例えば、【ゲーム】で共に戦った時にいつも覚える明確な言葉を発さなくても伝わる感覚。
普段は常に警戒心を忘れない代わりに、【ゲーム】中はどうしても無防備になりがちなアイツを傍らで守るという使命感。
スラスラと重ねられる皮肉めいたセリフに、負けじと返す倍以上の単語。
敵として戦う時だって、絶対に奴には負けないと強く思う感情。
他の奴には感じないが、コイツだけには、と色々な事を願うのは久々だった。
そういうモノがたくさん積み重なって、そうして、次第に当たり前になっていく。そんな毎日の繰り返しは新たな発見の日々で、退屈さを感じない。
そもそも、命のやり取りに飽きを感じた時こそ、その生き物の死なのだろう。
自分に賭けられる一番重い対価に価値が無いと思った時点で、生きているなんて言えやしないのだ。
必死に生き永らえようとしながら、それでも、余裕めいた顔をして決死のパフォーマンスをしている時。
俺が【レジェンド】として生きている上で悦びを感じる瞬間の一つだった。
その瞬間だけは、世界中が俺に注目する。
中継カメラの中で軽やかに銃弾を避け、そのお返しにデコイを出して敵を欺き、華麗に倒す。
チャンピオンになった時など、全身を包む痛みを忘れてしまうくらいに脳内が興奮してしまう。
こういう日々がずっと続いていけばいいと近頃は考える。
けれど、当たり前なんて、そんなのはあり得ない。それは俺の今までの人生で嫌という程に経験していた。
どこかに行った親父、三人の兄弟、最愛の母さん。
家族という最も身近に居るべき筈の存在は、それぞれ時期は違えども、皆、離れていった。
せめて母さんだけは、と必死に伸ばす手は自分の弱さを覆い隠す為の仮面を取って、本当はそこには居ない筈の"蜃気楼"として戦いを続ける。
本当は、走るのも人に向けて銃を撃つのも苦手だった。
でも、回数を重ねれば重ねる程にそれはいつしか俺の一部となって、戸惑う気持ちすらも無くなっていった。
未だに自分が撃たれるのは勿論、嫌だが。
とにかく、自分の大切な目的と一時の快楽の為に、俺は【ミラージュ】なんてご大層な名前で生きている。
そして、恐らくそれは俺だけではない。
展望エリアにある、つるりと丸い屋根をした建物の向かい側に設置されている金属で出来た高台。
既に薄暗さを宿し始めた空の下にあるそれの二段目に座っている俺は、同じく隣に座るクリプトにバレない程度に視線を向ける。
その横顔は傷だらけで、見慣れた白いコートには血と泥が散っていた。
だが、俺も似たようなものだろうと泥の付着したデコイ装置に指先を這わせてそこを拭う。
先ほどまで行われていた【ゲーム】で、俺とクリプト、そしてコースティックの部隊はチャンピオンを取った。
コースティックは最終リング手前で敵部隊のクレーバーに撃ち抜かれ、結果二人での最終戦となったものの、周囲の部隊も一人欠けている部隊が居たりと中々の混戦具合だった。
それでもどうにかクリプトのEMPと俺のデコイで場を荒らし、無事にチャンピオンを勝ち取ったのだ。
そのまま【ゲーム】管理施設への移送用ドロップシップを待つために、「ここに腰掛けて待たないか? おっさん」なんて誘ったのは俺の方だった。
展望は端に位置しているエリアなのもあって、ドロップシップが来るのは少し時間がかかる。
俺は体力に自信があるし、そこまでとは言わないが、やはり最後の混戦で多少は疲れていた。
そっとクリプトの横顔から視線を外し、俺とクリプトの座っている場所の距離を目で測る。段の端と端とはいえ、1mも無いだろう。
そうしてまたクリプトの方に視線を戻すと、金属デバイスの取り付けられた頬から顎先が見え、その上にある黒く鋭い瞳の先は、ただ真っ直ぐに前を見据えていた。
コイツはいつもどこを見ているのだろう? 不意にそんな疑問が頭によぎる。
クリプトとの付き合いはそこそこ長くなってきていて、それでもなお、知らない事の方が多い。
例えば、【ゲーム】に参加して命を賭けてまで戦う理由。
隠しきれず瞳の奥に垣間見える苦しそうな感情の渦。
珍しくレジェンド達の間で、この先来るであろうと仮定した明るい未来の話になった時に、一人だけ何も声を発さなくなった瞬間。
そういったモノに気がついたのは、俺がコイツと戦う時に得ていた感覚達よりずっと後だった。
正直、クリプトはいつも無表情で何を考えているのか酷く分かりにくいのだ。
「……おい、さっきからずっと何を見てる」
「え?」
「え? じゃないだろう。話してなくても視線がうるさいんだよ、小僧」
いきなりこちらに振り返ったクリプトが苛立ったような、それでいて少しだけ笑っているような顔でそう囁く。
こういう時だって、何を考えているのか俺にはまるでわからない。
いや、分かりたいと思うのが間違っているような気もする。
頭の中でグルグルと回る考えに気を取られて、クリプトへの返事が遅れる。
するとみるみるうちにクリプトの眉が寄せられて、あぁ、この顔は分かる。機嫌が悪くなりつつある表情だ。
「……別に見てねぇよ。自意識過剰なんじゃないのか、偏屈ジイさん」
「知ってるか、ウィット」
「は?」
そう言いながら自分の口端に少し汚れた指先を当てたクリプトが、今度は楽しげに笑う。
「お前が嘘をつく時、ここが少しだけ誤魔化すみたいにニヤつくんだ」
「……嘘だ」
「嘘じゃないさ。知らなかったのか? 観察してれば分かる」
思わず自分の口許に手を伸ばして指先でそこを擦る。
サリサリとした質感の整えられたヒゲの上で、俺の唇は確かに隠しきれない微かな笑みを浮かべていた。
こんな事をコイツに知られているなんて、一生の不覚だ。
でも、クリプトの言葉を思い返していた俺はそのまま声を上げた。
「お前の方こそ俺の事、見すぎだろ。……そうだ! 忘れてたけど、前に俺の失敗集なんてモンまで作りやがってたなお前。あのデータどうしたんだよ? まさかまだ持ってるなんて言わないよな?」
「……さぁ? どうだったかな」
フ、と薄く笑ったクリプトの顔は小生意気で、これは下手したらよりアップデートした『ミラージュ失敗集』の動画ファイルを持っているような気がする。
だが、それをつつけば自ら罠に飛び込むようなものだ。
もっと文句を言ってやりたくなったが、俺は敢えてそこをつつくのは止めた。
「全く、お前がそういうつもりなら俺も俺で考えがあるからな」
「ほう? さぞ素晴らしいプランがあるんだろうな」
馬鹿にしたようにそう言ったクリプトの上には薄暗くなり始めた空からの影が降りつつあった。
そしてきっと自分からは見えないが俺もそうなのだろう。
徐々に周囲が見えにくくなり始めた世界で、俺はわざとらしく両手を広げて声を上げた。
「あぁ! 『クリプトの本性に迫る』って題でお前の隠してる秘密を暴く動画なんてどうだ? きっとアウトランズ中が驚くぜ? 普段はひ、品行……ともかく優等生ぶってるお前が実は性悪な奴なんだって知ったら、なぁ……? きっとお前のファンも俺を応援するだろうよ」
カラカラと笑いながら、冗談めいた口調でそう言う俺を見ていたクリプトの表情が僅かに強ばる。
そこで、俺はこれはマズイ部分に踏み込んだ事を理解した。
いつだって俺は言わなくて良いことを言っては相手から嫌われて、そうして皆、周囲から居なくなってしまう。
だが、強ばらせた顔をすぐに引っ込めたクリプトは視線を反らしたかと思うと、笑ってもいないくせに笑いを込めた声を上げた。
「それがお前の頭で考えた素晴らしいプランか? 随分と杜撰じゃないか。そもそも、俺はお前に暴かれるような大層な秘密なんて一つも無いさ……一つだって、無いんだよ」
いかにも自分に言い聞かせるようなその言葉が耳を揺らす。
俺達は互いに知らない事の方が多い。
友人関係やただの戦友とも言い難い、不可思議な関係性。
ただ、唯一間違いない事実なのは、コイツの隣はなんだかんだで刺激的な体験に満ちているという事だった。
こちらを馬鹿にしてくるのは苛立つ時もあるが、【ゲーム】の途中で急に訪れる自分の弱気な一面が心を揺さぶる際、それを察するのかこの男はからかうように俺にそういう類いの言葉を投げ掛けてくる。
初めはウザったいと思っていたそれらが、いつしか俺の【ミラージュ】としての仮面が剥がれ掛けた時に飛んでくるというのを理解するのに、そこまで時間はかからなかった。
どれだけ不安の海に落ちそうになっても、コイツと居る時だけはキチンと虚勢を張って、俺は【ミラージュ】として戦場に立っていられる。
じゃあ【クリプト】はどうなのかという考えに至るのは当然だろう。
"奴ら"なんて意味不明な事で喚くコイツが本当にイカれた男だなんて、もう俺は思っちゃいなかった。
でも、【クリプト】が時たまそうやって酷く怯えているように見える時、俺がいつもの調子でそうからかえば、隣の男はハッとしたような顔をしていつも通りに不敵に笑って見せるのだ。
まるで、忘れかけていた自分の偽りの姿を思い出したかのように。
俺だって、自分の心の奥を他人にさらけ出すなんて真似は恐ろしくて出来やしない。
そして秘密を暴くというのは、相手を傷付ける。
共有するとしても、それはそれで自分の秘密を出さなければならない。
世の中は、ギブアンドテイクだ。
美味い酒が呑みたければそれなりの対価を。当たり前の事だろう。
隣の男の正体がどういうモノなのかを知りたくないと言えば嘘になる。
けれど、今の俺にコイツに自分の秘密を全て差し出せるだけの勇気があるのか?
それだけのリスクを負ってもなお、コイツの秘密を暴いても構わないと思えるのか?
────答えはNOだった。
「……なーんてな! そもそも俺はお前の本性なんてカケラも興味無いんだよ、クリプちゃん。でもちったぁビビったろぉ? 分かったらいい子にしておくんだな。特に、俺の失敗集その2なんて作ってたら許さねぇから」
俺の言葉に視線を戻したクリプトの目が微かに揺れる。やはり何を考えているのか分からなかった。
けれど、その後の声の調子はどこか寂しそうな、それでいて嬉しそうな不思議な音をしていた。
「……お前は本当に馬鹿な奴だな、ウィット」
とんだ暴言だというのに、優しいその言い方に、唇がむず痒くなるのを必死で抑える。
コイツがどんな奴だったとしても、今までずっと一緒に戦ってきて、今日も一緒にチャンピオンを取った仲間である事に変わりはないのだ。
全部を知りたいと願うには、俺達は秘密を抱えすぎていて、そうしてきっと臆病なのだろう。
「うるせーよ」
俺はクリプトから目を反らしてそう返しながら、丸い屋根の建物の向こうに抜ける空を見遣る。
夕暮れから夜へと変わっていく時にだけ現れる群青からピンク色に切り替わる天然のグラデーション。
そんな曖昧な境界線は、段々と下の方へと沈んでいく。
そうして本日最後の輝きとばかりに、屋根の上をすみれ色の光で照らし出す。
美しい境界線よりも遥かに高い場所で漂ういくつかの灰色の薄雲は、ちぎれちぎれになりながらもただ緩やかに動いていた。
思わず目を奪われるような幻想的な光景に、吐息が洩れる。
「……綺麗だなぁ」
そのまま静かに呟いた俺の声が聞こえたのか、数瞬後に隣から小さな声が返ってくる。
「そうだな」
柔らかな声に空から顔をクリプトの方へと向け、横顔を見つめた。
淡い紫の光に照らされた顔は穏やかに微笑んでいて、金属デバイスが光を反射して鈍く輝いている。
俺はその金属デバイスが一体どんな意味を持って取り付けられているのかも知らない。
けれど、今、共に夕暮れの空を見て美しいと思う心を持っているこの男の本質は間違いようが無いくらいに正しくて、変わりようが無いんだと、身勝手にも信じられた。
本当は、そうであって欲しいと思っているだけなのかもしれない。
でも、それに関して俺もコイツもけして自分から語り合おうとはしないだろう。
見て見ぬフリをしていると言われたって仕方がない。脳内でボヤく自分の声がする。
だとしても、まだ俺達はこれくらいの距離が丁度良いんだろう。
隣に居るクリプトの体温や気配を感じ取れない程に遠くは無いけれど、だからといってデバイスに覆われた手に自分の手を重ねられないように。
……こんな日々が、ずっと続いてくれたら良いと願う。
背後から聞こえてくるドロップシップの飛翔音を聴きながら、顔を前に戻した俺は暗くなっていく世界の中で一人そんな事を考えていた。
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