男と別れ、持っていた荷物を適当に処理してから俺は薄暗さを点し 始めた路地裏を歩む。
この街に戻ってこれた事は何よりも嬉しかった。
だけれどもうそれは、手放さなければならない。


「……」


本当はすぐにでも行こうかと思ったのだが、あの夜をもう一度やり直す のならば夜に行くのが良いだろう。
そう考えた俺はゆったりとした動きで若干遠回りをしながらあの雪原の 入り口へと戻ってきていた。
別に此処に来る必要は無い。
そう思いながらも来てしまうのはきっと主人が今度こそ俺を止める 為ならば手段を厭わない事を分かっているからだろう。
そうなる前に、引導を渡してやらなければならない。
俺は片手を上げて雪原へと入る。
そうして真っ白な世界の中心で、此方を見据えている赤い瞳と視線が あった。
俺は冗談っぽくその赤い瞳を持った主人に対して笑いながら語りかけてみる。


「……やあ、もう戻ったのかい?」

「……」


主人は尚も此方を睨みつけながらその周囲の冷気を自分の元へと収束させていく。
そうしてその甘くも鋭い声で、言葉を紡いだ。


「そうよ。……誰かさんの気配が可笑しな事になっているから」

「……そうかい?なるべくバレないようにしようとしたんだけどね」

「貴方には前に一度逃げられているから……私、何度も同じ失敗をしないようにしているの」

「……」

「大体、此処に戻ってきたって事は今度は私を殺すつもりなのでしょう」


俺はその台詞にふ、とため息を吐きながらポケットに潜ませていたナイフを取り出し、 その刃先出す。
カチリ、と剥き出しになったその刃先は雪原の白さと相俟ってより一層輝いて見えた。


「……それは違うな、レン」

「……」

「俺は元々、『殺す』為のモノだよ。……忘れたのかい」

「……貴方、……いえ、良いわ。……今度こそ逃げられないようにその首に頑丈な首輪を嵌めてあげる……!」


主人はその片手を上げ、桃色の光の球体を作り出す。
俺はそのまま足元の雪を踏みしめ、そうして構える。
そうして俺が駆け出したのと同時に主人がその目を微かに細めた。



□ □ □



「……っひゅ……!」

「……ッ……!」

「……ちッ……」


何度目かの攻撃で主人の背後を取り、その背中に斬りつけようと刃物を振るう。
だがそれは主人の幻惑のような動きによって避けられてしまう。
今度はそんな俺に対して主人は地面から氷の蔦を張り巡らせ、その足を止めようとしてくる。
しかしそれを飛んで避けるとそれを読んだように冷気を纏わせた少女の足が此方を捉えて 蹴り上げてくる。
その攻撃を両手で防ぎながら飛び退さるとくるりと優雅に着地した主人が傷ついた体を抱えながら 微笑んだ。


「今のをかわすなんて……あのまま倒れて下さっていても良かったのよ?」

「……ハ、……まぁ少し驚いたよ。……君も強くなったものだ」

「……一年だもの、……強くだってなるわ」

「……」

「それに私、……貴方に負ける訳にいかない。……貴方を何かを『殺す』存在にしたくないから」

「……」


その真っ直ぐな視線に俺は微かに息を呑む。
自分を殺されない為に強くなったのではない、俺を守る為に強くなったという主人の瞳は何処までも 静かで美しかった。
俺は自分の持っている刃物を見遣る。
―――この刃物はあの美しい光を切り捨てられるのだろうか。
その思いを目を伏せて表に出さないようにする。
主人が此れほどまでに強い思いを抱えてくれているのならば、俺はそれに応えなければならない。
す、と目を開けた先には同じように此方を見据えている主人が居る。


「……君の想いは伝わったよ、レン」

「……」

「だから今度は、……逃がさない」


俺は再び構えなおし、蜘蛛の糸を張り巡らせるように雪原の中を動く。
此処は木々も無い上に彼女の空間だ。
だから本来なら俺にとってかなり不利なのだがそれは無視をした。


「……閃鞘・七夜……!」

「……きゃあ!!」


俺は不意に駆け抜ける動きをやめ、主人に対して切りかかる。
流石にそれには反応できなかったのか宙を舞った主人はそれでもその両手を掲げて幾つ物 氷の礫を此方へと放った。


「……っこの……、……凍りつきなさい……!!!」

「……く……」


無数に飛んでくるガラスの様なその氷に身体や頬を僅かに切り裂かれるのを感じる。
だが俺はそれを無理に潜り抜け、未だ空中で体勢を整えきれていない主人に向かって技を 放つ。


「……閃鞘……迷獄沙門……!!」

「!……きゃあああ!!」


そうして斬りつけ、着地した俺の後ろでドシャ、と【少女】の身体が叩きつけられる音がした。
振り向いた先にはその白い髪と服を雪原に埋もれさせながらも悔しそうな顔をして此方を 見ている少女と目が合う。
俺はその少女の元へとゆっくりと近づいていった。


「……」

「負け、……ちゃった、……のね……」

「……あぁ」

「……折角、……強くなったのに……」

「君は強かったよ、レン」

「……そう?……そうよね……前は、貴方とこうして戦う事も出来なかったもの」


ふ、と笑いながら囁いた少女は悔しそうに雪原に爪を立てた。
俺はそんな少女に向かって刃物を向けかけたが、ため息を吐いてそれを仕舞い込む。
下からそれを見ていた少女は驚いたように呟いた。


「……私を殺さないの、……七夜」

「……俺も焼きが回ったかな。……どうにもそういう気分になれないんだ」

「……じゃあ……!」

「でも、……俺は行かなきゃならないんだ」


そう言った俺に微かに嬉しそうな声を上げた少女の期待を俺は言葉で切り捨てる。
そうして倒れこんでいる少女から離れるように雪原の出口へと向かう。
そんな俺の後ろ姿に少女が悲痛な声で語りかけてきた。


「……貴方は、彼の所へ行ってしまうの?」

「……」

「…………私じゃ、……ダメなの……?」

「……レン」


俺は入り口付近に立ち、前を向いたまま少女の名を呼ぶ。
そして俺はきっと少女にとって酷だろう事を話始めた。


「前に、トランプしたよな」

「は……?」

「……その時言っただろう?『選ぶのは何かに似ている』って」

「……」

「でも、……それってけして二択じゃないだろう」

「……なな、や?」


脳裏にあの寂しげに見えたジョーカーの絵柄が蘇る。
そう、けして、二択ではない。
そうして本来なら俺が選べるのはその選択肢しかないのだ。
俺はそこで漸く振り返る。
傷ついた身体を抱えながら上体を起こした少女はその目を見開いて此方を見ていた。


「……さようなら、レン。……きっと今度はもう会えないな」

「ま、……まって、……待って、待ってよ……待ってよ七夜……!!」


俺はそんな少女に向かって柔らかく微笑み、前を向いて片手を挙げ 扉を開く。
勝手だと少女は思うだろう。
しかしそれが本来の形だったのだ。
俺は歪んでしまったものを戻すためにただ歩みだす。
そうしてふ、と痛みを感じていた頬に手を当てると赤い血が付着したが、 暫くすると勝手に傷が塞がるのを感じる。
その事実に俺は洩れ出そうになる自嘲の笑みを喉奥にしまい込みながら あの男の居る山へと向かい始めた。



――→拾弐






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