エリオット・ウィット、三十歳。
アウトランズ中を沸かす有名な競技である【APEX】において最高にイケメンかつ最強なレジェンドであり、それ以外にも自分の店でバーテンダーとしてバリバリに働く出来る男。泣く子も黙る……っていうのは表現違いか?
ともかく、そんなパーフェクトなミラージュ様はたった今、久しぶりのきょ、きゅ、窮地に陥っていた。
なんであんな事を言ったんだと思いながらも、人間とは好奇心を抑えられない生き物なのだ。
その好奇心がこんな風に返ってくるとは思ってもみなかったが。
「おい、ウィット。何を黙り込んでる」
「えっ、いや、そんな事は無いぜ。あぁ、本当に」
こちらの動揺などお構い無しに、俺の座っているソファーの向かいの席に腰掛けている近頃やっと恋人となったクリプトが不機嫌そうな顔をする。
まさかこんなおっさんと乳繰り合うような仲になるなんて誰が思ったんだか、勿論、俺だって未だに信じられない。
でも、とにかくコイツはまぁ、嫌な奴だと考えていた昔とは全然違う。
元々、悪い奴では無いのは知っていたが、恋人となった今では二人きりの時なんかは猫みたいに甘えてきたりもするんだ。
昔の俺に言ったら、あり得ねぇって自分の頬っぺたをぶっ叩くくらいはするかもしれねぇ。
それでもクリプトが俺と恋人になったのは真実で、甘えてくるのだって日常的だ。
それは随分と機嫌が良い時とか疲れている時なんかに多いんだが、そういう一面を知ってからは、クリプトの事をもっと知りたくなった。
付き合うっていうのはそういう事だろ? 少なくとも俺はそう思ってる。
でも、コイツが秘密主義なのは相変わらずで、それに文句を言うつもりは無かった。
だって俺が強くコイツを責めたらコイツはきっと俺の元から去ってしまう。
俺は苦しんでいるクリプトにとって唯一の逃げ道で、味方でありたかった。
だから俺はなるべくクリプトの機嫌を損ねたくないし、クリプトのぞ、じ……自主性を尊重したいと考えてる。
自主性ってのが合ってるのかは知らないが、久しぶりに【ゲーム】の後で自宅に来ると以前から約束をしていたのもあって、今日は特にクリプトとの楽しい会話を出来るように心がけていた。機嫌を損ねて家に来てくれないなんて事になったら最悪だしな。
しかし、だからこそ、こんな事態に陥っているのではあるが。
「……お前が描けと言ったんだろ?」
「えー……っとなぁ、ちょっと待ってくれ」
クリプトがこちらに向けているタブレットから視線を一度反らす。
今日も今日とて【ゲーム】に参加する俺達は、今回のアリーナであるワールズエッジ到着までの合間に、シップの中にある談話室で話をしていた。
そして、たまたまワールズエッジにあるラムヤの描いたイラストの話に何故だかなったのだ。それはまぁ、問題ない。
問題なのはその後だ。クリプトが絵を描く趣味があったというのをポツリと呟いて、俺は可愛い恋人が描いた絵をぜひとも見てみたいと言った。
最初は渋っていたクリプトも、こちらの必死のおねだりに弱いのはとっくに調査済みなので、しばらく頼んでいたら上着のどこからか取り出したタブレットで絵を描き出した。
俺はどんな絵を見せてくれるのかをそれはそれは楽しみにしていたのだ。
もしかしたら、チラチラと俺を見てニヤリとしたのもあったから、俺の絵を描いてくれているのかもしれない……とまぁ、とにかくウキウキだった。
だって、秘密にしている事の多い恋人の新しい一面を見られるってのは、誰だって浮かれるモノだろ?
でも、クリプトが満足げな顔をしてこちらにタブレットを向けた途端に浮かれてる場合じゃないって事が分かった。
マジに冗談じゃなく、談話室のソファーから転げ落ちそうになったのを耐えたのは誰か褒めて欲しい。
クリプトの見せてくれたタブレットに描かれていたのは、なんというか、俺の素晴らしい語彙力でも表現がちょいと難しい。
あー、見たままを言うなら、二つの大きな四角があって、比較的長い四角の方には四本の細長い四角いなにかがついているのは分かる。
それはまだ別にいい。問題なのは片方の大きな四角から謎の三角が二つと、謎の線が色々な所からぴょろぴょろと何本も生えてて、四角の中に目なのかなんなのかわからない二つの点と口らしきものがあるって事だ。
その二つの点と線がとにかく不安を煽ってくる。
なんでかって? そんなの決まってる、片方塗り潰されてるクセにもう片方はちゃんと塗り潰されてないから、絵の中で明後日の方向を向いてるからさ。
口らしき所は笑ってるのか、片方が目の横辺りまでギュッとつり上がってて、見てるこっちは泣き出しそうなレベルの表情をしてる。
最近、ヴァルキリーに無理矢理見せられた"ジャパニーズホラー"の映画並に怖い。
それってある意味、才能あるのかもしれないけどさ。
クリプトの手からタブレットを受け取って、その恐ろしい絵を見つめてみるが、やはり画面の中の"何か"とは一切視線が合わない。
この謎の絵はいったい全体どこ見てんだよ。
どこってか、そもそも生き物なの? なぁ、クリプちゃん。
問いかけたい気持ちを心に秘めたまま、クリプトの様子を窺いつつ声をあげた。
「……あー、はぁ、その……い、生き物だもんな? ほら、そうだもんな? こことかさ……目、あるし」
「? 当たり前だろう。分かりやすく描いたつもりなんだが……分からないか?」
――――分かるか!! 分かってたまるか!!
そう叫びたくなる唇を必死に抑えて、首を捻る事で誤魔化す。
足が四本ある生き物、そんなのはアウトランズ中にうじゃうじゃいる。キングスキャニオンに居るリヴァイアサンだってそうだ。
でも、わざわざそんなのをクリプトは描かないだろ、いくらなんでも。
身近な生き物で猫か犬だと思う、多分。耳っぽいのが三角なのだとしたら、答えは猫……?
これがもし本当に猫だとしたらクリプトにはこう見えてるって事で、俺の事とかも、もしかしたら目玉が頬まで飛び出てる宇宙人にでも見えてるんじゃないかと、絵以外の事で不安になってきた。
俺がどうにか答えを返す前に、不意にドタドタと言う音と共に後ろからラムヤとオクタンの声が響いた。
そろそろワールズエッジのあるタロスに近付きつつあるからか、戦いが好きな二人はいち早く出撃するのが楽しみで自分達のスペースから出てきたのだろう。
「おっ、アンタら二人揃って何してんだー……って、何その絵! ……おぉ……」
「ラ、ラムヤ……ちょっ……」
俺が持っていたタブレットを後ろから覗き込んできたラムヤが黙り込む。
そして続けて見てきたオクタンが感心したような声でマスク越しに呟いた。
「ジーザス……なんつーか、前衛的だな……俺、こういう絵は嫌いじゃないぜ? お綺麗に纏まってるよりずっと良い。……でも、これ、なんなんだ?」
なんなんだろうな? 俺も聞きたいぜ。
俺が答えないからか、ラムヤとオクタンの目は一斉にクリプトに向かう。
だが、肩を竦めたクリプトは、小さく笑ってから囁いた。
「さぁ? 俺にも分からないな。ラフに描いたから」
「はぁ?! なんだよ、それ!!」
思わず叫んだ俺に、ラムヤとオクタンは関わると面倒な事になるとでも思ったのかさっさとその場を立ち去ってしまった。
アイツらの危機察知能力はなかなか良い感度をしている。
俺はしれっとした様子のクリプトに向かって、タブレットの画面を向けるとその面に描かれた絵を指差し、声をあげる。
「お前ッ、俺を困らせる為にわざと下手に描いたのか」
「描くとは言ったが上手く描くなんて言っていないだろう」
「そりゃそうだけどさ」
……それにしたって、流石にこの絵は怖すぎないか。
そう聞こえないくらいの声で囁いた俺の手からタブレットをさっと取ったクリプトは、すぐにその画面の絵を消してしまったらしく、そのままそれを服の内ポケットにしまい込んでしまう。
それと同時にシップ内にそろそろ目的地であるワールズエッジへ到着するというアナウンスが流れ出した。
それを聞いたタイミングで向かいのソファーから立ち上がったクリプトは、俺をチラリと見るとどこか唇を不満げに曲げていて、困ってしまう。
下手に描いたってのは間違ってない筈なのに、なんでそこでそんな不満そうな顔になるんだ?
こちらの表情を読み取ったのか、ツンとした顔をしたクリプトが小さく呟く。
「少なくとも、俺はさっきの猫は可愛いと思って描いた」
「えっ」
俺のすっとんきょうな声を無視して、ブーツの踵を響かせてクリプトが談話室から出ていってしまう。
あれを可愛い……? クリプトにとって、あれは可愛いモノだったのか?
つまり、よく俺を可愛いと言ってくるクリプトの可愛いの定義とはなんなのか。
いや、クリプトに可愛いと言われるとむず痒くて恥ずかしくて、それはそれで悪い気はしなかったのだが、ここに来てその言葉にこんなに悩む日がくるとは思わなかった。
結局、俺は【ゲーム】が始まるというギリギリまで、古来から存在するインターネット・ミームの一つである"スペースキャット"の画像のような滑稽な表情丸出しのまま、ソファーの上から動く事が出来なかったのだった。
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