男を捜し始めて早四日。
しかし、その姿を見ることは出来なかった。
けれど俺は随分と諦めが悪かったのだと気がつく。
何故なら今日も男を捜しに行こうとしているのだから。


「……七夜」

「……?」


だが俺が出かけようとした時、主人が可愛らしくも何処か毒を含んだ声音で声を掛けてくる。
そうして振り向いた先には鋭い視線で此方を射抜いてくる主人が立っていた。
俺は黙って主人の言葉を待つ。


「……こんな昼間から何処に行くの」

「散歩だが?」

「貴方、そんなに活動的だったかしら?」

「んん?まぁ、良い事じゃないか」

「……」


はぁ、とため息を吐いた主人は諦めたようにくるりと背中を向けてしまう。
俺はその背中を見遣ってから、前を向き、外に出る為に片手をあげて 空間を歪め扉を作る。


「嘘吐き」


そうして俺が扉を抜ける瞬間、主人の声が確かにそう言っているのを聞いた。



□ □ □



空は高く、相変わらず蒸し暑い。
だが今日は昨日よりかは風が吹いている為にマシだ。
俺はまた何時もと同じようにビルの屋上に上って、ざらついたその地面に座り込み、その風を 受ける。
もう此処に来て二時間は経過しているので、今日も不発かもしれないな、と いう思いが微かに頭の中を過ぎった。
俺はそれでも気配を探るのを止める事はせず、ため息を吐く。
今日は休日なのかどうにも人が多くて気配を探るのですら一苦労だ。
それでもあの男の気配は濃密だから男自身が隠していなければ分からないわけは無いのだけれど。


(……しかし、会ってどうする)


リーズに言われてからずっと男を捜しているが、実際何を言えば良いのか てんで思いつかない。
会いたいと願っていた筈で、男がそれを肯定してくれるなら迷いも無かった筈なのに、 時間が経つ程に俺はその自信が萎えていくのを感じてしまう。
それに男を捜しているこの四日間も考えていたがやはり頭の中が靄が掛かった ようにその瞬間がイメージ出来ないのだ。
男に聞きたい事はある、けれどそれ以上を思いつかないし、それに対して 男がどう答えるかも分からない。
結局、俺は何時もそこで考えるのを止めてしまうのだ。


(……なんか雲が出てきたな)


再び空を見上げてみると怪しい雲が幾つか出ているのに気がつく。
雨に降られては敵わないと帰る為に座り込んでいた地面から手を着いて立ち あがろうとした刹那、気配を確かに感じた。
俺はそれが其処かで勘違いであって欲しいと願いながらも確実にこちらに近づいてくる 気配には覚えがあって、急いで屋上から降りる為に階段へと向かう。
俺は少しでも気がついて貰えるように自身の気配を隠す事無くそれこそ飛ぶように 階段を駆け下りていく。


(……居なくなるなよ)


そう願いながら駆け下りて、裏口の扉を開ける。
そうして路地裏に出た所で、表通りから誰かが早足で此方に近づいてくるのが 分かった。
俺は微かに荒くなった息を整えながらその影が此方に近づいてくるのを待つ。
そうしてビルの隙間から射し込む光に照らし出されたその影は、確かに男だった。
その姿を実際に見ると何を言って良いのか分からなくなる。
けれど何か言わなくては、と咄嗟に俺は片手を挙げて挨拶をしてみた。


「……よお」


男はその声に何かを言い澱んでいるかのように唇を少し動かした後、改めて 此方に挨拶を返してきた。


「……あぁ」


その低く掠れたような独特の声音を本当に久しぶりに聞いた瞬間、何か複雑な 感情が持ち上がってくるのが分かったが俺はそんな思いを押し留めて男に更に近づいて みる。
そうして触れられる程まで近づいてから男を見上げると、男は黙ったまま此方を 見返してきた。
何か、言わなければいけないのに何も言葉が出てこない。
『会いたかった』とか、そんな陳腐な言葉を吐いてしまったらそれこそこの奇跡 のような邂逅が全て崩されてしまいそうで。
暫し互いに黙ったままでいると男が不意に呟いた。


「お前は」

「ん?」

「何時戻ってきた」


男が複雑そうな顔を浮かべたので俺は敢えて軽い調子で返してやる。


「アンタが弔い酒とやらを買いに来たって日だよ、軋間」

「……何故お前がそれを知っている?」

「『リーズ』って言えば分かるだろ?」

「……あぁ、なるほど」


其処まで話が続いたのはいいのが、また、互いに沈黙してしまう。
一体どうしたものかと思い俺は一度俯いた後、顔をあげて口を開こうと した時、向こうも全く同じような動作をしているのに気がついて俺は思わず 笑ってしまった。
それは男にも伝染して、お互い何処かぎこちないながらも笑いあってしまう。
どうにもこの男と居ると何時もの自分の調子が中々出ない。
そうしてそんな感覚がけして不快では無いのだから、不思議なものだ。
そんな事を考えていると男がふ、と顔を上に向けた。
俺もそれに釣られて顔を上げてみると何かの雫が顔に落ちてくるのが分かる。


「降ってきたな」

「……あぁ」

「少し端に寄ろう」


男がそういうので丁度上手い具合に雨が凌げそうな所を見つけて二人でその狭い スペースに入る。
先ほどよりも男が近い場所に居て、何故だか分からないが普段よりも心拍が早まる のを感じた。
本当なら、傘も持っていない男に帰りを促した方が良いのは分かっている。
男だってそれは十分承知しているだろう。
それでも、まるで帰るのを先延ばしにしているかのような男の行動は俺を酷く 混乱させた。
だがしかし、その行動に安堵している自分もまた、居るのだ。
また会えるかなんて分からない、そんな風に思ってしまう。
今日は運良く見つけられたから良いものの、会話すら上手く出来ていない。
そんな状況でどうして会ってくれなどと言えるだろう。
そもそも自分がどうしてこんなに男に会いたがっていたのか、それすらも結局 の所曖昧なのだから。
聞きたい事があった、それは事実だったがそれを聞いてしまったらそれこそ何の 理由も無くなってしまう。
その理由が無くなっても、この感情が無くなるとは到底思えないのだ。


「……七夜」


いきなりそう声を掛けられて、思わず身体がビクついてしまう。
そんな戸惑いを打ち消しながら、俺は男に答えを返そうと男の方を向く。
けれど思っていた以上に近いその距離に言葉が詰まってしまった。
男はそんな俺を見ながらも、小さく囁く。


「……お前は……」

「……」

「いや、……」


ふ、と男は視線を外に向ける。
何故か、降り始めている雨の音が耳に響いた。
そうして男が此方を再び向いて言葉を紡ぐ。


「お前は此処の町に住んでいるのか?」

「……まぁ、そうだな」

「そうか」

「……」

「なぁ」

「ん?」


俺は納得したような男に向かってそっと声を掛けてみる。
なるべく重くならないように、どうでも良いかのように、そんな調子を保つのに 苦労した。


「アンタ、また此処に買出しにくるんだろ?」

「……あぁ」

「次は何時来るんだ?一週間後とかか」

「……明日」

「は?」

「明日、来る」


俺はその予想外の答えに思わず固まってしまう。
思わず男を凝視してしまうと、男は微かに苦笑を零して空を見上げた。
雨が少し本降りになってきたからだろう。


「オレは買い出しをしなくてはならないから、そろそろ行くぞ」

「……え、ああ」

「……じゃあな」


そう言った男はそっと俺の頭に手を乗せて軽く其処を撫でてから足早に 雨の降る路地裏に出て、表通りへと行ってしまう。
暫く経ってから俺は自分が何をされたのか理解して、後ろの壁に寄りかかりながら片手で顔を押さえた。
そうでもしなければこの真っ赤に染まった顔を隠すことなど出来そうに無かったからだ。
男の行動の意図など俺には分からない。
分からないが、それでも、喜びを感じてしまっている自分は存在している。


(……参ったな、……本当に)


俺は暫くその雨音が響く路地裏に一人、佇んでいた。



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