日向にて、楽園を知る



 「おーい! ニコラ、ほらっ遊ぼうぜ」
 ダイニングテーブルの下に隠れている白くふわりとした毛並みの柔らかそうな生き物が、こちらの声に茶色い模様の中にあるアイスブルーの瞳を向けてくる。
 その目はジットリとしていて、いかにも"めんどくさい"と主張していた。
 それに気が付きつつも、めげずにニコラの方へと手を伸ばすと、これまた毛先が茶色の長い尻尾を嫌そうに一振して、逃げるように廊下の方へと行ってしまった。
 容赦のない拒絶と既に遠くなった後ろ姿を見送って、伸ばしていた手を引っ込める。
 ニコラと視線を合わせるためにしゃがんでいた身体が少しばかり寒く感じるのは、きっと気のせいだろう。けして、猫相手に冷たくあしらわれたからじゃない。

 ワッツの飼い猫であるニコラを、オフの合間の五日間ほど預かって欲しいと頼まれたのは、ちょうど【ゲーム】がシーズンオフに入る二日前の出来事だった。
 なんでも、ワッツの電気工学技術の高さからソラスからかなり離れた惑星にて特別講演をして欲しいと頼まれた……らしい。
 実際にワッツからニコラを預かる任務を託されたのは俺では無いのもあって、そこらへんの事情に関しては又聞きしただけだった。
 「まだやってるのか?」
 不意に背後の高い位置から掛けられた声に、しゃがんだまま首を後ろに向けると、声と同じく呆れたような顔をしたクリプトが立っていた。
 黒いタートルネックにデニム、ついさっきまで仕事をしていたのだろう細い銀フレームの眼鏡をかけたクリプトは、今日は黒スキニーに赤の長袖シャツ姿の俺とお揃いで買った色違いの柔らかなベロア素材の深緑色のスリッパを履いている。
 ちなみに俺のスリッパは俺のイメージにピッタリの鮮やかな黄色で気に入っていた。
 自宅に居る時は大体この格好をしている事の多い可愛らしい恋人に向かって、俺は思わずふぅ、とため息を吐く。
 「だってよぉ、アイツ、俺にだけあんなに懐かないとかありなのか? 触ろうとすると嫌がるクセに餌とかオヤツの時は『ニャオ』なんて可愛い声出して足に尻尾まで巻き付けてくるんだぞ」
 俺はもう気配すらないニコラの居た場所へと視線を戻すが、やはりそこには当然、何も居ない。
 ニコラが俺とクリプトの住むアパートメントに来たのは二日前の話だ。
 元々、ワッツと仲の良いクリプトにはニコラはかなり懐いているようで、俺が見ていない場所では、こそこそイチャイチャとよろしくやっているらしい。
 どうにか仲間に入れてくれとクリプトに頼んだ所で、『猫の気持ちまではハッキング出来ない』と言われてしまえばそれまでだった。
 「お前は無駄に構いすぎなんだよ。猫にだってそういう気分じゃない時はあるだろう」
 「そう言ってもなぁ……ニコラが帰るまであと三日しか無いだろ? それまでには一回くらい抱っこさせて貰いたいもんだぜ」
 「……オヤツで釣る作戦は?」
 「昨日散々試した。美味そうにオヤツ食べて、無くなったと分かった瞬間にその場から消えてた。アイツ、本当は猫じゃなくてチーターかなんかじゃないのか?」
 「チーター? そんな足の速い奴は【ゲーム】で見るだけで充分だ」
 クリプトがうっすら笑いながら言った"チーター"が誰なのかを理解して、同じくそっと笑う。
 確かに興奮剤を打ってひたすらにこちらを倒そうと遠距離から走ってくるアイツはチーターのスキンが良く似合っているし、アイツも気に入っているのか良く着ているのを見かける。
 そんな過去の出来事を思い出したのを頭の中から振り払って、しゃがんでいたフローリングから立ち上がるとクリプトの方へと向き直った。
 コイツが仕事部屋から出てきたという事は、腹が減ったか喉が乾いたかのどちらかだろう。
 ダイニングの壁にかけている時計に目を向ければ、時刻は十二時ちょっと過ぎ。
 今までこちらから声をかけなければ仕事に没頭しがちだったクリプトがキチンと昼になれば部屋から出てくるようになったのは、俺の教育の、たま……ま、……お陰だろう。
 ツンとした顔をしているクリプトに片眉をあげれば、少しだけこちらに寄ってきたクリプトは小さく囁いた。
 「エリオット、腹が減った」
 「はいはい。すぐ準備するから手伝ってくれよ、テジュン」
 そう言ってキッチンに向かう俺の隣に大人しくついてくるクリプトに、コイツも飯の時は大概、素直になるからなぁ、なんて、クリプトに知られたら怒られるような事を考えていた。

 □ □ □

 あたたかくて、身体全部がポカポカとしている。まるで綿に全身をくるまれているようだ。そんな中でどこからか甘くてやさしい声がする。
 『あ、こら……ニコラ。そんな風にいきなり乗ったら流石に起きるだろう』
 『ニャー』
 『……と思ったが、そうでもなさそうだな』
 その声のタイミングで何かが膝の上に着地したような気がした。
 何があるのか確認したい、でも、それよりもどうしようも無くあたたかくて、そうして眠い。
 まだこの夢うつつな中でまどろんでいたい。
 だってこんなにも気持ちよくて、このまま起きるのはもったいない。
 俺はもう一度、とろとろとした眠りの中へと落ちていった。

 □ □ □

 ふ、と目を覚ます。
 そのまま身動ぎしようとした身体をすんでの所で押し止めた。
 これは一体、どうなっているのだろうと目だけを動かして状況を確認する。
 確か、昼飯を作って食べた後に片付けをして、すぐに仕事に戻らなければならないと言ったクリプトにコーヒーを持っていってから自分はダイニングのソファーに座っていた筈だ。
 そしてカーテンの開かれた窓からは部屋全体を暖めるような日射しが入り込んでいた。
 このソファーは腹一杯になった後に座るとすぐに眠くなる。だからそのまま眠ってしまったのだろう。

 そして俺の隣にはスゥスゥと穏やかな寝息を立てているクリプトが居た。
 俺とクリプトの膝の上にはクリプトが持ってきてくれたらしい小さなネッシーがたくさんプリントされたネイビーの厚手ブランケットがかかっている。
 そうしてそんなブランケットの掛けられた俺の膝の上、そこにはクリプトと同じく心地よさそうな寝息を洩らしてクルリと丸まっているニコラが居て驚く。
 抱っこしたいと願っていた相手が、まさか寝ている隙に自分からこちらの膝に乗ってくるとは。
 クリプトが凭れている左側の腕を動かさないようにしつつ、右手でニコラに触れようかと思ったが、クリプトの先ほどの言葉を思い出して何とか思い止まった。
 無駄に構いすぎるのは、良くない。
 それに折角、気持ち良さそうに寝ているのだから俺が触れたせいで起こしてしまったら可哀想だ。だから、我慢しろ、エリオット。
 膝の上で眠っているニコラのエアコンの風でそよそよと揺れ動く毛は、滑らかでふんわりとしていて、きっと触れたら指先まで沈み込むくらいだろう。
 全く好かれていないというワケでは無さそうだから、あと三日間でどうにか触らせて貰えるくらいには仲良くなれそうだ。
 そんな事を考えながらも今度は左側に視線を移す。動いたせいで隣に居るもう一匹を起こすワケにもいかなかったからだ。

 確かに無駄に構いすぎると、クリプトもとてもめんどくさそうな顔を良くする。
 でも、俺の意識が違う場所にいっていたり、眠っている時なんかはそれこそ尻尾でも巻き付けているんじゃないかってくらいに俺の側にずっと居てくれるのだ。
 急に頭を撫でたりした時は、最初は嫌そうにするけれど、途中から目を細めて掌に頭を寄せてくる。
 俺だけに見せてくれるその顔が、俺は大好きだった。

 視線を前に移せば、先ほどまでクリプトが掛けていた筈の眼鏡はキチンとソファーの前のローテーブルに置かれている。
 つまり、クリプトは最初から俺と昼寝しようと思ってブランケットを片手に隣に来てくれたのだろう。
 ついつい俺はそっちまでは我慢しきれずに、クリプトの前髪の隙間から見えるつるりとした額にキスを落とす。
 チュ、と軽い音を立てたキスにクリプトは目を閉じたまま眉をしかめたかと思うと、さらに俺の肩へと顔をすり寄せた。
 起こしてしまったか? と思ったこちらの心配を掻き消すように、また小さな寝息が聞こえてくるのに安心する。

 可愛い二匹が起きたなら、ニコラには取って置きのオヤツを差し上げて、クリプトには今日の夕飯のリクエストを確認しなければ。こんなにも素敵な時間と空間はあまり体験出来るもんじゃない。
 俺は勝手にニヤける口元を我慢する事は出来なくて、隣と膝上の猫達の体温を感じ取って、一人、日だまりの中で幸せを噛み締めていた。






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