「……っか、は……」
俺の投げた刃を片手で簡単に弾いた男はそのまま此方の腹にもう片方の指先を刺し込み、首を捻じ切ろうとしていた俺の動きを止めた。
そのまま地面に落とされた俺はこれで終わったのだと何処か心の奥底で安堵している自分を感じる。
しかし男の指先は俺の腹を貫通しているわけではなく、ただその表層に僅かにめり込んでいる程度で、男はその指先を躊躇いも無く引き抜いた。
そうして引き抜かれた腹から赤い血が滴り、俺はその赤に眩暈すら覚える。
あの夜のように致命傷ではない、それでも体力の落ちた己に立っている力を失わせる程度のその傷。
男はそんな俺の現状を理解しているのか、よろめいた俺を支えるようにその両手で俺をしっかりと抱きとめた。
そこから伝わる温度、そうして生きているモノの確かな脈動。
……何時しか見た夢と全く同じだ、と、ふとそんな事を思い出していた。
「……七夜」
黙ったままの俺をさらに強く抱きながら男が耳元で俺の名を囁く。
その声にはまるで最愛の者を亡くしてしまいそうなそんな悲痛さが含まれていた。
もしかしたら俺の勝手な解釈なのかもしれないが。
今の死闘の気配を感じたのか動物たちは黙り込み、周囲はまるで時が止まったかのように風も止んで、静寂に包まれている。
「……軋、間……」
そんな中、俺が掠れた声でそう男の名を呼ぶと男が顔を上げる。
あの時よりも近く、そうして鮮明に見える男の顔にそっと手を当てると男は其れに目を伏せながら頬を摺り寄せた。
あの夜と全く同じでいたかった。
そうすれば、こんな風に男の一挙一足に動揺なんてしなくても良かったのに。
こうやって唇から零れ落ちそうになる思いを抑える事だって、しなくても良かったのに。
「……七夜……」
「……」
そっと俺の目の前でその瞳を開いた男は真っ直ぐな視線で此方を見据えた。
そうしてその瞳の中には縋るように男を見つめている俺が映っている。
男はこんな血に塗れた状況にはてんで似つかわしくない優しい声音で俺に言い聞かせるように囁いた。
「……お前が消えたあの夜」
「……」
「最期にお前に言った言葉、それを聞きたがっていたな」
「……あ、あ……」
そのまま俺を抱いていた手の片方を男の頬に触れていた手を握る為に動かした男は、俺の手をぎゅうと握り締めながら呟いた。
「……オレはあの時、お前を殺した事を悔やんだ」
「……」
「それは、……きっとお前の抜きん出た才能、そうして父に似た瞳、そんな物に後悔を感じたのかもしれない」
「……」
「だから、『もう一度、お前と逢える日が来れば良い』と願った」
「…………」
「それが地獄であろうと、この俗世であろうと、もう一度、お前と対峙したかった」
男はそう言い切ってから、ふ、と薄く笑う。
そうして俺を抱きしめた方の手にさらに力を込め、また言葉を紡ぐ。
男が俺ともう一度対峙したがっていた、その言葉は何よりも嬉しかった。
一年という長くも短い月日の中、男が俺を頭の片隅にでも置いておいてくれたというその事実。
そんな事柄が俺の心を何よりも深く揺さぶってくる。
本当にどうして男はこんなにも俺を、俺という定義そのものを崩してくるのだろう。
そしてどうして俺はそれをこんなにも嬉しく思ってしまうのだろう。
「……だが本当にお前ともう一度出会って、話をして、酒を飲み交わして……」
「……」
「想像で行っていた事柄を実際に行って分かった事がある」
「……きし、ま」
「オレは、……お前という存在自体にきっと何よりも焦がれているんだ」
「……な……」
何処までも力強いその瞳で、そうしてその声で、俺の欲している言葉を言うなんて卑怯だ。
俺は今まで抑えていた言霊が自身の唇からボロボロと零れ落ちるのを聞く。
「……俺、は……生きていない……ただの、……影なんだぞ」
「知っている」
「アンタが……求めているのは……『七夜志貴』であり、『七夜黄理』の息子だろ……」
「……」
「……あの夜、それはきっと死んだんだ……それでも、…………それでも……」
「……そうだな」
「っは、……アンタ、馬鹿だ……馬鹿だよ……大馬鹿者だ……」
「……七夜」
「そうして俺も大馬鹿者だ…………アンタのそんな所、全てが、……愛しくて堪らないんだから……」
そう言って俺は男の背に腕を回し、その厚い胸板に顔を摺り寄せる。
どうせ届かないと思っていたその身体がこんなにも傍にあって、そうしてその感情も側にある。
これ以上の『幸福』が何処にあるのだろう。だからもう、高望みをしてはいけない。
分かっているのに男の服を掴む手に力が篭もる。
―――そうすれば、まるで生を得られるかのように。
「……オレは……」
「…………?」
「……二度、お前を殺したりはしない」
「……ッ……」
そう耳元で囁いた男の顔を見遣る。
影になった男の瞳を見つめていると、そっと男が顔を寄せてくるのが分かった。
そうして触れ合った唇にぞくりと身体が震える。
それは男から流れ込んでくる力の所為か、はたまた、それとは違うものの所為か。
考えていたが、次第にもうなんでも良くなった。
それよりも、こうして男と触れ合っていられる、その事実が大切に思えたから。
「……七夜……?」
「……」
「……七夜……!」
段々と白む意識を繋ぎとめようと必死に声を掛けてくる男に答えようとするが、
それは上手くいかずに男の身体に完全に寄りかかる。
あの夜には感じなかった『この世界に生きていたい』という願いを抱いたまま、消えていく
意識に俺は飲み込まれていった。
――→拾肆
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