君が為




耳に響く蝉の声と着乱れた着物の中で背中に伝わる汗に苛立ちが募る。
この庵に居ても忍び込んでくる熱気から逃れる術は見つからず、結局俺は何時もと同じく身を丸めだらしなく畳に横たわっていた。
畳の冷たさは長時間同じ場所で寝ていた為にもはや失われ、べたついた肌に張り付いてくる。
場所を移そうにも体がだるく、動かすのすら億劫だった。
こんな時、思考が嫌に混濁して可笑しな事を考えてしまう。
障子戸の向こうから透ける日の光が室内に複雑な模様を作り出すのを見ながら汗ばんだ胸元に手を差し入れる。
此処は脈動も無いというのにどうして俺は当然のように動き、感情を持ちえているのだろう。
男から供給されている力で生きている己はもしかしなくとも男の人形に過ぎないのでは無いのか。
男が俺を疎ましく思えば簡単にこの身は消えてしまうだろうし、其れはきっと何時か訪れる結末だ。
そんな無意味だが何処か考えないようにしている事柄が脳内に浮かんでは消える。
今も其処まで死ぬ事自体に恐れを抱いてはいない。
ただ何よりも恐ろしいのは男が俺を嫌悪して、そのまま忘れてしまう事だ。


「……暑い……」


こんな時に限って男は出掛けてしまっている。
けれど其れが逆に有難くもあって、俺は一人呟いた言葉とは裏腹に自身の体を両手で抱きしめた。
不意にいっそ男が此処に居ない間にこのままこの体を殺してしまおうか、と愚かな考えが頭を過ぎる。
何かを殺すのは俺の領分で、その為の刃ならば直ぐ傍らに置いてある箪笥の中に確りと手入れをして何時でも使える状態で仕舞ってあるのだから不可能ではない。
しかし、其れを実行した後の事を夢想してみる。
帰ってきた男は俺の刃と着物以外に何も残っていないのを見て恐らく何があったのかをすぐさま察するだろう。
だが其れを認める事は無いままに俺の帰りを此処で待つのかもしれない。
そうして何時かは俺の記憶も薄れて、誰にも会わないこの森の中で一人俺と会う前と同じように平穏に暮らすのだろう。
……どちらにしても俺が満足のいく結果にはならない。
男に永遠に嘆き悲しんで欲しい訳では勿論無いが、男は俺よりも強い意志を持っているから最終的には必ず俺が望まぬ結果になってしまうだろう。
此処まで考えてどうして俺ばかりがこんなにも男を想っているのだろうと、不思議な心持と共に寂寥感を覚える。
相変わらずじわじわという蝉の声が聞こえ、その中で男が帰ってきたのか入り口の扉が開かれる音が聞こえた。
俺は自身の強張った表情を男に向けるのは拙いと慌てて目を伏せ眠っているフリをする。
すると暫くして背後の襖が開かれ、男の足音と衣擦れの音が聞こえた。
息を殺して男の気配を探っていると、俺の傍に寄ってきたらしい男が此方を見ているのか視線を感じる。
だが視線を感じたのも一瞬で、直ぐに男は風呂場の方に向かったのか足音が遠のいていった。
俺は聞こえないように小さくため息を吐き、少し強張った体を動かす。
男に早く帰ってきて欲しいと願ってはいたが、こんな卑屈になってしまっている時に帰って来なくても良いものを、と見当違いに男を脳内で責めた。
そんな事を考えている間に此方の部屋に戻ってきたのか男の足音が再度聞こえた。
其れに気がつき、自然と動きを止めた俺に流石に違和感を覚えたのか男がゆっくりと近づいてくるのを感じる。


「……七夜?」


俺の後ろに座り込んだらしい男が俺の名を呼び、そっと髪を撫でてくる。
耳に触れた男の手は洗ったらしく何時もよりも冷たかった。
その優しい手付きに男が居ない間に馬鹿げた考えをしていた自分が恥ずかしくさえ感じられる。
例え俺の想いよりも男の想いが少なかったとしても、今、男が俺を好いてくれているのは事実なのに其れを自ら切り捨ててしまおうと刹那でも思うなんて男に対して余りにも失礼だ。
此方の体を震えを悟ったのか、髪を撫でていた男がその手を此方の横につき、覆い被さるようにしながら覗き込んでくる。
思わず顔を上げると驚いた様子の男が小さく囁いた。


「……どうした、……何かあったのか」


長い髪が影になり、少し暗くなった男の顔は心配そうに此方を見詰めてくる。
もしも相手が男ならば俺は幾らだってこの身を差し出すだろう。
身だけではなく、命だってきっと差し出せる。
改めて男の顔を間近で見て心の底からそう思った。
俺は男の広く屈強な肩に手を伸ばし、引き寄せる。


「な……」


そのまま俺の名前を呼びかけた男の言葉を遮るようにその唇に口付ける。
外は酷く暑かったのか指を絡ませた男の髪は熱を帯び、微かに汗の匂いがした。
まるで夜の情事の時のようだと思いながら暫く軽い口付けを交わす。
初めは驚いた様子だった男も此方がその唇に舌を這わせるとそのまま俺の体を片手で支え、口付けを返してくる。


「……っ……」

「……」

「……っは……ぁ、……」


ヌルついた感触と共に甘い水音が脳内に響く。
半ば男に縋りつくような状態から顔を離すと、透明な糸が合間に掛かった。
そして男の首に回していた手を離し、少し浮き上がっていた上半身を畳の上に再び下ろすと此方の前髪を手で掻きあげた男がその額に口付けてくる。
男と接吻をした所為で先ほどよりも体温が上がっているのを感じた。
そんな俺を見下ろしている男が僅かに笑いながらその低く掠れた声音で囁く。


「……本当にどうしたんだ、……寂しくでもなったのか?」


男の揶揄するような言葉に何時もならば皮肉の一つでも返していただろう。
けれど今はそんな気にもなれなくて、男の頬に手を伸ばし、その前髪を掃うと微笑みながら囁き返してやる。


「そうだよ……アンタがさっさと帰ってこないからだ」

「……」

「……そんな驚いた顔するなよ、俺が馬鹿みたいじゃないか」

「……いや……」


男の反応に今更になって羞恥心が沸いてきて、顔を逸らした。
そんな俺を追いかけるように顔を寄せてきた男と再び軽い口付けをすると上に覆い被さるようにしていた男がその身を動かし、同じように俺の隣に横たわる。
てっきりこのまま漂っている甘い雰囲気に流され、明るい内に致すのかと思っていたのだが男はそのつもりでは無いらしく俺を胸元に抱き寄せた。
そして俺の髪に指を挿し入れた男が俺の顔を上げさせたかと思うと何度も顔中に口付けを施してくる。
もしかしたら焦らされているのかもしれないと俺は男の着物を掴み、呟いた。


「……おい……するんなら早くしろよ……」

「ん?……其れは夜に取って置くつもりだが」

「は……、なんでだよ?……まさか日が落ちてないからなんて言わないよな?」


早口になってしまった俺の問いかけに少し考えている様子を見せた男は俺の髪を撫でていた手を動かし俺の頬に触れた。
何を言い澱んでいるのだろうと男の瞳から感情を読み取る為にその強い光を点す瞳を見つめると、その目には此方を如何にも愛しいモノを見るような色が宿っていて思わず視線を逸らしてしまう。
俺と知り合ったばかりの頃の男とは全く違うその表情に今でも慣れない。
そうして俺も今までの俺とは全く思考も見せる表情も異なっているのだろう。
そもそもあんな風に女々しい事を考えるなど、男絡みの事柄で無ければ絶対に有り得ないのだから。


「……そのような事を言うつもりはない」

「……じゃあ何でだ」

「……此処でお前の寂しさを埋める為にお前を抱くのは簡単な事だろう」

「……」

「……だがオレはお前が大切だからこそ、……今はこうしていたいんだ」


視線を逸らした俺に言って含ませるようにそっと静かに囁かれた男の言葉にぞくりとした痺れを感じた。
男の純粋過ぎる感情に中てられるのは間々あることで、その度に俺は胸を掻き毟り たくなる程に焦がれてしまう。
こんな台詞を吐かれてしまっては、夜の帳が下りて男が触れてくるまで強請る訳にもいかないでは無いか。
何よりも俺が先ほどまで抱いていた暗い感情を男との情事で無理矢理掻き消そうと考えているのを見抜かれている気がして、余計に羞恥を煽られた。
障子戸から射し込む光でハッキリと見えるだろう熱を集めて赤く染まっている己の頬を見られたく無くて、蒸し暑いにも関わらず更に男の胸元に顔を寄せる。
その行動の意味を理解したのか薄く笑った男が俺の髪を宥めるように撫でてくるのを受け入れながら俺は男の熱を秘めた背中に片手を回した。



-FIN-






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