「本当に行くのか?」

「当然でしょう?少しは言う事を聞きなさい」

「……むう」


結局約束通り主人が世話になったという人々に会う事となった。
それに対して俺はそれとなく不満を表してみるが、当然それが通る筈も無く、 真夜中の路地裏をすり抜けるようにして進む。
聞いたところに寄るとその少女たちはどうにも路地裏にて生活をしているらしい。
それは俺たちと同じなのでどうとは思わないが、特に固有結界を展開させている 訳でも無いらしく、その中でどうやって過ごしているのかが少しばかり気になった。


「此処よ」

「……此処、なのか?」

「ええ」


そう言われて見上げた先には長年使われていなさそうな廃ビルがあった。
確かに考えてみればこのような所に潜伏する方が余程良いだろう。
そうして目の前にあった扉を開けて進んでいく主人の背中に着いていく。
そのまま声を掛けながら中に入っていく主人の声に答えるように落ち着いた 声音が聞こえてきた。
しかしその声の主の姿は見えない。


「シオン、居る〜?」

「レンですか、どうぞ何時もの場所に居ますのでいらして下さい」

「研究室ね……他の二人は?」

「リーズとさつきは夜の見廻りに出かけているので居ません」

「そう……来る前に連絡をしておけば良かったわね」

「多分もう少しで帰ってくるとは思うのですが……」


そのやり取りを聞きながら俺はその声が部屋の隅に取り付けられた機械から流れてきているのに気がついた。
そのまま玄関広間のような場所を見回していると幾つかの監視カメラが取り付けられているのが分かる。
思った以上に此処の住人は文化的な生活を送っているのかもしれなかった。


「じゃあ今からそっちに行くわ」

「了解しました」


ぷつ、と小さく音が聞こえてからその声が途切れる。
そうしてまだ辺りを見回している俺に対して主人が声を掛けてきた。


「どうかした?」

「いや……随分と君のお友達は不思議な所に住んでいるんだな」

「そうかしら……まぁ中に入ったらもっと驚くかもね」

「……?」


その言葉に一抹の不安を感じつつ、さらに廃ビルの中に進んでいく主人に着いていくと妙に頑丈そうな扉があるのに気がつく。
そうして躊躇いも無く主人が扉を開け、中に招かれた。
中を見た瞬間、俺は思わず息を呑んだ。


「……これは……」


外観からは凡そ予想のつかない近代的な内装に驚いてしまう。
しかし主人は慣れた様子でその部屋の中にある何処か不気味な雰囲気を湛えた 扉の前に立ち、その扉を開ける。
先ほどと同じようにその扉を潜ると、何かの研究をしているのか色とりどりの 液体が入った瓶やら、不思議な文字で書かれた本やらが棚に整然と置かれ、その部屋の奥にある天高く本を積み上げてある机と一式で置かれているらしい椅子に座っていた紫髪の少女が真っ直ぐと此方を見据えてきた。
その表情は理知的で、一筋縄ではいかないのが一目で分かる。
だが、顔を上げた少女が始めに見せたのは一瞬の戸惑いの表情だった。
けれどその動揺もすぐに掻き消え、悪く言えば平坦な声が少女の唇から 響く。


「初めまして。……貴方が彼女のマスターですか」

「まぁそんな所かな……随分と彼女が世話になったみたいだね」

「別に私達は何もしていませんよ、……それよりも彼女に助けて貰った方が 多いくらいです」


そこまで言葉を交わしてから、少女は自身の名を明かしていない事に気がついた のか一度唇を閉じた後再び話し始める。


「私はシオン=エルトナム=アトラシア。貴方の本体とは顔見知りですが貴方とは 初めて会いますね……七夜志貴」

「あぁ、そうだな。……もしかして君もあの色男に落とされた口かい?」

「……」

「おっと、失言だったようだね。……でも気にする事は無い、奴と俺はそもそも考え方も存在 目的も違う」

「そのようですね、……まぁ貴方のその感覚は私がどうこう言えるものではありません」

「……ッく」

「……ふふ」


どうにも彼女とは馬は合うのか合わないのか判断がつかないが、悪くはない反応だ。
そんな俺と彼女……シオンとの会話を見ていた主人はそんな空気を払うように 咳払いをする。
そしてシオンが椅子から立ち上がり、羽織っていた白衣を脱いでからその椅子の背に 掛けた。
白衣の下から現れた衣服はどうにも見覚えの無いものだったが、恐らく何らかの術師 なのだろう。


「とにかく……二人が戻ってくるまでお茶でも飲んで待ちましょうか」


そう言って微笑んだシオンはさらに別の部屋へと俺たちを案内してくれた。



□ □ □



「え?あぁ……このビルは元々遠野家所有の物で、琥珀が研究施設として使っていたビルの一つなのです」

「……そういう事か」

「そうして今は私が琥珀と秋葉から流れてくる依頼を此処で請け負いながら、吸血鬼などの研究もしている、と……」


ごくごく普通の屋敷の一室のような場所で主人ともども茶を振舞われている間に 俺は気になっていたことをシオンに問うていた。
確かに此処が元は琥珀の隠れ研究施設ならばこの近代性も、外観との違いも良く分かる。
それにあの秋葉がただのお人よしでは無い事も十分に理解できているものだから、 彼女がやはり助けるに値する人物だったのだろうという予測も当たっていたようだ。
まさかそれが吸血鬼に関する研究だとは思ってもいなかったが。


「……でも君が吸血鬼の研究をするのかい?」

「……えぇ、詳細にいうならば吸血鬼化を止める研究を」

「なるほど、ね」


寂しげに笑ったシオンに俺はそれ以上この話題を振ることはせず、黙ったまま の主人に声を掛けた。


「俺達もこういうビルを借り受けるか」

「私達じゃ無理でしょ、……貴方が彼の真似をしてみてくれるなら分からないけど」

「……出来なくは無いだろうが、バレた後が怖すぎるな」

「計算上、バレてもバレなくても恐ろしい結末が控えていますが……」

「なら、やらない方がマシだな」


そう言って見せると、主人とシオンが口元を押さえて小さく笑った。
そうして不意にシオンが椅子から立ち上がる。


「二人が戻ってきたようです」

「分かるのか?」

「えぇ、此処には簡単な結界も張ってありますし、リーズは私の『常駐ソフト』みたいなものですから」

「『常駐ソフト』……?」

「つまりは貴方と似たようなものだという事です」

「それはそれは……」


そう言って俺は茶を啜った。
紅茶も嫌いではないが、このように暑い日は冷たい麦茶の方がやはり性にあっている。


「私は彼女たちを出迎えてきますので少し待って頂いて良いですか?」

「構わないわよ」

「では少し失礼します」


シオンはそう言い残して俺達を招いた扉から出て行った。
暫し主人は黙っていたが、不意に此方に向かって声を掛けてくる。


「悪い人では無いでしょう?」

「あぁ、そうだな」

「……」

「これなら楽しく出来そうだ」

「そうね」


そう言って俺に笑いかけてきた少女に俺は薄く笑みを返す。
俺も大分変わったらしい。精算が済んだからだろうか。
これから何を目的として生きればいいのか難しいところではあるが、 見えている結末が同じでも其処に到達するまでの期間を可笑しく過ごしてみる のも悪くは無いだろう。
そう考えていると、主人が何かを言いかけるように口を開いたが、それを 聞く前に扉が開かれシオンと他の二人が現れた。
俺はそこに見覚えのある姿を見て、思わず声を掛ける。


「……弓塚さん、かい?」

「えッ、あ、ビックリしたぁー……七夜君か」

「そうか、君はもうレンから聞いているんだったな……その通り、七夜志貴の方だよ」

「本当にそっくりなんだね、最初本物の志貴君かと思っちゃった」

「それは褒めて頂いているのかな?それなら光栄だ」

「えへへ」


頭を掻きながらそう言った彼女は自身をさつき、と呼んでくれと言った。
そうしてそんなさつきの後ろで男装をしているようにすら見える凛とした印象の女性が 語りかけてくる。


「えっと……私は初めてだよね、私はリーズバイフェ=ストリンドヴァリ、昔は 教会の騎士だったんだけど訳あって今はシオンの騎士をやっている」

「その言い方は語弊があると思いますが、リーズ」

「え?何か間違っていたかい?」

「……まぁもう気にする事もありませんが……」


彼女の後ろから二人の分の茶を持ってきていたシオンがそう言うが、彼女は 全く持って気にしていないようだ。
もしかしたら彼女は見た目は孤高の騎士に見えるが実際はそういう性格では 無いのかもしれない、と内心思った。


「俺は七夜志貴、よろしく頼むよリーズバイフェさん」

「長いから私の事はリーズで良いよ」

「そうかい?なら、リーズさんで構わないかな」

「あぁ、宜しくね……えーと……七夜君」


恐らくもう一人『志貴』が居るものだから悩んだ結果『七夜』という呼び方に したのだろう。それは賢い選択だと思う。
二人は椅子に座り、シオンの持ってきた茶を飲んで漸く一息ついたといったように ため息を吐いた。
そんなところに主人が声を掛ける。


「今日の見回りはどうだったの?随分疲れているみたいだけど」

「んー、そんなに異常は無かったよね、リーズさん」

「そうだね……二、三体居たグール辺りを倒したくらいかなぁ」

「もう一年だっていうのにまだ残っているのね……仕方の無い事だけれど」

「まぁ、此処は遠野が管理をしているし、彼女たちも居るからそうそう悪さは出来ない と思うけどね」


其処まで答えてリーズがふと思い出したように呟いた。


「あぁ、でも珍しく今日は彼が来ていたな」

「あのリーズさんのお友達?の人だよね……?」

「友達という訳では無いんだけど……彼とは昔手合わせをさせて貰ったから」

「確かとっても強かったんだっけ」

「あぁ、負けてしまったよ。……真の武人とは彼の事かもしれないな」


俺は知らず知らずのうちにその問答に耳を傾けながらも、一人の男を思い出してしまう。
しかしまさかそんな筈は無いだろうと思っているとリーズに対してシオンが問いかけていた。


「でも彼は山奥に住んでいて決まった時にしか降りてこないのでしょう?」

「そうなんだよね……だから思わず私も聞いてみたんだ。何時ものようにお酒を持っていたから買出し かとも思ったんだけれど何だか様子が少し違ったから」

「……それで彼は何と?」

「確か『丁度一年経ったから期待をしていたが無駄だった、だから今日は弔い酒を買いに来た』みたいな事を言っていたけど」


俺は思わず立ち上がりそうになる自身を抑えて、その会話に自然に割り込む。


「なぁ、リーズさん」

「ん?なんだい七夜君」

「その男の名前を聞いても良いかい?」

「え、あぁ……確か軋間……」

「ダメ!!」


リーズが答えようとした瞬間、黙りこくっていた主人が勢い良く立ち上がり、 皆がその姿に驚いて息を呑む。
思い余って立ち上がったらしい主人はその視線に耐えられず、顔を真っ赤にして 椅子に座りなおした。
けれど俺にはその名前がはっきりと耳に届いて、頭の中を駆け巡っていく。
確かに『軋間』と聞こえた。ならば奴しかありえないだろう。
だが、奴が町に来るのは分からない事ではない。
問題はどうして今日、本来なら来ないはずの町まで降りてきて、『弔い酒』なんて 買うのか。
ぐるぐると頭の中にその事実が渦を巻く。はっきり言って俺は混乱しきっていた。
しかしそれを出すわけにはいかないとその後暫し続いた歓談に話を合わせて、また 来るとの約束を取り付けた後に来た時と同じように暗い路地裏を通り自分達の境界へと 帰った。
なるべくその帰路の途中も変化無く主人に接していたが、帰る間中、ずっと此方に 向けられた視線に気がつかない程愚かではない。
けれどその視線こそが、まさしくあの男が此処に来ていたという証で。 俺はもう何も考えたくなくて、雪原についてからさっさと眠りに着いたのだった。



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