ハンプティ・ダンプティ



 ぐちゃり、と物体がひしゃげて潰れる音がする。
 集音機能を搭載した頭部パーツがその音を聞き取る度に、過去に殺した皮付き共の叫びや泣き声と、絶望の表情がメモリーログから勝手に引き摺り出される。
 この手の音は嫌いではない。というよりも、もう聞き慣れていて、常識的な感覚を持つ生物ならば得るだろう不快感など微塵も存在すらしなかった。
 だが、現在潰れているのは皮付きの脳や肺ではない。そうして、潰しているのも私では無かった。
 忌まわしいゲームの開催地が変更となり、ストームポイントという無駄に広く原始的な場所で戦うようになってから、そこそこ経つ。
 運営曰く、『広大な自然に囲まれた今までに無いフィールド』などと宣っていたが、これまで自然に溢れた場所を破壊してきたのは奴らだろうとその皮肉さと残虐さに嘲笑が洩れたものだ。
 しかし、自然に溢れたというのはあながち間違いではなく、このフィールドの至るところにはプラウラーやスパイダーの巣があり、ソイツらは常に群れだって血を求めていた。

 そうして、今回の初動で降下したコマンドセンターのジップラインの先。
 被った何部隊かの敵を屠った後、特に物資も不足していないというのにスパイダーの卵を次々と割った同じ部隊のポンコツロボットは、そこだけはロボットらしく正確無比な手付きでそれらを処理していく。
 こちらに吐き掛けられる白い粘性の糸を避け、私が仕方無く一体殺す間に他の蜘蛛を瞬く間に殺したポンコツロボットであるパスファインダーは、最後の一体を重量のある足先で踏み潰した。
 それがつい先ほど聞こえたぐちゃりという音だと認識し、顔を上げると、青いカラーリングのロボットは蜘蛛の体液や敵部隊の血で所々緑や赤に染まっている。
 このロボットが錆びを気にせず、血を拭わないままなのは随分と珍しい。
 だが、元々薄汚れたロボットがその身体を汚している事に対して、何か皮肉めいた一言でも投げてやろうという気にもならなかった。

 何故ならば、いつもパスファインダーというロボットは対応するのが面倒なくらいに話をするというのに、今日はゲーム開始時からろくに話をしない。
 そうして、何処か死に急いでいるような印象を覚えた。
 けれど、戦闘時はある程度の機体保持機能がついているからか、結局の所は敵が全員死に絶え、我々だけが残った。
 そもそも、どれだけ自棄になったとしても、自ら選んで死ぬなど出来ないのだ。
 私も、コイツも。
 「……ねぇ、レヴナント」
 不意にパスファインダーの合成音が響く。
 頭上に輝く太陽と、周囲に散らばるバラバラに砕けた蜘蛛の死骸、地面に零れているアイテムの数々。
 それらの中心で、ひょろ長く青い機体のロボットが赤いカメラアイで真っ直ぐにこちらを見据えていた。
 「君は知ってたの?」
 主語の無い問いかけに黙ったままで居ると、さらにこちらに近付いてくるパスファインダーの足元で、再度、蜘蛛の死骸がぐしゃりと踏みつけられる。
 いつもなら胸部モニターに描かれている笑顔の顔文字は消え去り、怒りを表すマークを描いていたかと思えば、それは黒く塗り潰されていく。
 その後に表示されるのは、泣いている顔文字。
 「アッシュが、僕のマスター達を殺したって事」
 「……は……」
 そのまま私の前に立ち塞がったパスファインダーは、何の感慨も無いようにそう言い放ち、私は思わず吐き出し掛けた笑みを収めた。
 そうか、それでコイツは混乱しているのだというのがよくよく理解出来たからだった。
 自分が一度でも愛し、救った相手が、自分の主人を噛み殺した張本人だったなんて、何という面白い見世物だろう。
 ましてや、このロボットはその事実を飲み込む為に必死で演算しようとしているのだ。

 話をしていると、嫌という程に伝わってくるこのパスファインダーというロボットの純粋無垢さが私には酷く不快だった。
 まるで誰にも手をつけられていない新雪のような白い思考は、こちらの皮肉や感情の機微など大抵理解出来ない。
 そうして、人間の持つ、濁って澱む重たい願いすらも、分かりえないのだろう。
 「何故、私が知っていると思う? ……もしも知っていたなら迷わずお前に教えてやったさ」
 「……そう……」
 だから、私はこのロボットに今だけは優しくしてやる事に決めた。
 これからコイツは羽化しようとしているのだ。
 人間の持つ最も忌まわしくも苦しい、"愛憎"をラーニングしようとそのちっぽけなAIを駆動させている。
 愛しているけれど、存在を抹消したい程に憎らしい。憎くて堪らないのに、それでもなお、関わりを断つ事が出来ない。
 そんな常に脳内を焼くような不愉快な感情を擬似体験しようとしている。
 「アッシュの事はガールフレンドだと思っているよ。それに、僕のマスターの一人だ。今だって、そう思ってる……だって僕はパスファインダーだもの。人を好きになるようになってる。……でも、ならこれは何?」
 パスファインダーは自らの胸部モニターをその太い指先で撫でた。
 ザラザラとノイズの走るそのモニターに目を向けると、同じように顔を下に向けていたパスファインダーが再び顔を上げる。
 「……僕、怖い。……こんな事は初めてなんだ……だってずっとマスターを探していて、やっと彼らの功績や性格を思い出した。皆、とても素晴らしい人達だったんだ。殺される理由なんて一つたりとも無かった筈だよ」
 ポツリポツリと落とされる言葉の一つ一つは、機械の合成音に過ぎない。
 しかし、そこには確かに他人を殺したいと願う程の憎しみが渦巻いていた。
 この無垢なロボットすらも、結局は人を憎むように変容しえるのだという事実が喜ばしくもあり、何故か勿体無いようにも思えた。

 首元のモーターを動かし、あからさまに俯いたパスファインダーにそっと手を伸ばして、赤いカメラアイの上下に取り付けられた細い金属フレームに指先を這わせる。
 まるで最愛の親友が悲しみに暮れているのを、頬を撫でて慰めるような手付きで。
 黄色の細いアイカバーパーツの頑強に溶接された箇所をなぞり、赤い光を囲うように円を描く下部分のパーツをじっくりと撫で終わる頃には、胸部モニターにクエスチョンマークを浮かべたパスファインダーが目の前に立っていた。
 「可哀想なパスファインダー、お前は私の"友人"だ。心からお前を不憫に思う。……だが、何を怯える必要があるんだ?」
 私の声に聞き入っているのか、一切の動きを停止したパスファインダーは赤い目でただこちらを見据えてくる。
 憎悪、嫌悪、殺意……そんな不愉快な感情のレクチャーなら幾らだってしてやろう。それは私にとっては至極当然のモノとして常に傍らに存在するのだから。
 そうしてそのまま、白い雪原の如き電子回路が演算の果てを越えて柔らかく焼き切れる様が見てみたくなった。
 そもそも、私を人間では無いと言い放ったコイツが、逆に人間らしい思考を持ったとしたなら。
 私の無限の苦しみを"ナルシスト"などと揶揄したコイツには良い罰になるだろう。
 ――――そうしていっその事、私のように堕ちる所まで堕ちてきてしまえばいい。

 「あの女はお前から全てを奪い去った。そうして、今ものうのうと生き続けている。お前があの女を同じ目に合わせる権利があるのは明白ではないか」
 「……違う。……例え、そうだったとしたって、僕のマスター達は僕が復讐の為に他者を殺す事を望まない。ましてや、マスターの一人だ。僕は、……僕は、善良なロボットでありたいと願っている」
 「けれどお前はあの女が憎くて堪らないのだろう? ……なぁ、パス? ならば、答えはとっくに出ているじゃないか」
 ふ、とくぐもった含み笑いをしてみせれば、パスファインダーの胸部モニターに一瞬だけ怒りの顔文字が映り込んだ。
 そのまま何を言うのだろうと様子を窺っていると、不意にパーツを撫でている私の鋭い指先を躊躇い無く、四角く角ばった指先がつかみ取った。
 先端が潰れて壊れる程では無いが、逃げにくい程度の絶妙な力の配分に、このロボットは以前よりも揺さぶりが効きにくくなっている気がして内心ため息を吐く。
 これでは面白みがないではないか。そう思う私をジッと見つめてくるパスファインダーのカメラアイの奥が、観察でもしているのかキュイ、と音を立てて焦点を絞るように動く。
 「君は僕をバカにする時、僕を"友達"だと言うね。流石に僕も学んだよ」
 「おやおや、私の優しさをそんな風に言われるとは……心外だな。それに、先ほどの言葉は本心だ」
 「ねぇ、君は僕の事、嫌いなの? ……それとも、本当は好きなの?」

 今の話の流れで何故そういう言葉が出る? と言い掛けたのを押し止める。
 ここで曖昧にする方が、コイツにとっては迷う要素が増えると考えたからだった。
 黙り込んだ私達の頭上に広がる青い空と、両脇の切り崩された山の側面。
 けばけばしい色合いで咲き誇る巨大な花の香りは、きっとこの辺りを甘くくるんでいるのだろう。私にも、コイツにもわからない感覚の一つだ。
 そして出来た影の中で手を握り合う自分達の姿をイメージで俯瞰して、ギリ、と演算処理をしているCPUが音を立てた。
 私にしてみればただのお遊びだ。
 この哀れなロボットが、後からいきなりやって来たくだらないシミュラクラムに思考回路を壊される前に、私が先にコイツを壊してやる。
 そんな、復讐ついでの暇潰しの一つに過ぎない。

 そのうち、握られたままの手が静かに下げられる。
 しかし握られた手は離される事なく、相変わらずにパスファインダーの赤い目はこちらを見つめていた。
 「だって君はいつも僕をバカにするでしょ。でも、本当に嫌いなワケじゃないんだと思って」
 何をどういう演算をしたらそのセリフを発する結果になるのだろうか。
 降って湧いたその言葉に流石にこちらが困惑を見せると、真面目腐った声音でパスファインダーが音を紡ぐ。
 「ナットから聞いたよ。本当に嫌いになったら、目に入れたくもないし、話もしたくなくなるんだって。触れられたりなんて、絶対に嫌になっちゃうって」
 その言葉に、未だに握られたままの手に目がいく。
 青く武骨な造形のそれは、私の何百人も殺してきた鋭利な指の表面を撫でた。
 また、ギリ、とCPUが稼働する音がフレームの奥で響く。
 なんだ、この感覚は。自分の中の予期しない反応に戸惑う。
 「でも君は僕に触れられて嫌だって、そうは言わなかった。……友人だって言うのは皮肉なのかもしれないけど、僕を慰めてくれたのはきっと本当なんだよね?」
 だから、やっぱり君は僕の事、そこまで嫌いじゃないんでしょ? と言われた途端に握られていた手を振りほどく。半ば反射的だった。

 そんな私の反応に驚いたような顔文字をモニターに浮かべているパスファインダーに、何を返すべきなのかを考える。
 しかし、的確な言葉が出てこない。
 やがて、モニターにいつも通りの笑顔の顔文字を浮かべたパスファインダーはやはりいつもと変わらないトーンで言葉を発した。
 「君って前から考えていたけれど、素直じゃないよね」
 「貴様、八つ裂きにされたいのか?」
 「わぁ怖い、君にそう言われるとドキドキしちゃうよ! 勿論、比喩だけどね」
 そう言ったパスファインダーは、両手を上げて降参のポーズを作って見せた。
 本当はそんな事など思ってもいないのが、未だに胸部モニターに映る笑顔の顔文字が物語っていた。
 「ねぇ、レヴナント。八つ裂き……は怖いからしないけど、戦うなら他の悪いお友達と戦おうよ。僕、今日はたくさん戦いたい気分なんだ。それに、きっと君とならチャンピオンを取れる気がしている」
 そう言ったパスファインダーは背中に携えているランページとボルトに向かって首だけを傾けて視線を投げた。
 先ほどまでそれらの武器で複数の敵を倒し、キルリーダーの称号を得て、スパイダーまで叩き潰したというにも関わらず、まだ足りないというコイツの強欲さに唸り声が洩れる。
 だが、この唸り声は肯定の意味合いの方が強かった。
 「……せめてその血と粘液を拭ってからにしろ。返り血で汚れた醜い奴と共闘する気など起きん」
 「? ……あ、本当だね! 全然気がつかなかった! 教えてくれてありがとう、お兄ちゃん」
 陽気にそう言ったパスファインダーは先ほどまでの剣呑な雰囲気を潜め、いつも通りの呼び方をしてくる。
 その呼び方は止めろと言っているのに、コイツは止める気は無いらしい。
 結局、私はそれに答える事なく、銃撃音の聞こえ始めたサンダーウォッチの方向へとパスファインダーの横を通り過ぎて歩みだしたのだった。






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