「……どうかしたのかい、七夜君」

「……いや、……」


目の前に茶の入ったグラスが置かれ、考え込んでいた意識が浮上する。
見上げた先には柔らかく微笑んでいるリーズが居た。
俺は結局昨日はよく眠れず、だからといって主人にそれを話す事も出来ないまま 気まぐれに昼間から彼女たちが住んでいるこの廃ビルに来ていたのだった。
そうして丁度シオンもさつきも出かけていたり、休んでいたりで俺の相手をリーズ がしてくれているのだが。
俺はこの間シオンが言っていた【俺と似ている】というリーズに何となしに聞いてみたい事が あり、椅子を引いて俺の向かい側に座ったリーズに向かって声を掛ける。


「なぁ、リーズさん」

「なんだい?」

「……君はシオンに仕える事をどう思うんだ?」

「一体どうしたんだい?……何か思うところでも?」

「……」


俺は何も言わずにこちらを見つめてくるリーズから顔を背ける。
それだけで察したのか、リーズが訥々と語りかけてくるのが耳に響いてきた。
その声は諭すような声音を宿している。


「そうだね……私は彼女に生かされているから彼女に仕えるのは当然だと思っているよ」

「……」

「でもそれ以上に私は彼女の事が好きだから」

「……」

「さつきもシオンも、私の力で守れるなら守ってあげたい」

「そうか」

「……七夜君は違うのかい?」


その言葉に俺はそっとリーズと視線を合わせる。
だがその目にはけして此方を責めるような色も無く、此方の言葉を待っている ように見えた。
俺はその言葉に優しく押し出されるように自身の声が響くのを聞く。


「自分でもよくわからないんだ……ただ、」

「……」

「あの男が、……意識の片隅に居るんだ」

「……あの男?」

「……軋間紅摩、だよ」

「……」

「精算は終わった筈なのに、俺の中にあの男が残っているんだ」

「……」

「そんな事、……可笑しいのに」


其処まで語り終え、俺は口を噤む。
そんな事をリーズに語ったところできっと困惑しているに違いない。
だが予想に反してリーズは一瞬考え込んだ後、あっけらかんと俺に向かって 言葉を投げ掛けてくる。


「そんなに気になるなら会ってみたらどうだい?」

「は……?」

「君もレンもシオンも考え込み過ぎる傾向があるみたいだね」

「……」

「そんなに彼が気になるなら会えば良いじゃないか」

「でも、奴が何時来るかなんてわからないだろ」

「うーん……この間会ったのは珍しい事だったけど、一本しか酒を買い込んでいなかった みたいだから……また何時もみたいに決まった日に来るんじゃないかな?」

「……それって」

「大体一週間に一回程度だからそろそろ来るんじゃないかな」

「…………時間がわからない」

「何時もは昼間から夕方にかけて来ているみたいだよ。……待っていればきっと会えるさ」


黙り込んでしまった俺に対してリーズがにっこりと笑いかけてくる。
俺は最後の抵抗とばかりに囁いていた。


「……奴も本当に俺に会いたいなんて、思ってはないだろう」

「それこそ会ってみなくちゃ分からない、そうだろう?」

「……」

「大丈夫だよ、彼がどういう人かなんて君が一番良く分かっているんじゃないかな」

「……そう、かもな」


俺はリーズに出して貰った茶の入ったグラスを取り、その中に入っている茶を 飲み干す。
喉元に流し込まれた茶は冷たく、頭をすっきりとさせてくれた。
そのまま立ち上がり座っているリーズに向かって俺はそっと呟く。


「ありがとう、リーズさん」

「……君に主のご加護があらん事を」

「……」


その言葉を聞いて俺は思わず苦笑してしまう。
だがそれはリーズの最大級の声援なのだと理解して、俺は まだ日の高く昇っている外へと向かった。


□ □ □


ビルの屋上から見た昼間の景色は夜中の町とは違い騒々しく、また、日差しが こちらの姿を浮かび上がらせていた。
本来ならまだ俺は眠っているような時間なのではあるが、先ほどの話をした ばかりでは恐らく眠ることも儘成らないだろうと早速あの男の気配や姿を 探す。
リーズは待っていれば会えると行っていたが、実際の所奴が何時現れるかも 分からない。
そうしてもし現れたところで俺は一体なんと声を掛けてみればいいのかすら 分からないだろう。
それでも、きっと会えば分かるのだと信じている。
会ってもう一度この心の揺らぎの原因を探るのだ。
そうしてあの時聞こえたように思えた男の最後の言葉の真意を、俺は知りたい。
もう二度と得られぬと思っていた生を再び得る事が出来たのだから、その 好機を俺は間違える事無く使いたかった。
あの男が俺と、偽り無く会いたいと願ってくれているのなら俺は迷う事無く 会えるだろう。
そうして男がリーズに語った言葉が嘘では無いと信じたかった。
そうすれば、きっと、俺は俺として男と向き合う事が出来るかもしれない。
何故なら俺はもう【七夜】の精算を終えているのだから。


(……お前はただの【七夜志貴】になった俺を、見てくれるのか)


俺はそう俺の心の中にいる男に語りかけてみる。
だがそれに答える事無く男は掻き消えた。
空想で答えられるような問いでは無いからだ。


「……軋間」


俺が呟いた男の名は風に乗って、そうしてすぐに空へと溶けた。



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