「蛙の子は蛙か。……お前には警戒してるからな」
硝煙とすぐ近くの蔦から発せられる青臭い匂いの中、低く囁きながら手に持った蘇生用の高濃度強心剤の入ったシリンジを地面に倒れ伏せたオクタンの胸元へと打ち込む。
そのままビクリと身を震わせた目の前の男に手を差し伸べ、半強制的に立ち上がらせれば、緑色の強化ガラスを嵌め込まれたゴーグルの向こうでうっすらと見える瞳が強い視線でこちらを見つめ返してきていた。
「この俺があの親父と同類だって? 勘弁してくれよ」
痛みを堪えるように、微かな笑い声と共に吐き出された言葉や態度に出る筈の僅かな痕跡さえも逃さぬ為に目を細めてしっかりとオクタンを観察する。
しかし、特に普段と変わりなく、すぐに背負ったバックパックからシールドバッテリーを取り出して使用を始めたオクタンは、俺を見たまま肩を竦め、ため息混じりの吐息を洩らした。
死にかけてボロボロのクセに、まるでこちらを馬鹿にしているかのような余裕めいた反応をするオクタンに心底イラつく。
だが、それを出せば相手の思う壺だとさらに言葉を返す。
「どうかな……? お前も時期に正体を明かす」
嘲笑混じりにそっと囁いた言葉に、流石にもう返事が戻ってくる事はなかった。
それならそれでいい。ここでこれ以上の言い合いをしても時間の無駄になるだけだろう。
俺はオクタンを蘇生する為に隠れていたイカロス内部にある幾つかのコンテナの影から歩き出しつつ、背中に収納していたハックに手を伸ばすと、その先端を握り込んで空中へ放り投げた。
ふわりと浮かんだハックはその場で待機状態を維持している。そのままドローンに視界を接続すると、もはや無意識にでも身体が取るべき行動を行った。
オクタンの父親であるドゥアルド・シルバがシンジケートを本気で支配しようと画策し、そうして手始めにAPEXのアリーナの一つであるオリンパスを地表へと落下させようとしたのが約一週間前。
現在は高度が低くなったものの、なんとか保たれたオリンパスにて相変わらず【ゲーム】は開催され続けていた。
ドゥアルドは『戦闘による死刑執行と見せしめ』という名目で新たに追加されたレジェンドであるマッドマギーに全ての罪を着せようとしていたようだが、世間全般にはそう伝わっているものの、レジェンド達の間では失敗に終わっていた。
あのイカれた女であるマギーの話の全てを信用するワケでは無いが、緑色のレンズを嵌め込んだメガネをしている奴などシルバ家の人間以外に俺は見たことがなかった。
それ程にシルバ製薬CEOであるドゥアルドのイメージがかなり強いアイテムであり、シルバ家の象徴ですらあるメガネを彼女が奴から奪い盗ったのは、レジェンド達全員に伝わっている。
また、奴はオクタン同様に目立つ事を好んでいるらしく、シンジケートやマッドマギーのニュースが流れる度にまるで救世主の如き扱いをされて、メガネをかけた顔写真までご丁寧に出ていた。
マギーの話が真実であると立証するには、十分な証拠だと言えるだろう。
元来、権力者というのは常に自分を特別であるかのように見せたがる。
そうして、力を持つ者はいつだって無秩序に力無き者を虐げ、その事に対して何の罪の意識も持たない。
自分がのし上がる為ならば他人など虫ケラ程度の価値しか無いのだろう。俺自身も踏みにじられる経験が何度もあったから、マギーが利用されたという話はよくよく理解できた。
けれど、そんなドゥアルドの血を引いたオクタンは自分は無実だと声高に叫んで、周囲の奴らはそれを簡単に信用した。……でも、それにどれだけの確実性がある?
そもそも俺がスパイであると疑われた時にはいとも容易く皆、それを受け入れたというのに。
イカロスの横にあるバナーの前までドローンを飛翔させると、そこに書かれた文字を確認する。敵部隊は0。
先程倒した敵で湧いてくるような漁夫は全て処理しきれたのだろう。
それを通信で伝えれば、二人分の声が返ってきて、俺はハックをその場に待機させたまま視界接続を解除した。
そうして以前よりも生気を失った禍々しい殺人蔦の枯れ木から少し離れた場所、そこに散らばる数々のデスボックスの方に向かうと、その内の一つにコースティックの刻印が書かれたデスボックスを発見し、思わずその傍へと寄る。
見慣れた筈のそれに指先を這わせると、妙に冷たいような気がして背中にぞわりとした寒気を覚えた。
コースティックが自らを蝕む病について俺に告白してから随分と経つ。
近頃、こちらが気がつかない位にその病症を隠し通していたコースティックが、肺奥から零れ落ちるような咳をする回数が増えた。
時間の流れというのは残酷で、どれだけ願っても止める事は出来ない。
運命を避け続ける事が出来ないのと同じように。
以前ならコースティックがその命を終えたとしても、俺にしてみたら大した問題ではなかっただろう。
でも今は違った。例えどれほどの憎しみや相反する心を持っていても、どこか助け合える"家族"としての絆を奴に感じてしまっていた。
コースティックが俺をどう思っているのかは分からない。
けれど、ミスティックへの面会を譲ってからは奴の目に映る冷たさが僅かに和らいでいるような、そんな感覚を受け取っていた。
そうして、もう二度と会えないだろうと確信しているらしいミスティックへの愛情も。
"死"というモノは驚く程に呆気なく訪れる。俺はドゥアルドによってオリンパスが落とされ、必死に近くにあった建物にしがみついて飛ばされないようにしていた時に、確かな"死"を傍らに感じた。
このまま手を離して放り出されれば、何もかも成さないまま宇宙の果てへと飛んでいってしまうだろうというそんな予感。
"死"は誰にでも平等に降りかかり、それを予測する事は基本的には叶わない。
勿論、それを忘れていたワケではなかった。
でもあの時に俺は一体、どれだけの時間が残されているのかを自分の身体が軽々と空を舞う感覚の中で考えていた。
ミスティックとミラ……俺としては不快さもあるものの、コースティックも共に帰ると仮定して、彼女達と共に幸せに笑い合える未来はもしかしたら永遠に来ないのかもしれない。
常に当たり前に自分の足元に存在していた筈の地表が、あの男の権力争いの為だけに不意にその存在を曖昧にした。
いつだって力ある者は、その下に居る者達を簡単に亡き者に出来るのだという世の中の摂理を思い出していた。
それと同時に、俺が【クリプト】として生き延びられる可能性の低さをまざまざと突き付けられたような、そんな気がした。
過去に送られてきたミラからのメッセージには俺をアリーナ内部から監視している男が居ると言っていた。
ドゥアルドがシンジケートや【ゲーム】を管理したいと願っていたとして、その息子であるオクタンが俺を監視する敵である可能性は高いだろう。
仲間として近付けば監視するなんて容易く行える。
もしもオクタンが本当にドゥアルドと手を組んでいないとしても、見張っておく事に越したことはない。疑惑は全て検証しなければならない。
己はまだ、何一つ成し得ていない。
だから、こんな場所で呆気なく死ぬワケにはいかなかった。
コースティックのデスボックスからシールドバッテリーや医療キット、そうしてアルティメット促進剤を取り出すと自分のバックパックへとしまう。
その横にはナタリーのデスボックスが落ちており、その刻印にも指先を触れさせてから中を漁る。
――――俺は、俺に出来る最も正しいと思う事を常に考えてずっと生きている。
真面目で勤勉、そうして他者に優しくあれと母は言った。かつて自慢の息子であった、アレクサンダーのように。
奴が優しさという生ぬるい感情を持っていないのは俺にも理解出来ていたが、それは俺の中でずっと鎖のように自己を縛る。
自らに課した制限が、自分を支える術の一つになっている。
そうでなければ、どうしてこんな理不尽に耐えきれるだろう。
ただ、家族と普通に生活をして、今では懐かしく思える社会の歯車の一つとして生きて、歳を重ねて、もしも出来るとしたなら恋人と幸せに生きる。
そんなありふれた人間の一人になりたいと願うのは間違いなのだろうか。
物心ついた時から、両親は居なかった。
ようやく掴んだ"普通の幸せ"も全部掌からすり抜けていく。
どうして、と叫びたくなる日もある。けれど、自分自身からは逃げる事が出来ない。
だったら、今の自分に出来る事をするしかないだろう。
例え、それがどれだけ危ない橋を渡り、どれだけの批難を受け、冷酷な悪魔と契約を結ぶ事になったとしても。
「クリプト」
不意に後ろからかけられた声に、振り向き様にホルスターに入っていた銃を抜く。
振り向いた先には目を丸くして驚いたような表情をしたミラージュが立っていた。
今回の部隊ではコイツは仲間だと、反射で向けていた銃を下ろすと、自然と挙げてしまったらしい両手を下げたミラージュが何故か笑ってから軽快な軽口を叩く。
「おいおい、もしかして敵と味方の区別もつかなくなる程、もう……も……ボケちまったのか? おっさん」
一週間前のオリンパス落下事件の際に、この男は俺の目の前でその身体を建造物に潰された。
だが、レジェンドの中でも卓越した反射神経を持っているミラージュは咄嗟に身を守ったらしく、怪我を負ったもののどうにか致命傷には至らなかった。
それでもかなりの重症を負い、博士と共に慌てて駆け寄った俺に向かって全身血塗れだというのにも関わらず、安心しろとでも言わんばかりに笑って見せたのだ。
本当は痛いのも、死ぬのも、誰よりも恐れるコイツが。
ミラージュが嘘つきなのは、以前に騙されて接着剤で地面に顔をつけられた時から身をもって知っていた。
そして、俺は嘘つきだと分かっている人間を信用する。
何故なら世界は嘘つきばかりで、それなのに誰も彼も自分は誠実であるという仮面を纏って生きているからだった。
端から他人を騙す事に長けていると自称するミラージュは、その誠実さを疑う必要がない。
初めから嘘をつくのだと知っていれば、わざわざ期待をする理由が無いからだ。
そして、この男は嘘つきのクセに臆病で、人との調和を好む。
だからだろう、俺が疑われた際に唯一、俺を庇った人間だった。
優しさを持ち合わせた母親思いの嘘つき。
そんな男が、くだらないパワーゲームの茶番劇に巻き込まれて、大怪我を負った。
苦しい筈なのに、それでも俺に笑いかけた。好いた相手の痛々しい笑顔はもうたくさんだった。
もう俺から何一つも奪わせたくない、奪われたくない。
全てを取り戻す事、ただそれだけを考える。
名前も、顔も、家族も、……好いた相手にすら絶対に言えないこの心の内も。
「本当に大丈夫か、クリプちゃん? なんか顔色が悪いが……オクタンもさっさと先に行こうとしちまうし、お前はなんかボケっとしてるしさ」
「……問題ない。それよりもお前こそアイテムをしっかり持ったのか? この間みたいにスコープをつけ間違えていたせいで、また戻るなんて真似はごめんだぞ」
覗き込んでくるミラージュの目が心配そうな色を宿す。
俺はそこから目を反らしていつもの調子で皮肉を返してやった。
コイツの前でだけは自分を完璧に取り繕わなくても良いような気になってしまう。
それが正しいとは思えないのに、それでもコイツとのやり取りは重苦しさばかりのこの空間で、唯一、ミラとやり取りをしていた昔に戻れたようなそんな気持ちを覚えてしまう。
「だーいじょうぶだって! もうそれは三回確認したからな」
「三回も確認する必要がある時点で可笑しいだろう」
「うるせえな、いつもお前だって言うだろ? 『準備が大切で確認が重要だ』ってな」
「ついにお前も覚えたか……口を酸っぱくして言い続けた甲斐があったな。そんな当たり前の事を覚えるのが遅いんだよ、小僧」
「全く、本当に口が悪いおっさんだなぁ。俺は先に行くからな! 早く来ないと置いてくぞ」
ふん、とわざとらしく鼻を鳴らしたミラージュはそう言って既にソーラーアレイ方面へと進み始めているオクタンの背を追うように走り出した。
俺はそんなミラージュの背中を見ながら、どうかお前だけは変わらないでいてくれ、と叶いもしない事だけをただ祈っていた。
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