してくれるんだと思っていたんだ。

 全てを終わらせたいと願った。自分の冤罪を晴らし、そうしてこの血塗られた【ゲーム】を最後に壊してしまおうとした。
 それがどれほどの代償を払わされるかなんて、想像すらしていなかった。
 考えてみれば、あの激しい【ゲーム】の中で怪我だけで済む筈が無いのだ。
 いくら安全性に配慮していると言えども、事故というモノは長く開催すればする程に起こりやすい。
 けれどマーシナリー・シンジケートにしてみればこれ程簡単に稼げるイベントを、たった一人や二人の命が亡くなったからといって、失うワケにはいかなかったのだろう。
 ならばレジェンド達が知らない間に、絶対に死ぬ事の無い身体に作り替えてしまえば良い。
 【ゲーム】でのダメージの蓄積で仮死状態となっている相手をシミュラクラム化するなど、容易かったのだろう。

 ただひたすらに目の前の男の身体を抱きしめる。あれだけいつもやかましく喚いていた男はもう話をしない。
 この世界は地獄だ。でもどうせなら、何も知らないままの方が幸せだったのかもしれなかった。
 段々と周囲の音が少なくなる。そうして、俺もまた、急に回路を切られたかのようにブツリと意識を失った。



 『該当シミュラクラムの全ソースコード破壊オーダーを完了しました。システム【APEX】デリート』

 無機質なアナウンス音声が部屋中に流れ出し、モニターに文字が流れる。
 幾度か流れたそのアナウンスはやがて確認する責任者が居ない事を理解したのか、再び透明な仕切りを覆い隠すようにモニターが移動する。
 そうしてそれらの前に重なり合うように倒れ伏せた多くの機械達は誰一人それに応える事は無く、ただ重苦しい沈黙だけが周囲を支配していた。






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