化け猫



 「なんで……」
 クリプトのガラスのような瞳が、ほんのりと赤みを帯びた満月から発せられた光で照らし出される。
 そうして掠れた声でそう鳴いたクリプトが逃げてしまわないように、俺は細心の注意を払ってゆっくりと近付いた。
 芯から凍えそうな気温の路地裏。
 珍しく地味なネイビーカラーのコートに身を包んだ俺と、真っ黒な服を着たクリプトはほぼほぼ闇に紛れている。その上、クリプトはコートについたフードを被っているものだから本当に顔しか見えない。
 そんな姿に毛並みの良い黒猫をイメージする。
 そもそも、猫でも無ければ、真夜中にこんな場所に居るなんて、よっぽどの用事が無いと来ないものだ。
 俺だって仕事終わりにコイツが路地裏に消える姿を見つけなければ、こんな場所になんて立ち寄らない。
 「なんでって、それは俺のセリフじゃねぇか?」
 近付いたクリプトの傍ら、路地に捨て置かれたゴミにまみれるように倒れて二本の脚しか見えない、顔も名前も知らない男に視線を投げる。
 死んではいないだろう、恐らく。
 死んでいたとしても、ソラスではたいした問題にはならない。
 「……そういう事じゃない……」
 「いや、そういう事だろ」
 すぐさま突っ込むようにそう返すと、クリプトが不機嫌さを隠すことも無く顔を歪めた。
 もう今さら誤魔化せないと諦めたのだろう。
 ふ、とため息を吐き出したクリプトの唇から白い靄が洩れる。
 何もかも諦めたような、それでいてどうやってこの状況を切り抜けようかを必死に考えているらしい。
 そんな顔も出来るんだなと、勝手に唇が弧を描く。
 今夜は本当に寒いから、いつもは警戒心の強いこの男が油断したのだろう。
 逆に今日、コイツを見つけた俺自身の運の良さを神に感謝する。
 やはり普段からしゅ、……しゅ……殊勝な態度を心がけているのが効いたらしい。

 その後、何も言わない俺を強い視線で睨み付けてきたクリプトは、こちらがどう出るのかを待っているようだった。
 俺はそんなクリプトにさらに近付くと、手を伸ばす。
 ビクリ、と一瞬震えながらも足を動かさなかったクリプトのフードと頬の隙間に手を差し込んで冷たい金属製デバイスに触れる。
 そのまま境目の肌に触れれば、デバイスと同じくらいに身体が冷えていた。
 これは早く暖かい所に避難しないと二人して風邪をひいてしまうだろう。
 「うわ! つめてーなぁ。ちゃんと中に着込んでないのか、クリプちゃん」
 その言葉に、片眉を上げたクリプトが困ったように俺を見上げる。
 こちらに敵意や嫌悪が無いのに気がついたらしい。
 だが、どう反応したら良いのかわからない。そんなところだろうか。

 シップ内などで俺をさりげなく見つめてくる時は、「そんな事などカケラもしていません」とでも言わんばかりに自然と目を反らすコイツが、何かを隠しているのなんてとっくに気がついていた。
 そうして、ずっとそんなクリプトの柔らかそうな頬に触れたいと俺は俺で密かに願い続けていたのだ。
 「とりあえず、暖かい所にでも行かないか? こっちも仕事終わりで腹減ってるし。……ちなみに俺の家、こっから近いんだけどさ」
 「……お前、正気か?」
 チラリと倒れたままの男に視線を向けたクリプトが、また俺に視線を戻して呆れたように囁く。
 確かに倒れた男をクリプトが伸したのなら、そんな事をした理由も聞かないままに自宅に招くなんて理解不能だろう。
 俺も自分自身が同じ状況になったらそう思う筈だ。
 でも、そんな当たり前な話以前に、俺はコイツにだったら、取り殺されたって構いやしない。
 残念ながら、そのくらいにはコイツの事を想ってしまっていた。

 「正気な奴がレジェンドなんてやれると思うか?」
 ヘラリと笑いながら呟いた俺に、またもや目を丸くしたクリプトが少し間を置いてからうっすらと微笑んだ。
 そうして、頬に触れている手に冷えた指先を這わせたクリプトの目が、スゥ、と細まっていくのを間近で見つめる。
 そのままこちらの手を握った男の背後に見える筈の無い尻尾が見えたような気がして、この化け猫を唸らせるようなとっておきの夜食を作らなければな、と脳内で自宅の冷蔵庫の中身を思い出していた。






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